2008年度秋季大会 自由発表(午前)および特集発表(午後)要旨

 2008年度日本近代文学会関西支部秋季大会(大会のご案内は→こちら)の自由発表(午前)、および特集発表(午後)の発表要旨は以下の通りです。
■自由発表(午前の部)
矛盾の共存――宮本百合子一九三〇年代作品の諸相――
池田 啓悟(立命館大学大学院)
 宮本百合子は作家同盟参加直後には旅行記やソ連を舞台とした作品を多く書いていたが、「舗道」(1932年1~4月)あたりから方向性をかえ、日本を舞台に女性労働者を描き始める。彼女は常にプロレタリア文学運動の方針に忠実であろうとした作家であったが、書かれた作品は方針との間に齟齬をきたしているように見える。この作品は企業が女性を区別し二流労働力としてあつかうという、女性労働のあり方を描いているのだが、こうした性別職務分離の構造は百合子が従おうとしていた革命運動の中にも存在した。岩淵宏子氏が指摘したように、その問題に触れているのが「乳房」(1935年4月)であり、ここではハウスキーパー制度が批判されている。これだけなら資本主義社会の性差別のあり方に向けられたまなざしが革命運動の中にも同じ構造を見つけざるを得なかった、ということなのかもしれない。ところが、両作品の間に「小祝の一家」(1934年1月)が描かれ、その中で非合法活動に携わる夫を支える妻の姿が肯定的に描かれていることが問題を複雑にしている。このような百合子作品の錯綜したあり方を読み解くには、単に革命運動の中にも性差別が存在したと指摘するにとどまらず、こうした矛盾がどのようにして共存することが可能であったか、その構造を追及する必要があるだろう。
 本発表では以上のような観点から百合子の諸作品の間に、また同一作品の中にもある揺らぎに焦点をあて、そこにどのような力学が働いているのかを考察したい。
三島由紀夫「親切な機械」論――事件の虚構化をめぐって――
田中 裕也(同志社大学大学院)
 三島由紀夫「親切な機械」(「風雪」昭24・11)は、京都で昭和二十三年四月十四日に起こった京大女子学生殺人事件を題材にして描かれた小説である。臼井吉見氏は「社会ダネに取材した」(「日本経済新聞」昭31・10・6)最初の小説と位置づけ、その評価は以後も引き継がれている。しかし「親切な機械」を単独で論じた研究は、管見の限り高場秀樹「三島由紀夫『親切な機械』論――素材からのアプローチ」(「京都語文」平14・10)のみである。本発表では、まず三島が京都を訪れた時期と理由を検討し、三島の出版界との関わり方や執筆の契機を明らかにする。昭和二十四年当時、京都で出版活動をしていた世界文学社の講演会に招聘されて入洛した三島は、滞在期間中に事件関係者から話を聞いた。それが「親切な機械」執筆の契機になったのではないか。次に実際の事件に関する言説と小説内容についての共通点と差異を探る。そのことにより、三島が小説で事件を模倣した箇所と自ら創作した箇所を少しでも鮮明にしたい。三島は「親切な機械」の「後記」に、「京都旅行で得た新資料」により作品を書くきっかけを得たが「資料はさして用ひられず、事件に対する見方の角度の決定にのみ役立つた」と書いた。三島の言う「新資料」とは何か、先行研究が触れていない当時の雑誌資料を示し作品解釈を施す。これらの作業により三島の社会ダネ小説執筆の一端を明らかにしたい。
■特集・樋口一葉――縛られた〈一葉〉、放たれる〈テクスト〉――(午後の部)
企画の言葉
 樋口一葉の文学は、さまざまなイメージに縛られてきました。人生については薄幸の才媛・女だてらの戸主・金銭的窮乏・さまざまな恋愛沙汰など、また、そのテクストは身体・性・経済・結婚・ジェンダーなどによって語られてきました。先行研究の多くがこうした数多くの〈縛り〉(基軸)に加担し、あるいは離反しようとしつつ、その枠組みから容易に逃れられないでいます。
 一方、多くの人々に愛される〈一葉〉は、芝居や映画、絵画から紙幣の肖像に至るまで、実にさまざまな〈テクスト〉の中に変容・再生産されています。こうした状況にあって、これまで縛られてきた〈一葉〉を、今、新たに解き放つことは可能でしょうか。たとえそれがもうひとつの新たな〈縛り〉になるとしても。
