2016年 日本近代文学会関西支部春期大会ご案内

日時:六月四日(土)午後一時より
場所:花園大学 無聖館ホール五階
    →交通アクセスキャンパスマップ
内容
開会の辞:花園大学文学部長  松田 隆行
             
連続企画
「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」
第二回「根(ルーツ)を問う」(今回の趣旨と発表要旨はこちら)
         
趣旨説明、司会
     天野知幸
     福岡弘彬
発表
金達寿における関西―〈神功皇后の三韓征伐〉と「行基の時代」
                      廣瀬 陽一
織田作之助と川島雄三
                      酒井 隆史
講演
『京都』について
                      黒川 創
質疑応答
閉会の辞:支部長       浅子 逸男
総会
※ 総会終了後、花園大学「ふるーる」にて懇親会を開催します。
会費は五〇〇〇円(学生・院生三〇〇〇円)の予定です。

2016年度秋季大会・連続企画の募集案内

連続企画(第3回) シンポジウム 「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」
すでに総会・「会報」等で予告しておりますように、標記連続企画の第3回は、下記の趣旨に基づいた企画案を会員から募集しています。
2016年4月15日(金)を締切としていますので、企画趣旨、発表者、論題等の概要を添え、事務局宛にメールまたは郵送(締切必着)でお申し込みください。
趣旨
本企画は、関西の文芸文化の中でこれまで必ずしも光が当てられてこなかった対象――人・風土・メディアなど――を新たに考察・評価する試みである。ただ、本企画は、埋もれた対象の発掘作業に終始するものではない。その狙いには、自らの居るこの「関西」という場所自体を批評的に問い直し、既成の史的枠組みや知識で捉えられてきた関西における文芸文化の姿をも再考することを含んでいる。これまでの認識に揺さぶりをかけるような「《異(い)》なる関西」を探求することで、新しい文学観や地勢図が開かれるかもしれない。
 その検討に際し、ひとまず中心とするのは、1920・30年代である。この時期、大規模な経済的、社会的変動を背景としてモダン文化が勃興したことはよく知られているが、関西ではどのような動きがあったのだろうか。たとえば、佐藤春夫や稲垣足穂と関係の深い神戸の詩人、石野重道。彼はどのようなメディアに自身の作品を発表し、また、いかなるネットワークの中で活動していたのか。そして、彼(とその周囲の表現者たち)を創作へと駆り立てたエネルギーとは、いかなる強度と広がりを持つものであったのか。――一つの事象を核として明らかにされていく、まだ知られていない関西文芸文化の側面は、他にも多くあるだろう。
また、この時代の前後に、その検討対象を準備/継承/更新したものがあるのならば、それも議論の範囲に含めてもよいだろう。「関西」を軸に、既成の枠組みを問い直すダイナミズムやドラマを掬い上げることで、「関西」自体が内と外との双方に対して、その《異(い)》なる相貌を現すことを企図している。
支部内外からの様々なアプローチによって、新しい知見が議論を通して得られることを期待している。

会報22号発行

2015年10月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。
こちらからPDFデータでご覧いただけます。  >>会報22号
*本文データの容量が大きいので、ダウンロードに時間がかかる場合があります。

