2018年度春季大会は、6月2日(土)に、京都大学で、「更新される「明治」」(仮)という企画を予定しております。
詳細については、今しばらくお待ちください。
秋季大会(2017年11月11日開催)の開始時間について
会報では、秋季大会は13時30分開始となっておりますが、臨時総会を開催するため、13時開始に変更になっております。
お気をつけてください。
会報26号
2017年10月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。
こちらからPDFデータでご覧いただけます。
2017年日本近代文学会関西支部秋季大会 発表要旨
〔自由発表要旨〕
◯明治三五年の東本願寺紛擾――遠因としての成島柳北――
天野勝重
成島柳北は明治四年に現如上人が東本願寺浅草別院に設置した真宗東派学塾の塾長として迎えられ、これがきっかけで翌年の上人たちの欧米への漫遊に柳北も随行することになる。その時の記録が『航西日乗』(「花月新誌」一八八一年~一八八四年)であるが、柳北以外の随行者の一人として、石川舜台という名が散見される。舜台の名は『海外見聞集』(岩波書店、二〇〇九年六月)巻末の「『航西日乗』人名注・索引」によれば本文中に一七回登場しており、「本山の重職を歴任し、制度改革や人材育成、また海外布教などに尽力した」と注記されている。吉川弘文館『国史大辞典』や『真宗人名辞典』(法蔵館、一九九九年七月)といった辞典類も、この内容と大きな違いはない。実際彼の人脈によって大谷派は韓国進出を他宗派より早く行うことが可能になったと考えられるし、そこが彼を評価する上での基軸とする見方が大勢である。
しかし、実は舜台と現如は、明治三五年に非常に大きな、宗門を巻き込んだスキャンダルを起こし、「読売新聞」に約一ヶ月に及び記事を掲載されることになる。このことからも、決して辞典に書かれていることだけが全てではないことが浮かび上がってくる。
本発表では、そうしたスキャンダルが発生するに至った背景とその原因を「読売新聞」の記事を中心に考察するとともに、彼等の行動原理の形成に、柳北との洋行があった可能性について考える。
◯永井荷風『花瓶』論――「花瓶」の象徴性をめぐって――
アブラル・バスィル
永井荷風『花瓶』(「三田文学」大正五年一・二月)では、政吉夫婦にとって記念の品だった「花瓶」の絵を、家庭の不和に悩む友人で画家の燕雨が描くに至る過程を中心に、両夫妻の有様が語られている。従来、絵の完成は「『腕くらべ』の出現を示唆するもの」(吉田精一『永井荷風』八雲書店、昭和二二年)であるほか、「芸術の勝利」(坂上博一『永井荷風論考』おうふう、平成二二年)も象徴しているとも解釈されてきた。
本発表では、小説の構成の分析を通じて、登場人物たちの内面と相互の関係を再考し、作中の「花瓶」が象徴するものを明らかにしたい。物語の前半では、お房と政吉の過去が現在と交錯したかたちで語られる。そこで過去の出来事を時間軸に沿って整理してみると、二人の結婚は政吉が会社を辞めた事情と前後して起きたのだという事実が判明する。この事実はお房と政吉の「花瓶」に対する思いの正体を現す一方で、燕雨がいう「己が家の住憂ひ事と政吉の家の平和幸福な事」やそれ故に創作される「花瓶」の絵について再考することを可能にする。
このような考察を通じて「花瓶」が各々の人物が追求する〈幸福〉の正体を象徴的に表していることが明らかになるはずである。また、芸術に対する燕雨と政吉の心理の分析は、同時期の荷風小説にたびたび描かれる芸術志向の意義を捉え直すことにつながるだろう。
◯江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」完成の地の今昔
宮本和歌子
雑誌『新青年』大正一四年八月号に発表された江戸川乱歩の短篇小説「屋根裏の散歩者」は、しばしば彼の代表作の一つに数えられる有名な作品である。乱歩はこの作品の前半部分を、当時居住していた現在の大阪府守口市の借家で書いたことを複数の随筆などに書き残している。後半部分を書き完成させた場所については、乱歩の実父が宗教的な病気治療のために参籠していた「三重の山奥」としか記しておらず、その具体的な地名は長く不明であったが、「屋根裏の散歩者」を完成させた場所が三重県亀山市関町にある岩屋観音という小さな寺であることが判明した。
