2022年度日本近代文学会関西支部春季大会 特集企画 

特集 鷗外をひらく 森鷗外没後一○○年

[企画要旨]

二〇二二年、森鷗外は没後一○○年(生誕一六○年)を迎える。これを機として、本年度の春季大会では、「鷗外をひらく」と題した特集を組み、現代小説から歴史小説、史伝、詩歌、戯曲、評論、日記、翻訳と幅広い創作活動を続けた森鷗外の文学に新しいメスを入れ、アクチュアルな鷗外文学の意義に迫りたい。たとえば、一見すると身勝手な男の述懐とも読める「舞姫」や、大逆事件に批判的な小説を発表する傍らで陸軍軍医総監に上り詰めて権力の側に立つアンビバレントな文学者の姿は、現代において、どのように捉えなおし、評価することができるだろうか。教育現場に目を向ければ、〈森鷗外〉は文豪という権威性の記号であるが、一方では、国語教科書からは鷗外の作品そのものは消えつつある。そのような教科書の鷗外の現状は、どのように考えられるだろうか。後続の文学に影響の大きい鷗外と他の重要な文学者との関係を今日あらためて問いなおすことで、鷗外文学のまだ見ぬ相を照らし出せはしまいか。没後一○○年(生誕一六○年)を好機として、現在もなおさまざまな可能性をはらむ鷗外文学を新しい視点から繙読したい。

そこで、本特集では、まず弓削商船高等専門学校の八原瑠里氏に「森鷗外と横光利一―「国語教育」を視座として」と題し、国語教育の観点から鷗外と横光を比較することで、言葉に対する両者の問題意識についてご発表いただく。次に同志社大学の坂崎恭平氏に「〈あそび〉としての文学―二葉亭四迷から考える中期の諸作品―」と題し、鷗外の短篇「あそび」を取り上げ、二葉亭と鷗外のモティーフの共有から鷗外文学を今日にひらく可能性についてご発表いただく。最後に岐阜大学の林正子氏に森鷗外「〈Resignation〉の創作力―「鷗外文話」から史伝まで―」と題し、〈Resignation〉を鍵語として初期から後年まで通底する鷗外の思想的な基盤についてご発表いただく。会場からの質疑を受けて、鷗外文学を現代にひらく活発な議論を行いたい。

 

[発表要旨]

森鷗外と横光利一―「国語教育」を視座として

八原 瑠里

森鷗外は、日本文学を代表する作家であり、長きにわたり国語の教科書に作品が掲載されている。

本発表では、この「国語」あるいは「国語教育」を新たな視座として、横光利一という世代の異なる作家を補助線に、「森鷗外をひらく」試みをしてみたい。

横光は、親子ほど年齢が離れた鷗外の作品をどのように受容・評価しているのか。「河北新聞」(一九三三・六・九)では「日本の国語の美しさを充分に表現してゐるとお考へになるやうな作品は?」という問いに鷗外の「雁」を挙げている。先行研究では、座談会「新しい横光像を求めて」(『解釈と鑑賞』、一九八三・一〇)で、井上謙が横光の「笑はれた子」に鷗外訳のフレデリック・ミストラル「蛙」からの影響を示唆した。そして、宮口典之は「森鷗外と横光利一」(『森鷗外論集 出会いの衝撃』、新典社、一九九一・一二)で、横光の「純粋小説論」以降の作品と「雁」における表現の共通性を指摘した。このように横光は鷗外の文学を高く評価し、その文学性にも共通点が多くみられる。

その一方で、二人が受けてきた「国語」の教育には相違点がある。藩校で学んだ最後の世代であり、「国語」の立ち上げを見守った鷗外と、最初に国定教科書を用いて「国語」を学んだ世代の横光。ここでは、言葉に対する二人の問題意識に焦点化し、その共通性を探っていきたい。世代の離れた作家の共通性を探ることは、それぞれの特徴だけでなく、日本文学に通底する意識を再考するきっかけになるのではないかと考えている。

 

