2023年度日本近代文学会関西支部秋季大会 自由発表要旨

[発表要旨]

小杉天外「魔風恋風」論──「女学生」をめぐる言説の変遷と立身出世──
吉井 美稀

小杉天外「魔風恋風」は、女子教育の理念が西欧志向の女性論から富国強兵の思想に基づく良妻賢母主義へと変化していた明治三六年、当時の『読売新聞』による女学生バッシングの中で同紙に連載が開始された。焦点となった「女学生の堕落」について、土佐亨(一九七五)は天外が示唆したモデルを推定・考察し、菅聡子(二〇〇一)は主人公の萩原初野が堕落する過程に読者の興味を転換させたと述べているが、作中で女学生への攻撃として初野に向けられる罵倒は世論の受け売りにしかすぎない。それに対し、初野の抱く立身出世欲は明治維新後の身分制度廃止に伴う明治政府の政策、福沢諭吉『学問のすゝめ』をはじめとするベストセラー、さらに雑誌『成功』などが主に苦学に励む庶民やエリート青年を想定して牽引した社会的上昇欲求と似通っており、女学生よりむしろ青年男子の立身出世観を持つ初野に、作中においても現実問題に裏打ちされた批判が加えられている。
本発表では、初野の立身出世欲に着目し、「女学生の堕落」にまつわる作品評価を超えて本作を読み直す。具体的には、物語の進行を追いながら『読売新聞』の読者投稿欄や特集記事などをもとに論調の変化を検証しつつ、本作が当初の堕落女学生を扱った写実小説の立場を脱却していく過程について論証していきたい。特に、天外が初野を女学生でありながら立身出世という男性の領域に踏み込ませた試みは、現代においても再評価の余地があると考えている。

 
批評の萌芽──小林秀雄「からくり」論──
佐々木 梓

小林秀雄の小説「からくり」(『文学』一九三〇年)を収録した単行本『文芸評論』(一九三一)には、目次における小説や評論等の区分はない。「様々なる意匠」(一九二九)や「志賀直哉」(一九二九)よりも前の冒頭部分に本作は位置し、以降は評論が並ぶ。一方で、一九三〇年前後の小説も収めた『一つの脳髄』(一九三三)に本作は見えない。小説作品中、本作のみが評論集『文芸評論』での初収録であり、小説・評論の区別のない構成において、本作は評論作品ときわめて近い位置付けがされているといえる。
本作について先行研究では、構成や評論との関連こそ指摘があるものの、読書行為を通じた主人公の視座の変化に関する十分な分析は未だなされていない。その分析を行うことで、本作における対象を〈見る〉行為が、批評行為において対象を受容するといういわば初発期の段階の表現であることを明らかにする。
本作の主人公「俺」は、冒頭で活動写真をまやかしのように感じる。その後、ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』に感銘を受けた翌朝、「俺」は従弟からの絵葉書を手に、旅先の従弟の見た渡り鳥を探して空を見る。活動写真を観る冒頭と比べ、結末では、「俺」の視界と、葉書の空間との境界が曖昧になる。その変化には、前夜の、いわば作品への没入体験に近い読書行為が起因している。同じラディゲ作にもかかわらず、作中で評価されない『肉体の悪魔』と比較し、『ドルジェル伯』が「俺」に及ぼした影響を分析する。そのうえで、作中の〈見る〉行為が、自己の認識の中で対象を再生成する営為であることを示す。その営為はまさに、『文藝評論』収録作品に代表される、同時期の批評との連続性を有しているのである。小説の形態でありながら、「からくり」には〈批評〉という営為の萌芽が表れているといえる。

 
三島由紀夫「火宅」論──占領期の言語空間を背景に──
霍 思静

三島由紀夫自ら処女戯曲と位置づける一幕物「火宅」(『人間』一九四八・一一)は、三島戯曲の初上演として俳優座で上演された。本作をいち早く論じた天野知幸(一九九七)は、戦後の「知識人」論争を踏まえて類型的な「知識人」の造形を貞次郎に見る。また、大橋裕美(二〇〇六)は、郡虎彦「道成寺」からの影響を指摘し、上演の状況を確認しながら幕切れの「紅蓮の焔」について考察した。それらでは、批評の言説あるいは戦後新劇の状況を中心として考察が展開されているが、作品そのものについては解釈の余地が残されている。
三島が「戦後の社会が火宅に象徴される」と自ら解説するように、本作は敗戦後の日本社会の状況を描いている。それを表象する細部に目を向けたい。たとえば作中、新聞を携えて登場する貞次郎は、それを昼過ぎまで読み耽る。彼が語る「夕刊の来ないやうな世」は、閉ざされた占領期の言語空間を寓意していると見ることができる。また、妻の千代子と娘の千賀子がそれぞれ、貞次郎と対峙する場面が用意されている。千代子と千賀子による貞次郎批判の構図は天野論においても指摘されているが、それはあくまでも貞次郎の視点からの解釈であり、母と娘の関係は不透明である。本発表では、作中人物の相互関係を明らかにしつつ、占領期の言語空間を作品と照らし合わせ、「火宅」における新聞や小3 説、映画といったメディアの表現と戦後という時代との関係を考察する。