岩屋観音は江戸時代には多くの参拝者で賑わい、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵も残っているが、東海道を旅行する客の減少に伴い荒廃し忘れられた地となっていた。従って乱歩が訪れた大正時代以降の様子は史料にはほとんど残っておらず、乱歩が「屋根裏の散歩者」を完成させた場所について机上でのみ特定しようとすることは不可能に近かった。目星をつけた場所で高齢の地元住民への聞き取りを行った結果、乱歩実父の参籠地が岩屋観音であることだけでなく乱歩の実父に病気治療を施していた人物の氏名や生没年も判明した。その人物が亡くなって七〇年以上経過した現在でも現地には彼の信奉者がおり、独自の信仰形態を形成している。今回の発表では、史料にはほとんど残っていない大正時代から現在までの岩屋観音の実態を中心に報告する。
◯幸田露伴「幻談」における固着、切断、創意工夫をめぐって
吉田大輔
幸田露伴(一八六七―一九四七)の「幻談」(『日本評論』一九三八・九月)をめぐる先行研究はすでに一定の蓄積があるが、これまであまり検討されてこなかった論点を本発表ではふたつ挙げ、この作品を再検討したい。
一点目は、「幻談」前半部のウィンパー『アルプス登攀記』を典拠とする再話と、「幻談」後半部に語られる船上での出来事(これも再話の形をとる)は、主題の近接のみではなく、細部の類縁性によっても接続されているのではないか、という点である。このふたつの話をめぐって、これまでの議論では、死、あるいは死者との遭遇があったのちになんらかの「幻」を見るという主題的近接が主に強調されてきた。だが、それに加えて、なんらかのひも状のもの(ロープ、釣絲)が固着し、ふいに切断される、という細部の類縁性によっても接続されている点を再考したい。
二点目は、「幻談」後半部と、類話との差異である。「幻談」後半部の類話の存在は、すでに指摘されている。だが、それらの類話と「幻談」後半部の差異から見えてくるものは、これまであまり議論されてこなかった。本発表では、類話との大きな差異のひとつを、後半部において重要な役割を果たす「釣竿」や「釣絲」がいずれも金銭によって購われたものではなく、水死者自身の創意工夫が結実した事物として登場する点にあると捉え、露伴が人間の創造をどのように捉えていたかという観点から、その意義を考察したい。
2017年 日本近代文学会関西支部秋季大会 ご案内
【プログラム】
・日時 2017年11月11日(土)13時~
・場所 近畿大学 東大阪キャンパス A館3階301教室
→交通アクセス・キャンパスマップ
*会報では、秋季大会は13時30分開始となっておりますが、臨時総会を開催するため、13時開始に変更になっております。お気をつけてください。
■開会の辞
近畿大学文芸学部教授 佐藤秀明
■研究発表
◯明治三五年の東本願寺紛擾――遠因としての成島柳北―― 天野勝重
◯永井荷風『花瓶』論――「花瓶」の象徴性をめぐって―― アブラル・バスィル
◯江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」完成の地の今昔 宮本和歌子
◯幸田露伴「幻談」における固着、切断、創意工夫をめぐって 吉田大輔
■臨時総会
■閉会の辞
支部長 浅子逸男
※総会終了後、カフェテリア・ノベンバー(11月ホール地下)にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生3000円)の予定です。
会報25号
2017年5月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。
こちらからPDFデータでご覧いただけます。
2017年日本近代文学会関西支部春季大会 発表要旨
〔自由発表要旨〕
○安部公房「赤い繭」――変形する皮膚、変形する身体認識――