 今回の特集は、あまたの先行研究の中に身をおいてもなお、あらためて多様な〈テクスト〉を解き放つ試みが可能か、そして、新たな〈一葉〉を発見し得るのか、との思いから組まれました。発表者のみならず、会場との活発なやりとりも期待しています。
「われから」をめぐって(仮題)
小森 陽一(東京大学)
 自分では絶対選ぶことのできない、自らの出自と性差を生きながら、樋口一葉という表現者について、発言を引き受けることは、本音では絶対にしたくないことなのだ。なぜなら、聴き手に発言を批判されつくされて、敗北することがあらかじめわかっているからだ。
 そして、おそらく「敗北」という「戦争の比喩」を使用したこと自体が、批判の矢面に立たされることになるだろう。なぜなら、「矢面」という言葉自体が、信長以前の主要な軍事用語だからだ。
 その意味で、樋口一葉ほど軍事用語の比喩を、自らの小説テクストに使用しなかった明治の作家は、希有な存在だったのかもしれない。もし天皇という「超越的なシニフィアン」を認めてしまえば、軍事用語はいくらでも小説テクストを侵食することになるだろう。一葉はその侵食を許さなかった。
 では、その一葉の、どのテクストを論じる権利が私にあるのだろうか。おそらく「われから」という、一人称の人称性を誇示した題名を持つ、題名だけから言えば「ファルス中心主義的」なテクストを批判的に読むことしかありえないのではないか。「われ」という一人称が、誰の、どこに設定され、「から」とは、そのどこからの離脱なのかを見極めたい。
〈肖像〉へのまなざし――鏑木清方『一葉』の位相――
笹尾 佳代(同志社大学大学院)
 鏑木清方が描いた『一葉』は、樋口一葉の肖像画として最もポピュラーで、「実物」らしいと評価されてきた。だが、清方は生前の一葉に会ったことは無く、描かれたのも死後四〇年以上経過した一九四〇年のことであった。それにも関わらず『一葉』は、発表当時からその姿がよく「写し撮られた」ものであるといった評価(荒城季夫「奉祝展の日本画を観る」など)を得ていく。ここには、映画・写真など他の視覚メディアと対照される中で見いだされていた、日本画ならではのリアリズムへの賛辞があった。肖像画としての『一葉』評価は、そこに〈真実の姿〉を求める、観る者の想像力に支えられていたのである。
 こうした評価を呼び込んだ要因としてとりわけ重視したいのは、『一葉』が描出していた〈生活空間〉と、それが置かれた紀元二六〇〇年奉祝展覧会という〈場〉との関係である。奉祝展を意識した時、清方はそれまで抱いていた構想を一変させて、画材を「随筆「雨の夜」の成れる一夜の女史の心境なり姿」(「一葉」)にしたという。「雨の夜」が高等女学校における国語教科書の定番教材であったこと、そして、奉祝行事が銃後を活性化させるための「戦陣の祭り」であったことを考える時、その結びつきの相互作用を見逃すことはできない。ナショナリズム高揚の〈場〉にあって『一葉』の図像と随筆「雨の夜」との結びつきは、観る者の現状を巻き込みながら『一葉』にリアリティを見出し、戦時体制下の女性たちの模倣の対象としての〈一葉像〉を創出していたのである。
「にごりえ」再考――映画「にごりえ」を補助線として――
山本 欣司(弘前大学)
 お力を特権化することなく、小説「にごりえ」を読めないものだろうか。そんなことを考えるようになったのは、何度か繰り返して映画「にごりえ」※を観ているときであった。一九五三年、今井正監督により映画化された「にごりえ」は、その年のさまざまな国内映画賞を総ナメにした秀作であるが、淡島千景演じるお力の、印象の違いに気づいたのである。美しい容姿とすばらしい演技で観客/嫖客を魅了する淡島千景=お力ではあるが、映画では、彼女の描かれ方や菊の井にしめる位置が小説と微妙に異なるのである。
 私自身、一九九二年に「にごりえ」を論じた際は、当然のこととしてお力の「思ふ事」にスポットを当て、結果的にお力の特権化に与した。これまで多くの「にごりえ」論がお力を特異な女性と見なし、その内面を忖度してきた。しかしそれは、小説「にごりえ」にふさわしい読み方なのかとの違和感を持ったのである。
