2007年度秋季大会 研究発表要旨

2007年度日本近代文学会関西支部秋季大会の研究発表要旨は以下の通りです。
■ 『虞美人草』における視線―〈勧善懲悪〉の裂け目―
                  坂井二三絵(大阪大学大学院)

  夏目漱石の『虞美人草』で、甲野はその日記に「色を見る物は形を見ず、形を見るものは質を見ず」と書き、物事の表層だけを見て本質を捉えないことを批判する。語り手も甲野と同じ視線であるかのように、浮ついた文明の民の代表として美貌を誇る藤尾を描き、終盤には裁断を下す。
 このような『虞美人草』の展開は前近代的な〈勧善懲悪〉として批判されてきたが、藤尾の死が罰でなく自己表現と読め、〈勧善懲悪〉を破綻させている点を逆に評価する論考も増えている(注1)。だが、近年『虞美人草』の構造や意味内容の堅固さが問い直されている(注2)ことからも、作品の展開や結末の意味だけでなく、テキストに表れた記述の細部を再検討する必要があろう。
 見ることへの問題意識は、比叡の景色や博覧会への視線の描写やそこで交わされる会話に、より具体的に表れている。その記述は、登場人物の個々の性格や価値観を示唆し、それ以上に〈勧善懲悪〉の基盤となる批評を行う甲野の超越的立場の危うさをも浮き彫りにする。さらに、登場人物たちが交わす視線は、それぞれの微妙なあり様や関係も露呈してくる。『虞美人草』に頻出する、見ることへの言及や視線の描写は何を表しているのか。この作品の新たな読みをそこに探ってみたい。
(注1)水村美苗「「男と男」と「男と女」―藤尾の死」『批評空間』(1992.7)など。
(注2)金子明雄「小説に似る小説:『虞美人草』」『漱石研究』(2003.10)。
 
■木下杢太郎『唐草表紙』における個人主義と民族回帰
                  権藤愛順(甲南大学大学院)

 本発表では、これまで正当な評価がなされていない木下杢太郎の処女小説集『唐草表紙』(大正四・二 正確堂)を評価することを目標としている。先行研究においてはこの作品集の情緒の豊かさや、作品を彩る特徴的な描写法にのみ言及されることが多かった。しかしそういった特徴をもつ作品は、『唐草表紙』の、主に前半部に収録された作品に限られる。ここでは、幼少年期の追憶といった共通モティーフが認められ、幼少年期の感覚を再現する際に微細な感覚表現が多用されている。
 人間の官能表現の密度の高さは、確かにこの作品集の特質の一つではあるが、そこに対照的に配置されている近代の青年の精神的苦悩の内実を描く作品群と合わせて読まなければ、いかにしてそれらの濃やかな官能表現が手段として選ばれたかは理解されない。
 この作品集における近代の青年の苦悩は、西洋から移入された個人主義思想に端を発する。本発表では、苦悩として感じられるに至る個人主義思想が、『唐草表紙』においては、「遺伝」という概念を梃子として民族の精神に立ち返ることで解消されていくさまを論じたい。その際収録作品の中でも主に「六月の夜」(明治四二・一一「スバル」)「新布橋」(明治四二・一「スバル」)といった作品を中心に考察したいと考えている。ここには、心理学の分野で「民族意識」という理論をうちたて、杢太郎本人にも多大な影響を与えた心理学者ウィヘルム・ヴントからの影響がみられるということも指摘したい。
■三島由紀夫 短編小説研究―「大臣」「訃音」からの一考察―
                井迫洋一郎(大阪府立河南高等学校)

 三島由紀夫は少年時代、詩と短編小説の中に自らの〈哀歌〉を籠めてきたと自選短編集の解説で述べている。その強い思いは多くの短編小説の執筆として表わされている。一方で、三島の強い思いとは裏腹に一部の短編小説のみ研究され、未だ多くの作品において検討されていない。
 以前「百萬円煎餅」という作品について考察を進めた際、三島の短編小説における技法のひとつとして主題らしい主題を持たず、読者の思考によって変化する意外性を意識させることで現代社会をシニカルに表現しているのではないかと論じた。同時に、ある社会をパロディ化することを中心におく三島の短編小説の技法はどこから始まったのだろうか、という点が現れた。
 本発表において、三島が短編小説を多く執筆していた昭和二〇年代に焦点をおいてみたい。終戦から大きく社会が変わっている頃、その変わりゆく社会の中心であ中央省庁、大蔵省の事務官として勤務していた頃の三島の様子と、その大蔵省時代の経験から創作された「大臣」「訃音」について考察していく。官吏《平岡公威》としての視点から見た官僚の世界を作家《三島由紀夫》の立場でどのように変化させ、作品を作り上げたのか。世間一般の社会とかけ離れた官僚という〈特殊な〉社会を描き出し、その社会に住み着く役人の常識を越えた価値観をどのように描いているか。〈短編小説の模範的な形は、古風なコント〉と考えている三島の短編小説の初期作品から技法や構成作りなどの点について考察を進めていきたい。
                                   
■川端康成『父母への手紙』の構造
                  渡邊ルリ(東大阪大学)

 『父母への手紙』(昭和七年一月『若草』、四月『文學時代』、八年九月『若草』、十月『文學界』、九年一月『文藝』)は、「小説家」の「私」が雑誌の小説として書いた、亡き父母に宛てた五通の手紙によって構成される。「私」の記憶にない〈あるかなきかの父母〉宛の手紙をもって小説としたのは、何を描くためであったのだろうか。
 書き手である「私」は、第一信で掲載雑誌の読者である「若い娘さん達」を想定すると共に、第二信では過去に出逢った少女達に小説が読まれることを意識しており、その上で亡き父母に宛てて「嘘だらけの手紙」を書くが、第五信では「嘘」を「越えてしまひさうに」なるという。この作品構造を捉えることによって、「私」と読者の前に明らかにされていく「私」の意識を読み解きたい。
 本作は、連載中の出来事を含む川端自身の体験を多く素材とするため、従来自伝的要素が重視される傾向にあるが、それにとどまらず、昭和初期、小説の可能性を探る川端の一側面をあらわす斬新な書簡体小説だったのではないだろうか。