岩本知恵
安部公房「赤い繭」(一九五〇年一二月)は、家がないために休むことができず歩き疲れた主人公が繭へと変形する物語である。変形によってできた繭はようやく手に入れた「おれの家」であるのだが、この繭は「おれ」自身の身体が変形したものであるために「今度は帰ってゆくおれがいない」。こうした変形の顛末はこれまで、帰属のなさのメタファーとして、あるいは所有の問題として読解されてきた。しかしここで本発表が着目したいのは、変形が失敗したかのように描写されるという点である。
安部の変形譚について、岡庭昇や小林治は、変形は変質ではなく元来の身体の在り方が顕在化/可視化したものだと述べている。これを受けて田中裕之(二〇〇三)は、変形するものそれぞれの特徴への着目を重要視し、「通常は比喩を形成すべきものがレトリックの次元を超えて実際に形象化されてしまう」ものだと述べる。また、谷川渥は安部の変形譚について皮膚との関わりの重要性を指摘している。皮膚が身体の境界として身体認識や自己認識を確定していくものであると捉えると、この指摘は興味深い。
本発表では、身体の変形を経験する主人公にとって変形は比喩ではなく、身体認識が変容しているのではないかという側面から変形を考える。一体何が主人公の変形(身体認識の変容)を誘発したのか、変形を介して獲得する認識はどのようなものなのか、そして変形が失敗したかのような描写が何を示しているのかについて考えたい。
○武田泰淳とJ‐P・サルトル――『風媒花』における『自由への道』の影響をめぐって――
藤原崇雅
戦前期より紹介されつつあったJ‐P・サルトルの文学や哲学は戦後、人文書院版全集が刊行されたことで人口に膾炙した。大岡昇平といった仏文学者から椎名麟三のような作家まで、多様な人々がサルトルを読み、その思想を受容していく。
武田泰淳も、この全集を読んだ一人である。中国文学研究会をめぐる身辺の状況が記された代表作『風媒花』(『群像』一九五二・一~一一)の自注「私の創作体験」(中野重治ほか編『現代文学⑵』一九五四、新評論社)で彼は、「サルトルの『自由への道』のだいぶ影響を受け」た、と述べる。泰淳は『自由への道』全三部(佐藤朔ほか訳、一九五〇~一九五二、人文書院)を読み、それを踏まえ小説を創作した。この事実は先行論で指摘を受けているものの、詳細な比較検討はなされてはいない。本発表では『風媒花』と『自由への道』の影響関係の考察を通じ、戦後の日本文学におけるサルトル受容の一側面を明らかにしたい。
端的にいえば、泰淳はサルトル小説における、登場人物の現実認識の不可能性を表現する構造に注目し、自らの創作に用いている。泰淳にとってサルトルの文学は、単なる思想というよりも、小説の構成方法を知る契機としてあった。これは『自由への道』に、哲学的な思索を読み込む同時代の他の受容とは、異なったありようを示すものとして独自である。
なお、『風媒花』と『自由への道』との共通点および相違点を論証する過程で、中国文化の研究会に属している人物のモデルや、趙樹理『李家荘の変遷』(島田政雄ほか訳、一九五一、ハト書房)が引用されることの意味にも言及する。
〔連続企画第四回 趣旨〕
視差から立ち上がるもの
この連続企画の主眼は、一九二〇・三〇年代の関西の文芸文化を対象に、これまで見過ごされてきた人・風土・メディアなどを発掘しつつ、従来の「関西」表象や思考枠を問い直すことにあった。締め括りとなる今回は、その総括として、これまでの個別具体的な議論を踏まえつつ、やや広い視点から対象を捉え返してみたい。
両大戦に挟まれた当時の日本は、世界規模の経済的・社会的変動を背景に、急激な都市化を遂げつつあった。それに伴う社会基盤の変化は、そこに住む人々の生存の条件も変えていった。「関西」なる地理的概念も、そこに根ざす文芸文化も、そうした国内外の緊張関係のなかで吟味する必要があるだろう。
具体的には、第一次世界大戦や関東大震災がもたらしたもの、二〇年代から三〇年代にかけての時代相の推移、「中央」・「地方」・「関西」の関係性、世界的同時性における都市モダニズムの影響、それらすべてが輻輳する関西文芸文化の傾向性など、問うべきことは少なくない。
