特集 〈中島敦〉の現在とこれから
[企画要旨]
二〇二三年の春季大会では、「〈中島敦〉の現在とこれから」と題する特集を組み、〈中島敦〉文学研究の先端を見つめ、その可能性と問題について考えたい。はたして、文学史に確固とした位置を占める〈中島敦〉の文学をあらためて現代にひらくことは可能だろうか。
〈中島敦〉の文学は、これまでに多くの論者による検討がなされ、研究の厚い蓄積を誇っている。〈南洋行〉や〈朝鮮〉での動向について丹念な調査がなされ、〈中島敦〉と〈植民地〉の関係が盛んに議論されてきた。〈中国古代〉や〈漢詩〉、〈西洋〉の文学や思想に着目した比較文学研究や典拠研究も盛況である。国語教科書においては、「山月記」が定番教材として不動の地位を占めており、次々に研究論文、教育論文が発表されている。このように活況の〈中島敦〉研究の先端では、どのような可能性と問題が生じているのだろうか。
たとえば、〈中島敦〉のオリエンタリズムや他者へのまなざしは、今日どのように評価され、あるいは批判されるべきなのか。比較文学研究や典拠研究は、〈中島敦〉文学の全体像や作品の読みをどのように更新させるのか。作品論が集中する「山月記」では、李徴の「人間性」を道徳的に批判する読み方が依然として教育現場を中心に根強く広まっている一方で、作品の〈語り〉に注目が集まるようにもなっている。〈語り〉の権力性を批判的に検討する視点は、作中人物の人間性の分析に重点を置く読みをどのように相対化しているのか。これまでの研究の成果は、これから私たちが生きていく現代の社会や教育の現場にどのような光をもたらすだろうか。
本特集では、まずボヴァ・エリオ氏に「中島敦の文学における言語と死」と題して、「山月記」をはじめとする「古譚」の作品を中心に、死に抗する言語の位相についてご発表いただき、次に渡邊ルリ氏に「中島敦における典拠受容と創作」と題して、自筆草稿の推敲過程などを手掛かりに、典拠から独自の人間像を彫り上げる中島の創作手法についてご発表いただき、最後に高芝麻子氏に「中島敦文庫の漢籍から考える唐人李徴」と題して、漢籍の考察によって李徴の造形の背景をさぐるご発表をいただく。お三方のご登壇と質疑応答によって、本大会が、〈中島敦〉研究の先端からさらに前進する絶好の機会となることを期待している。
[発表要旨]
ボヴァ・エリオ「中島敦の文学における言語と死」
中島敦の文学は、なぜこんにちもなお面白いのか。その文章と内容に魅力が認められるのは当然として、特定の時代性を表現しながら、そこに(日本に限らず世界の)二〇世紀につながる問題性が内在しており、後の時代に通じるものを残しているのも理由のひとつである。すなわち、中島後の文学や文芸批評あるいは哲学を経験し受容した現代においても、中島敦の文学が(なおも)通じるということである。
〝通じる〟ものの一つに言語(languelangue)の理解がある。この度、「文学史に確固とした位置を占める〈中島敦〉 の文学をあらためて現代にひらくことは可能だろうか」という、本大会の趣旨文中にあがるこの問いに接近しながら中島敦の文学における〈言語と死〉の考察を試みたい。
本発表では短編集『古譚』の作品を念頭に置きつつ、〈死〉の脅威に抗して、永遠を語る言説(ディスクール)、というよりも、永遠の語りではもはや自らを支えられない永遠的な言説になる――自らを無限に追い求める運命にある――言語の位相を捉える。「狐憑」、「木乃伊」、「文字禍」、「山月記」から浮かび上がる言葉と文字、ナレーションの理解、最終的にその古の譚の相を現代につないで考えていきたい。
渡邊ルリ「中島敦における典拠受容と創作」
中島敦作品の主要な漢籍典拠(原話)は、ほぼ特定されているが、構想や表現を採り入れたものや、主題や挿話の本質に関わる〈隠された典拠〉が、平成以後も見いだされている。
漢籍典拠をもとに人間の生を創作するとき、中島敦は、①典拠の記述を活かし、②類似する表現を違う文脈に移して意味を転じ、③典拠を大胆に改変して新たな挿話を加える。たとえば『山月記』で虎になることを〈酔ふ〉と語るのは、典拠の一つ『人虎傳』(『唐人説薈』)にあるが、『人虎傳』の李徴が虎の記憶を語るのに対して、『山月記』の李徴の〈虎の時間の記憶がなく、人間の時間を失いつつある〉改変は、己の残虐な所業を直視し難く、人間の心を失うことを何より懼れる語りに結びついている。「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」(性情)を内なる虎とし、袁傪に「何処か(非常に微妙な点に於て)欠ける所」を感知させたのは創作だが、中島はこの二つを直接関連させず、同時に、李徴に詩の理想や意味を語らせず、彼の「詩人」像を外面的表現にとどめている。
歴史的文献を以て語る中島作品の語り手は、時には人物の心情に成り代わり、時にはその意識を超えて人物を形容し評価する。李徴・蒯聵・叔孫豹・紀昌・子路・李陵は、情況も性情も異なるが、人ならばありうる錯誤を重ねる人間であり、それを照らす別の視座をどこ(誰)に置き、彼らがどのような認識に導かれるかにも違いがある。中島は人物に認識の限定性を与え、その悔恨と自己発見においても至りえない限界を描出する。
本発表では、自筆草稿の推敲過程も手掛かりにして、典拠から独自の人間像を彫り上げる中島の創作手法を読み解きたい。
高芝麻子「中島敦文庫の漢籍から考える唐人李徴」
中島敦は「山月記」において、李徴が虎となった理由を李徴自らに「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ」と語らせている。虎になってなお「己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがある」と述べるほどの詩への強烈な執着は、『太平広記』や『唐人説薈』の李徴の物語からは読み取れない、敦の独創である。本発表では敦が李徴をこのように造形した背景について、出典考証とは異なる角度から漢籍に基づき考えてみたい。例えば、中島敦文庫(神奈川近代文学館蔵)の四部叢刊本『唐詩紀事』巻三十八には、「則僕宿昔之縁在文字中矣(つまり私は前世から文字との因縁があったというわけだ)」「役声気連朝接夕、不自知其苦非魔而何(声をからして朝から晩まで、つらいとも思わず(詩を作り続ける私は)魔でないとすれば何だというのだ)」など白居易自身の詩への執着が表明された部分に、朱で傍点が附されている。傍点を打ったのが敦であるか、父田人らであるかは不明であるが、漢学の家系中島家で共有されている唐詩人イメージがあると仮定すれば、上記のような句読・傍点箇所の検証は、「山月記」研究にいくらかでも資するものとなりうるのではないか。そのような視点に立ち、中島敦文庫の集部の漢籍の句読・傍点箇所を中心に検討し、漢籍から李徴の苦悩に光を当ててみたい。