2015年 日本近代文学会関西支部秋季大会 シンポジウム趣旨・発表要旨

連続企画(第一回) シンポジウム 「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」
趣旨
 本企画は、関西の文芸文化の中でこれまで必ずしも光が当てられてこなかった対象――人・風土・メディアなど――を新たに考察・評価する試みである。ただ、本企画は、埋もれた対象の発掘作業に終始するものではない。その狙いには、自らの居るこの「関西」という場所自体を批評的に問い直し、既成の史的枠組みや知識で捉えられてきた関西における文芸文化の姿をも再考することを含んでいる。これまでの認識に揺さぶりをかけるような「《異(い)》なる関西」を探求することで、新しい文学観や地勢図が開かれるかもしれない。
 その検討に際し、ひとまず中心とするのは、1920・30年代である。この時期、大規模な経済的、社会的変動を背景としてモダン文化が勃興したことはよく知られているが、関西ではどのような動きがあったのだろうか。たとえば、佐藤春夫や稲垣足穂と関係の深い神戸の詩人、石野重道。彼はどのようなメディアに自身の作品を発表し、また、いかなるネットワークの中で活動していたのか。そして、彼(とその周囲の表現者たち)を創作へと駆り立てたエネルギーとは、いかなる強度と広がりを持つものであったのか。――一つの事象を核として明らかにされていく、まだ知られていない関西文芸文化の側面は、他にも多くあるだろう。
また、この時代の前後に、その検討対象を準備/継承/更新したものがあるのならば、それも議論の範囲に含めてもよいだろう。「関西」を軸に、既成の枠組みを問い直すダイナミズムやドラマを掬い上げることで、「関西」自体が内と外との双方に対して、その《異(い)》なる相貌を現すことを企図している。
支部内外からの様々なアプローチによって、新しい知見が議論を通して得られることを期待している。
発表要旨
一九二〇年代~三〇年代の大阪文化・文学研究―『大阪時事新報〈文芸欄〉』を視座として―
増田 周子
大阪市は、大正一四(一九二五)年四月一日、東西南北の四区に周辺地域を合併し、東京市を抜き、世界第六、日本第一の巨大都市となった。「大大阪」時代の到来である。大正一二(一九二三)年の関東大震災で東京が大打撃を受け、谷崎潤一郎ら有力作家が関西に移住し、関西にとっては文化発展の絶好のチャンスであった。「大大阪」時代前後は、カフェサロンに集まった人々が担った文化活動も発展し、活気づいた大阪の様子が見られ華やかである。一方、昭和金融恐慌の時期とも重なり、失業者も増え、厳しい面も見られる。すなわち、モダニズム文学の隆盛の一方で、社会主義文学も発展していく状況下なのである。これら、「大大阪」時代周辺の大阪文化や文学―人・風土・メディア─とはどのようなものであり、作家達を創作へと駆り立てたエネルギーとは、いかなる文化強度に支えられていたのであろうか。本発表では、これまでほとんど取り上げられてこなかった『大阪時事新報〈文芸欄〉』をもとに、その他のメディアでの文化活動も視野に入れ、広く大阪文化やメディア作家を見渡し、興味深い点を拾い上げて考察していきたい。当時の大阪文化を見直すことで「《異》なる関西」の諸相を探求することを目的とする。
昭和初期・神戸の文学青年、及川英雄――文学における中央と地方
大東 和重
近代日本において「文壇」と呼ばれるものは東京にあった。しかし地方都市にも、規模は異なるが文学愛好者たちのつながりがあり、文学活動が行われていた。ことに高等教育機関の整備が進み、同人雑誌が盛んに刊行される一九二〇年代以降、中央からの刺激を受けつつ、各地で無数の文学青年たちが活動した。
本報告では、昭和初期の神戸で、公務員として働く傍ら文学への情熱を燃やし、東京の雑誌や同人雑誌にも関わった、及川英雄(一九〇七─七五年)の活動の輪郭を描きつつ、関西の港町にあって創作することの意味を考えてみたい。及川英雄は関西学院大学神学部を中退後、同人雑誌などで文筆活動に励むも、一貫して神戸に住み、衛生・福祉行政を中心に県庁勤務を四十年間続けた。戦後は神戸の文化人サークル「半どんの会」の世話役として兵庫文化界の中心人物の一人となった。
昭和初期の神戸の文学については、林喜芳『神戸文芸雑兵物語』や足立巻一『親友記』など当事者の回想以外に、宮崎修二朗の労作『神戸文学史夜話』、高橋輝次の『関西古本探検』など一連の古本エッセイ、さらに詩人の季村敏夫による、無名であることにこだわった渾身の考証、『山上の蜘蛛』『窓の微風』がある。これら、神戸の詩人や作家たちへの深い愛情と哀悼に満ちた書物に導かれつつ、昭和初期・神戸の文学の一端を、及川を通して眺めてみたい。
熊野新宮─「大逆事件」─春夫から健次へ
辻本 雄一
 紀伊半島の先端近く、ひとつの町・熊野新宮の近代の歩みが、「日本近代」の縮図として映らないか─そんな「大風呂敷」。
 開明的、進取の精神が、反骨の精神と相まって、人々を捉える、そこに「大逆事件」の衝撃。外から訪れてくる人たちによって談論風発した町が、「恐懼せる町」に変貌、ふるさとから上京した人たちは、モダニズムと出合う、「大逆事件」の翳りをどこかで引き摺りながら。佐藤春夫から中上健次へ、「近代の文学」といわれた時代を駆け抜けたこの町出身の文学者たち。
「中上文学」の登場は、あらためて「熊野」と言う場を、普遍的な場として意識させ、内在的に「熊野」の磁場を問いかけることになった。「中上文学」の課題「路地解体」は、わが国の国土解体の象徴では。
 一九二〇―三〇年代というかたちで、絞りきれないかもしれないが、断片的、大まかすぎると自覚しつつ、幾つかのエポックを辿ってみたい。「大風呂敷」に似合わない些末なことに終始するのではないかとの危惧を抱きながら。

2015年 日本近代文学会関西支部秋季大会ご案内

日時:11月7日(土) 午後1時より
場所:大阪大学豊中キャンパス 文法経講義棟 文41
         → 交通アクセス&キャンパスマップ
内容
開会の辞
   大阪大学大学院文学研究科教授    出原 隆俊
シンポジウム
「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」 
(連続企画第一回;本企画の趣旨と発表要旨はこちら
趣旨説明、司会 
    高木 彬
    山田 哲久
報告
 一九二〇年代~三〇年代の大阪文化・文学研究―『大阪時事新報〈文芸欄〉』を視座として―
                       増田 周子
 昭和初期・神戸の文学青年、及川英雄―文学における中央と地方
                       大東 和重
 熊野新宮─「大逆事件」─春夫から健次へ
                       辻本 雄一
ディスカッサント  山口 直孝
閉会の辞    
   日本近代文学会関西支部長    浅子 逸男
総会
総会終了後、大阪大学カフェ&レストラン「宙 (sora)」にて懇親会を開催します。
会費は五〇〇〇円(学生・院生三〇〇〇円)の予定です。