 
三島由紀夫「貴顕」論──ペイター受容と「肖像画」をめぐって──
福田 涼

「貴顕」(『中央公論』一九五七・八)の語り手は、自らがものする「肖像画」の「筆致」について、「多分ペイターの短篇小説」のそれに「似るであらう」という。これを承け、先行論では本作におけるペイター受容の内実が探られてきた。十枝内康隆(二〇〇二)は、柿川治英の外見描写を視座として、両者の「筆致」の相似点を浮き彫りにしながらも、「物語作家」としての三島と、「純粋な肖像画」の書き手としてのペイターとの違いを強調する。新井正人(二〇一三)は『ウォオルタア・ペイタア短篇集』(工藤好美訳、岩波書店、一九三〇・一)の「序」を踏まえつつ、ペイターの作品が内包する「描かれたもの」(内容)と「描き方」(形式)との「完全な一致」、あるいは「外面」描写と「内面」の表現の相即といった要素が、本作に齎した影響について考察している。
ただし、語り手が再三にわたり言及する、本作の「肖像画」という位置付けとペイターの諸作との関係については、充分な検討が為されてこなかった。本発表では、ペイターの「イマジナリイ・ポートレート」と「貴顕」の語りの構造を比較し、「肖像画」を自称する本作の語りの起点が「彫刻」の如き治英の「死顔」にあること、すなわち(新井論が着目する、治英の人となり自体とは異なる点において)「描かれたもの」と「描き方」とが共に「芸術」であるという「一致」を示していることを明らかにする。その上でペイター『藝術復興』(一八七三)も参照しつつ、「亡友」を「肖像画」という「平面」に封じつつ、自らを「肖像画家」=「芸術家」として規定する語り手の企てについて論じたい。

 
安部公房『砂の女』論──変革する「砂」──
長澤 拓哉

一九五〇年代の安部公房は、作家であると同時に前衛芸術運動と社会運動の担い手でもあった。六〇年代に入ると作家活動に重点を置くようになるが、その出発点となった『砂の女』(新潮社、一九六二)は、国内外での評価を一気に高め作家にとって大きな転換点となった作品である。背景には、共産党から除名され、政治的に転向したかに見える安部の動向があった。
かつて佐々木基一は主人公仁木順平に戦後の政治的文脈における「変革者」の姿を見たが、以来本作の研究は、仁木の「変貌」に疎外状況とそこからの脱出を見るもの、「女」との関係を論じたもの、「砂」の表象における花田清輝との関係を論じたものなど様々な方向に展開してきた。これらはいずれも「砂の部落」を同時代の「現実社会」の寓意とする読みを前提としている。だが、仁木の日常と地続きである都市のシステムの中に内包される空間として表象されていることを鑑みれば、「砂の部落」は寓意としてよりもむしろ現実的状況そのものとして捉え直されるべきである。
本発表では、五〇年代後半における安部の社会認識に注目し、「砂の部落」が表象する階級構造について考察する。そこに見られるのは「労働階級」の生活であり、彼らと仁木の関係には大衆と知識人の乖離という安部の共産党批判を見ることができる。加えて、外部の視点が置かれている作品構造に注目し、安部が模索してきた「記録芸術」の方法の反映を明らかにする。安部の大衆芸術の創造による戦後日本社会の革命の出発点として本作を位置付けることが本発表の狙いである。

 
筒井康隆と演劇的小説──短篇「家族場面」分析から見えるもの──
太田 帆南

筒井康隆「家族場面」(『SFアドベンチャー』一九九三年四月号)は、主人公の「おれ」が観ている夢の場面が次々に転換され、その都度「おれ」の設定も変わっていくという短篇小説である。本作には登場人物が自らの役割を模索し、即興で「演じている」というある種の演劇性を含んだ描写が見られる。この場合の演劇性とは、作中人物の行動が実際の舞台上での演技行為と重なることを指し、さらに筒井は一九八二年に「筒井康隆大一座」で旗上公演を行い、主役を演じるなど演劇活動に対しても精力的であったこととも関係が深いことだと考えられる。また筒井は、自身を「あきらかに作家でありながら役者である」とした上で、演技行為を通して作品世界を解釈する必要性を述べているが、これまでに筒井の小説作品と演劇性の関係を詳細に論じた研究はなかった。そこで本発表では、短篇「家族場面」内の「おれ」が即興的に役割を演じていく姿に注目し、このような要素が作品世界を支えているということを指摘する。
さらに、谷崎潤一郎賞を受賞した長篇「夢の木坂分岐点」(一九八七年 新潮社)の中でも、主人公の精神的問題に向き合う際に「サイコドラマ」という即興劇が用いられている。このように筒井が繰り返し主題としている、作中人物が自覚的に役割を演じるという設定が象徴するものを「家族場面」分析から探り、そしてそれは筒井康隆本人の演劇観と深く関係しているということを明らかにする。