 源七やお初、結城に焦点をあてて「にごりえ」を論じられないかと提案したいわけではない。そのような〝ずらし〟を狙うのではなく、特異な女性としてお力を捉えるのではない「にごりえ」の論じ方はないかというのである。
 小説「にごりえ」を読んでいるだけでは、私の中でこのような問題意識は生まれなかったと思われる。優れたフィルムメーカーが、多くの制約の下で原作と格闘し、創りあげた映画=一つの豊穣な解釈を補助線とすることで見えてくるものがある。小説と映画のあわいで揺蕩う、そんな発表になろうかと思う。
※ 製作:伊藤武郎、脚本:水木洋子・井手俊郎、撮影:中尾駿一郎、新世紀映画・文学座作品。樋口一葉の「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」をオムニバス形式で映画化。キネマ旬報ベストテン1位(2位は小津安二郎「東京物語」、3位は溝口健二「雨月物語」)、毎日映画コンクール作品賞・監督賞、ブルーリボン賞1位など。DVDは新日本映画社が発売、独立プロ名画特選のうち。
『十三夜』の構成――《つとめ》を視座として――
水野 亜紀子(大阪大学大学院)
 『十三夜』の構成について論じるものには(上)(下)のつながりをどのように把握するかという点に問題を見出すものが少なくない。『十三夜』における(下)の必然性や作品上の効果はすでに考察されているが、発表者は『十三夜』が(上)(下)を通して初めて成立する作品であると考え、(下)が用意されることに、より積極的な意義を見出す。本発表では、本文の分析を通して(上)と(下)が緊密に呼応し合っていることを指摘し、その構成について独自の見解を提示する。
 (上)において、お関は父親から婚家へ戻るようにと説得を受けて実家を後にするが、そこにお関の心中は描かれず、彼女が翻意をしたかどうかまでは明示されない。「彼れほどの良人を持つ身のつとめ」「妻の役」「世の勤め」という言葉で女大学的に妻としての《つとめ》を慫慂する父親の言葉は、その時点で、お関の腑に落ちるものとはならないのである。(下)において録之助との邂逅が描かれることによって、お関はそのひっかかりに向き合うことになる。
 録之助は零落した姿で登場するが、そこでお関が彼の現在を、自分にひきつける形で見る機会を得ていることに着目する。お関は録之助との邂逅を通して父親から説かれた《つとめ》の大事に気付かされるのではないだろうか。そのようにして《つとめ》という観点から捉えると、(下)は本作品にとってその存在の意味を増すと考えられる。
「コンタクト・ゾーン」における女性主体――『にごりえ』と『ラマン』
佐伯 順子(同志社大学)
 樋口一葉の『にごりえ』(一八九五年)とマルグリット・デュラスの『ラマン』(一九八四年)には、直接的な影響関係は無いが、両作品には、内容と形式の両面において、様々な共通性が認められる。少女時代に父を亡くし、兄二人と母という家族構成のなかで育ったデュラスは、極貧のなかで、幼くして精神的な自立を余儀なくされた自身の分身として『ラマン』の少女を描き、書くことによる主体性の獲得を模索しつつ、女性の性的なイニシエーションを、女性の視点から描いた。一方一葉も、父と兄の死により、戸主として家族を支える必要に迫られ、孤独のなかで、書くことによる自己実現をめざした。そこには、女性の性の商品化、経済的自立の困難、心身の痛みという共通のモチーフが認められる。
 東京という都市のなかで、下級娼婦というマイノリティの生を生きる『にごりえ』のお力と、植民地社会で、白人でありながら底辺の生活を味わう『ラマン』の少女の生は、ともに「コンタクト・ゾーン」(M・L・プラット)における異文化衝突の葛藤を体現してもいる。頻出する「流れ」と「水」のモチーフは、異文化接触のなかで浮遊する、不安定な女性主体のありようを等しく表現していよう。
 時代と地域を隔てながらも、女性のエクリチュールに現れる、自立への模索と、共通するジェンダーの問題を、比較文学の対比研究の手法から探りたい。