また、それを担った当事者たちも一様ではなかっただろう。たとえば、関西出身でありながら、中央文壇とのかかわりで、戦略的に「関西」と向き合おうとしたもの。別の場所から関西に流着し、そこでの生活や労働を通して、表現の可能性を見出そうとしたもの。あるいは関西のメディアに関与し、みずから情報を発信しつつ、独自のネットワークを形成しようとしたもの、等々。それらが交差する地点を見定めるのも今回の課題となるだろう。
「《異》なる関西」とは、さまざまな当事者の視差を通してしか立ち上がらないのではないか。連続企画の最終回に、発表者のみならず多くの参加者のなかから、「《異》なる関西」の片影が立ち上がることを期待したい。
○大阪朝日新聞神戸支局員と鯉川筋神戸画廊の活動から見えてくる神戸の文化空間
大橋毅彦
前回の大会では、一九二〇年代の「大阪朝日新聞」神戸附録を通して見えてくる問題系が考察の俎上に上ったが、本報告の前半では、それを受け継ごうと思う。ただし、素材と考察角度はやや違えて、同附録の「雑草園」を主宰する岡成志・坪田耕吉・藤木九三といった神戸支局員らが、その後彼らの辿った経路が分かたれていったのとはある意味では対照的に、この時期、それぞれの才幹を生かして、どのように協働しながら、神戸の文化的土壌を耕す動きをとっていったのかを、「雑草園」の外にまで目を向けて考察する。具体的には、「神戸芸術文化聯盟」の機関誌「おほぞら」(一九二四・三)の存在を注視する。
発表後半は、元大阪毎日新聞神戸支局員大塚銀次郎によって一九三〇年に鯉川筋に開かれた「神戸画廊」に集った詩人と画家との交流が、太平洋戦争の激化に伴って閉廊するまでの間において、いかなるムーヴメントを作り出していったかを、画廊機関誌「ユーモラス・ガロー」を基に考える。他紙(誌)からの転載も含めて、竹中郁・川西英といったお馴染みの書き手も登場するが、記事全体の傾向を見ていくと、そこにはハイカラな神戸と同居する異なった神戸のイメージも浮上してくる。また、「上海に馴染の深い連中」との関わりが気になってくる記事もある。北園克衛が主催する「VOU」同人の浅原清隆がこの画廊に関係している。どういう結論を導き出せるか分からないが、少なくとも「雑草園」の園丁たちの活動を通じて見られた時とは異なる種々の力線が神戸の文化空間を走り始めているのを感じる。時間が許せば、「神戸版画の家」の存在や、同人の多くは西宮在住、しかるに寄稿家連の中には北園克衛、井伏鱒二、崎山猶逸・正毅兄弟がいる同人誌「薔薇派」、さらにまた小田実の小説「河」なども補助線として、この点を明らめたい。
○二人の五代友厚――直木三十五の「大阪回帰」をめぐって――
尾崎名津子
直木三十五は大阪―東京を往還しながら生きた。その途上で、プラトン社の社員時代に本格的な創作活動を開始し、また、菊池寛との関係を礎として『文藝春秋』の常連寄稿者となることを通じ、作家としての地位を確立したといえよう。そうした在り方は、永井龍男に「たいていの人には其生国らしい雰囲気なり、習慣なりがあるものだが、直木さんにはそれがない」(『故郷の無い人』)と言わしめ、「放浪者」としての直木像を造形させもした。
いわゆる東京〈文壇〉の中心人物となった直木は、最晩年に幾度か大阪を題材として執筆した。それは山﨑國紀が述べたように、「大阪回帰」(『知られざる文豪 直木三十五』)のようにも見える。具体的な著作に『大阪落城』や『大塩平八郎』(ともに1933年)などを挙げることができるが、本発表では『五代友厚』(1932年)を取り上げる。この作品は『直木三十五全集月報』第3号(1934年)の広告で「長篇小説」と紹介されているが、「私」=直木による〈大阪人〉への説教、会話劇、史料の引用など、質の異なる記述が混在する構成を具えている。こうした方法や記述の分析から、直木が五代、あるいは大阪を要請するモチベーションの在り処を可視化してみたい。その際は「ファシズム宣言」との脈絡も問うことになるだろう。
