2019年度日本近代文学会関西支部秋季大会 発表要旨(小特集企画)

「神戸からブラジルへー過程と着後の記録、文学ー」

〔企画趣旨〕

 一九〇八(明治四一)年にブラジル移民が開始されて、本年で一一一年になる。南米をめざす移民は神戸に集結し、そこから移民船に乗って海を渡った。一九二八年には国立移民収容所が開設され、国策としての移民事業は大規模なものになっていく。本企画は、神戸大学海港都市研究センターと共催するかたちで、ブラジル移民を描いた文学や、ブラジル移民が描いた文学叙述に焦点をあて、海を越えて国を移動する経験の内実を問い直してみたい。
 ブラジルに向け日本を発つ人々は、まず移民収容所に入所し、検疫や身体検査を受け、外国渡航に必要な基礎知識を学ぶ必要があった。船上でも大人向けの語学教育や子ども向けの補習教育が施され、移民たちの連帯感を高めるための各種行事も行われた。さらに到着後も、航海次ごとの同窓会が催されるなど、新しいコミュニティや人間関係の醸成は、船上から始まっていたといえる。無名の一市民たる移民たちの船内生活は、輸送監督による記録や、移民による「船内新聞」などの発行物に刻印されている。それらの生活記録は、彼らが表現した、あるいは彼らを表現した文学にも確実に流れ込んでいるだろう。
 そこで本企画は、まず移民船での生活経験を、記録の面から明らかにすることで、移民における移民船、あるいは海洋体験の内実を検討する。そのうえで、移民自身による文学表現から、移民船あるいは海洋体験との意味を捉え直してみたいと考えている。当然、ブラジル渡航後の生活環境がもたらした言葉や身体の変容との連続性も問われることになるだろう。
 国立移民収容所は神戸移住センターと改称され、一九七一年まで移民送出に用いられた。いうまでもなく神戸港は移民の出航地として多くの歴史と物語を生んだ地であった。一方、現代ではその送出数を越える数の日系ブラジル人が実質的な移民として日本に働き口を求めて来日している。「神戸の先」という問題系を視野に入れつつ、ブラジル移民の文学を現在進行形の問題として捉え直したい。

〔発表要旨〕

○戦後南米移住者の船上体験ー〈個別の集まり〉から〈連帯感の醸成〉へー

飯窪秀樹

 報告では、一九五二年の南米移住再開以降の南米移民が移住船内で発行した船内新聞、および移住者輸送監督による輸送報告書の内容を主な材料にして論じる。
 たとえば伊藤永之介が戦後の移住船に乗船して書いた『南米航路』は、神戸移住斡旋所における盗難事件から物語が始まる。「輸送状況報告書」にも同様の事件は報告されており、現代でも起きるような不愉快な事件が生じた斡旋所や船内で、いかに移住地到着後の過酷な開拓生活を支えあうような、移民の間の連帯意識を形成していったのかを追うことを報告の課題としたい。
 船内新聞の記述を辿ると、入植先での奮闘を喚起する記事や、船の移民に対する待遇の改善要求もあるが、それよりも移民の間の迷惑行為をただす、互いの行動を律する投書も目立つ。移民たちは乗船前のような他人の集まりではなく、同じ夢と希望を持って移住を決意した者たちの集まりであることを確認し、船の中だけでもやがて来る過酷な日々の前段階として有意義に過ごそうとする。そして将来の成功を期するためにも船内の生活を律し、自主的であることが目指され、「常識ある国際人」として互いに意識を涵養しようと提言されている。
 報告ではこのように内発的に前進的な意識が醸成された経過を、輸送監督の報告書、船内新聞、第三者の目である作家の描く移民の姿から、これらがいかに実態を捉え、また逆にフィクションだったのかを踏まえつつ論じたい。

○一九五〇年代ブラジル邦字紙における日本語文芸ー短歌を軸としてー
杉山欣也

 第二次世界大戦中の迫害と戦後の勝ち負け抗争とによって、ブラジル日本移民社会は深刻な内部対立に見舞われた。しかし一九五一年の国交回復、一九五二年の移民事業再開といったことを契機として、徐々に安定を取り戻していった。一九四六年以降創刊された邦字紙の存在は、その安定に欠かせない存在だった。そして本発表が対象とする一九五〇年代前半には、勝ち組・負け組に分かれていた各紙の淘汰が進むとともに、紙面が充実をみせる時期でもあった。その紙面には事件事故の報道のみならず、移民の生活実態をうかがうことのできるトリビアルな情報など、さまざまな要素が記載されている。同時に、各紙は文芸創作欄を持ち、移民自身による文芸作品の発表の場となっていく。
 文芸創作は移民の精神生活の拠り所といえるものだが、それは神戸出港以来の日常的な生活の労苦の積み重ねが言葉としてそこに結晶しているからである。本発表ではそのような観点から、邦字紙における各種記事や創作欄の調査結果を基礎に、現地日系社会における移民研究の蓄積をも参照して、神戸から始まるブラジル日本移民の生活が文芸創作に結晶する過程を分析する。今回はとくに再移民の始まる一九五二年前後の短歌に注目してその様相を探る。そこに一九五二年の三島由紀夫等、ブラジルを訪問した日本人作家の移民表象との差異を確認することも可能だろう。