〈あそび〉としての文学―二葉亭四迷から考える中期の諸作品―

坂崎 恭平

「文学は私には何うも詰らない、価値が乏しい。で、筆を採つて紙に臨んでゐる時には、何だか身体に隙があつて不可。遊びがあつて不可。どうも恁う決闘眼になつて、死身になつて、一生懸命に夢中になる事が出来ない。」―晩年の長谷川辰之助・二葉亭四迷はそう述べている(「送別会席上の答辞」一九〇八・七)。「国際問題」―平たく言えば、〈文学〉に対する〈政治〉―を主眼とする彼は、その一年後にベンガル湾上で客死し、多くの文学者がその死を悼んだ。

追悼文集とも言うべき坪内逍遙・内田魯庵編『二葉亭四迷』(易風社、一九〇九・八)には、鷗外もまた一文を寄せている。前年自身のもとを訪れた際、「暫く話してゐたが、此人の口からは存外文学談が出ないで、却て露西亜の国風、露西亜人の性質といふやうな話が出た。」という鷗外の回顧には、二葉亭が文学に「一生懸命に夢中になる事が出来ない」・「遊びがあつて不可」、という彼の自己認識が反映されていると言えるだろう。

同時期に書かれた鷗外の短編小説「あそび」(『三田文学』一九一〇・八)は、コンテクストこそ違えど、〝〈あそび〉としての文学〟というライトモティーフを、二葉亭と共有している。官吏であり文学者でもある主人公・木村は、文学を「遊びの心持」でやっていくと揚言する。「筆と爆裂弾とは一歩の相違があるばかり」と云う二葉亭と比べれば、木村の心持ちは多分に軽い。「国際問題」に対して真剣であるがゆえに文学に夢中になれない二葉亭と、そもそも「真剣も木刀もない」木村―同時期の鷗外の文学を、両者のいわばハイブリッドとして捉えることで、その可能性の一端を切り拓くことを試みたい。

 

〈Resignation〉の創作力―「鷗外文話」から史伝まで―

林 正子

鷗外の随筆「予が立場」(『新潮』第一一巻第六号 一九〇九年一二月)で用いられたドイツ語「Resignation」は、漱石晩年の「則天去私」を連想させる、鷗外の心境を表現する言葉として知られる。「諦念」という日本語では表現しきれないとされ、時にフランス語「résignation」と表記される「Resignation」は、おもに鷗外の陸軍軍医総監時代の作品に見られるが、文学活動の初期から最晩年にいたるまでを貫流する鷗外文学の基調を表現する鍵語であると考えられる。今回の報告では、自明のようでありながらその実質は必ずしも分明ではない鷗外の「Resignation」の内実に迫ることをめざしている。

具体的には、『柵草紙』第二〇号(一八九一年五月)に「鷗外文話」の総題のもと掲載された一一編(うち六編の初出は、「舞姫」「うたかたの記」と同年の一八九〇年『國民新聞』『日本之文華』)など創作活動最初期の作品から、一九一六年四月陸軍省辞職、予備役編入後の「澀江抽斎」(『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』一九一六年一月〜五月)はじめ一連の史伝作品にいたるまでを通底していると考えられる、鷗外文学の思想的基盤について考察する。

「鷗外文話」「其十、小説中人物の模型」の「わが小説を作るときは、いまだ先づある理想を得て業に就きしことなし。われは必ず先づ實在の人物を得るなり。さてこの人物に適ふやうなる性質次第に集まりて、遂にその一身に融合す。われ生れながらにして空に憑りてものを見出す能少し。故に先づ堅き地を得し上ならでは、自在に運動すること能はず。」などの記述を糸口として論を展開したい。

 

〈ゲスト発表者プロフィール〉

林 正子

神戸大学大学院文化学研究科単位修得退学後、岐阜大学教養部講師・助教授を経て、地域科学部教授。ハイデルベルク大学、ライプチヒ大学客員教授。二〇二一年、岐阜大学を定年退職。現在、岐阜大学名誉教授。主著として『博文館「太陽」と近代日本文明論―ドイツ思想・文化の受容と展開』(勉誠出版 二〇一七年)など。