また、検討の際にはもう一人の五代にも登場してもらう。それは、織田作之助『五代友厚』(1942年)である。東京〈文壇〉の当事者である直木と、〈文壇〉との距離において自らの位置取りを試みた織田、それぞれの視座を突き合わせたところに浮上する視差から、幻視された〈関西〉の姿が見えてくるのではないだろうか。
○宣言としての言葉をどう再読するか――関西沖縄県人会機関紙『同胞』を読む――
冨山一郎
一九二〇年代以降の沖縄では、「蘇鉄地獄」と呼ばれるすさまじい経済的不況により、沖縄の外で生き延びることが常態化していった。この「蘇鉄地獄」は、グローバルな資本の再編過程に起因するものであり、アジア太平洋戦争末期に宇野弘蔵が大東亜共栄圏における「広域経済」として議論していく事態でもあるが、いずれにしても当時東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪は、こうした沖縄から流れ出した人々の生きていく場となったのである。こうした人々は、その場を自らが生きる場として、どのように描き出していったのか。あえて大袈裟にいえばそこには、グローバルな資本の展開を自らの歴史としていかに獲得するのかという問いがある。
沖縄を出た人々は、『同胞』、『大阪球陽新報』、『関西沖縄興信名鑑』、『沖縄県人住所案内』などの多くのメディアを生み出した。これまでこうしたメディアに所収されている文章は、社会運動や歴史研究の実証資料として用いられてきた。しかし報告では、こうした資料を、自らの生きる場を描き出し、なぜその場にいるのか、またその先にどのような未来をつかもうとしたのかということを考える言葉として、受け止めてみたい。その際、これまであまり検討されなかった、こうしたメディアに所収されている詩、歌、エッセイ、コラム、肖像写真、挿絵なども取り上げる予定である。先取りしていえば、こうしたジャンル横断的な表現は、現実の表象というより、「自分たち」と「生きていく場」を先取りしようとするある種の宣言ではないだろうか。それは沖縄からの流民たちが未決の未来に向けて歴史を確保しようとする言葉たちであり、報告ではそこに浮かび上がる大阪を、考えたい。
その際重要なのは、宣言において「自分たち」すなわち「我々=同胞」が先取りされようとするとき、刻印されていく傷があるということだ。それは神島二郎が「過去を語らない人々」と述べたこととも深くかかわる。周知のように神島は出郷した者たちが都市で作り上げる「自分たち」を「第二のムラ」と呼んだが、同時にこの「ムラ」に収まらない人々とその人々において抱え込まれた歴史があることを指摘しているのである(神島二郎『政治をみる眼』NHKブックス、一九七五年)。ここに宣言の宣言たるゆえんがある。宣言はやはり、無理に「我々」を創出し、歴史を獲得しようとする言葉なのだ。注視したいのはこの無理にかかわる強い思いであり、そして傷である。そこに別の言葉が始まらないか。再読において担いたいのは、この問いだ。
2017年 日本近代文学会関西支部春季大会 ご案内
・日時 2017年6月3日(土)午後1時~
・場所 同志社大学 今出川キャンパス・良心館 3階303教室
→交通アクセス・キャンパスマップ
【プログラム】
■開会の辞
同志社大学文学部教授 田中励儀
■自由発表
○安部公房「赤い繭」――変形する皮膚、変形する身体認識―― 岩本知恵
○武田泰淳とJ‐P・サルトル――『風媒花』における『自由への道』の影響をめぐって―― 藤原崇雅
■連続企画「《異》なる関西――1920・30年代を中心として――」
第四回「視差から立ち上がるもの」
○趣旨説明・司会 田口律男・木谷真紀子
○発表
・大阪朝日新聞神戸支局員と鯉川筋神戸画廊の活動から見えてくる神戸の文化空間 大橋毅彦
・二人の五代友厚――直木三十五の「大阪回帰」をめぐって―― 尾崎名津子
・宣言としての言葉をどう再読するか――関西沖縄県人会機関紙『同胞』を読む―― 冨山一郎
○質疑および全体討議
■閉会の辞
支部長 浅子逸男
■総会
※総会終了後、「アマーク・ド・パラディ」(寒梅館1階)にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生3000円)の予定です。