2017年日本近代文学会関西支部秋季大会 発表要旨

〔自由発表要旨〕

◯明治三五年の東本願寺紛擾――遠因としての成島柳北――
天野勝重
成島柳北は明治四年に現如上人が東本願寺浅草別院に設置した真宗東派学塾の塾長として迎えられ、これがきっかけで翌年の上人たちの欧米への漫遊に柳北も随行することになる。その時の記録が『航西日乗』(「花月新誌」一八八一年~一八八四年)であるが、柳北以外の随行者の一人として、石川舜台という名が散見される。舜台の名は『海外見聞集』(岩波書店、二〇〇九年六月)巻末の「『航西日乗』人名注・索引」によれば本文中に一七回登場しており、「本山の重職を歴任し、制度改革や人材育成、また海外布教などに尽力した」と注記されている。吉川弘文館『国史大辞典』や『真宗人名辞典』(法蔵館、一九九九年七月)といった辞典類も、この内容と大きな違いはない。実際彼の人脈によって大谷派は韓国進出を他宗派より早く行うことが可能になったと考えられるし、そこが彼を評価する上での基軸とする見方が大勢である。
しかし、実は舜台と現如は、明治三五年に非常に大きな、宗門を巻き込んだスキャンダルを起こし、「読売新聞」に約一ヶ月に及び記事を掲載されることになる。このことからも、決して辞典に書かれていることだけが全てではないことが浮かび上がってくる。
本発表では、そうしたスキャンダルが発生するに至った背景とその原因を「読売新聞」の記事を中心に考察するとともに、彼等の行動原理の形成に、柳北との洋行があった可能性について考える。


◯永井荷風『花瓶』論――「花瓶」の象徴性をめぐって――
アブラル・バスィル
永井荷風『花瓶』(「三田文学」大正五年一・二月)では、政吉夫婦にとって記念の品だった「花瓶」の絵を、家庭の不和に悩む友人で画家の燕雨が描くに至る過程を中心に、両夫妻の有様が語られている。従来、絵の完成は「『腕くらべ』の出現を示唆するもの」(吉田精一『永井荷風』八雲書店、昭和二二年)であるほか、「芸術の勝利」(坂上博一『永井荷風論考』おうふう、平成二二年)も象徴しているとも解釈されてきた。
本発表では、小説の構成の分析を通じて、登場人物たちの内面と相互の関係を再考し、作中の「花瓶」が象徴するものを明らかにしたい。物語の前半では、お房と政吉の過去が現在と交錯したかたちで語られる。そこで過去の出来事を時間軸に沿って整理してみると、二人の結婚は政吉が会社を辞めた事情と前後して起きたのだという事実が判明する。この事実はお房と政吉の「花瓶」に対する思いの正体を現す一方で、燕雨がいう「己が家の住憂ひ事と政吉の家の平和幸福な事」やそれ故に創作される「花瓶」の絵について再考することを可能にする。
このような考察を通じて「花瓶」が各々の人物が追求する〈幸福〉の正体を象徴的に表していることが明らかになるはずである。また、芸術に対する燕雨と政吉の心理の分析は、同時期の荷風小説にたびたび描かれる芸術志向の意義を捉え直すことにつながるだろう。


◯江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」完成の地の今昔
宮本和歌子
雑誌『新青年』大正一四年八月号に発表された江戸川乱歩の短篇小説「屋根裏の散歩者」は、しばしば彼の代表作の一つに数えられる有名な作品である。乱歩はこの作品の前半部分を、当時居住していた現在の大阪府守口市の借家で書いたことを複数の随筆などに書き残している。後半部分を書き完成させた場所については、乱歩の実父が宗教的な病気治療のために参籠していた「三重の山奥」としか記しておらず、その具体的な地名は長く不明であったが、「屋根裏の散歩者」を完成させた場所が三重県亀山市関町にある岩屋観音という小さな寺であることが判明した。
岩屋観音は江戸時代には多くの参拝者で賑わい、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵も残っているが、東海道を旅行する客の減少に伴い荒廃し忘れられた地となっていた。従って乱歩が訪れた大正時代以降の様子は史料にはほとんど残っておらず、乱歩が「屋根裏の散歩者」を完成させた場所について机上でのみ特定しようとすることは不可能に近かった。目星をつけた場所で高齢の地元住民への聞き取りを行った結果、乱歩実父の参籠地が岩屋観音であることだけでなく乱歩の実父に病気治療を施していた人物の氏名や生没年も判明した。その人物が亡くなって七〇年以上経過した現在でも現地には彼の信奉者がおり、独自の信仰形態を形成している。今回の発表では、史料にはほとんど残っていない大正時代から現在までの岩屋観音の実態を中心に報告する。


◯幸田露伴「幻談」における固着、切断、創意工夫をめぐって
吉田大輔
幸田露伴(一八六七―一九四七)の「幻談」(『日本評論』一九三八・九月)をめぐる先行研究はすでに一定の蓄積があるが、これまであまり検討されてこなかった論点を本発表ではふたつ挙げ、この作品を再検討したい。
一点目は、「幻談」前半部のウィンパー『アルプス登攀記』を典拠とする再話と、「幻談」後半部に語られる船上での出来事(これも再話の形をとる)は、主題の近接のみではなく、細部の類縁性によっても接続されているのではないか、という点である。このふたつの話をめぐって、これまでの議論では、死、あるいは死者との遭遇があったのちになんらかの「幻」を見るという主題的近接が主に強調されてきた。だが、それに加えて、なんらかのひも状のもの(ロープ、釣絲)が固着し、ふいに切断される、という細部の類縁性によっても接続されている点を再考したい。
二点目は、「幻談」後半部と、類話との差異である。「幻談」後半部の類話の存在は、すでに指摘されている。だが、それらの類話と「幻談」後半部の差異から見えてくるものは、これまであまり議論されてこなかった。本発表では、類話との大きな差異のひとつを、後半部において重要な役割を果たす「釣竿」や「釣絲」がいずれも金銭によって購われたものではなく、水死者自身の創意工夫が結実した事物として登場する点にあると捉え、露伴が人間の創造をどのように捉えていたかという観点から、その意義を考察したい。