会報21号発行

2015年5月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。
こちらからPDFデータでご覧いただけます。  >>会報21号

*本文データの容量が大きいので、 ダウンロードに時間がかかる場合があります。

2015年度 日本近代文学会関西支部春季大会発表要旨

自由発表
徳富蘆花「灰燼」と<西郷隆盛>

平石 岳

 西南戦争中からジャーナリズムによって喧伝された西郷隆盛らの戦闘は、錦絵や絵本によって物語化され、西郷の死後も「西郷星」や生存説が度々噂になり、正三位も追贈された。このような〈西郷隆盛〉の世論人気と社会的復権は、明治三一年の上野公園西郷隆盛像に結実することになった。しかし、犬を連れた兵児帯姿のこの銅像は、小騒動を引き起こすことになる。
 本発表では、上野西郷像落成前後の雑誌新聞言説を確認し、その上で徳冨蘆花「灰燼」(明治三三年三月)において、「疫病神」「福神様」と変転する〈西郷〉の評価に注目する。「灰燼」では、西南戦争に西郷側として従軍した上田茂が、家名を楯に自刃を迫られた後、「村の悪感」が上田家に向けられ、その際の「言葉」「囁」は、「幸福な者」「嫌な者」と変転する。それは、作品内での〈西郷〉への評価に重ね合わせられており、「叛逆者」であり「英雄」でもあるという〈西郷〉の二面性が巧みに用いられているのである。
 ベストセラーとなった作品集『自然と人生』の巻頭作としてある程度の評価を得ている「灰燼」ではあるが、本発表では初出の『国民新聞』版を参照する。実兄蘇峰が帝国主義・膨張主義へと「変節」し、強烈な批判を受けながら自説を展開していく『国民新聞』上で、西郷びいきの蘆花が、新聞小説としての「灰燼」をどのように構成していったのか。これまであまり注意されていなかった蘆花のメディア意識と、民友社作家としての文学的営為を探りたい。
『草枕』
     ―オフェリヤの「合掌」を中心に―

原田 のぞみ

 『草枕』におけるJ・E・ミレイ「オフィーリア」(一八五一~一八五二)の「合掌」については、「漱石は『草枕』のテクストに、ミレーの原画にはなかった祈りの手を作為的に持ちこんだのだろうか。あるいは、ただの記憶の誤りにすぎなかったのだろうか」(前田愛)「画工であるにもかかわらず、そんな不注意をおかす「余」」(中山和子)とも言われてきた。しかし『草枕』での「合掌」は、西洋キリスト教美術におけるオランスの翻訳と思われ、漱石はミレイ「オフィーリア」の原画にある、魂の救済のポーズにも注意を払っていたことが窺える。
 溺死する直前に「合掌」(オランス)して川を流れるミレイ「オフィーリア」に対し、画工は「ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい」として、苦しみなく楽しげに「往生」する那美を画題に選ぶ。『草枕』では様々な東西の事物が対比されるが、ミレイ「オフィーリア」と画工の構想する画題との間にも、キリスト教的要素と仏教的要素の対比がなされていると思われる。他にも、『草枕』に登場する水死の女性のイメージには「功徳」や「南無阿弥陀仏」など仏教的な救いのイメージが絡み合っており、「ただ美しい感じが読者の頭に残りさえすればよい」として書かれた『草枕』ではあるが、その背後には、漱石の無意識や強迫観念のなかにある生死観のテーマも潜んでいるのではないかと推測される。
「文章世界」の小説指導
     ―田山花袋編『二十二篇』に見るその傾向―

山本 歩

 本発表は、田山花袋研究からの展開として、博文館投書雑誌「文章世界」における小説の指導形態について考察するものである。とりわけ、明治四十三年一月に花袋選として刊行された、投書傑作選『二十二篇』を中心に論じたい。
 『二十二篇』には、水野仙子をはじめとして「文章世界」常連投書家、計十三名二十二作品が収録された。元より、「文章世界」上で花袋が選者をしていた「懸賞小説」欄の受賞作を選りすぐったものだ。すなわち、花袋の求める文学青年像に基づき選抜されている。作品は、①ローカルな事象の「観察」「描写」、②生活の倦みや寂寞を主題とする、③感傷の排除、という事項を含有しており、そこに花袋が育成しようとした作家像が見てとれる。
 花袋の小説選評は、彼自身の主張の変遷と、本質的な趣味に左右されながらも、投書家に一定の傾向を強いることとなった。彼ら彼女らの〈書く〉行為に、自己慰藉以上の意義を与える一方で、それは作品内容を限定していくこととなる。一方、その指導の絶対性を支えたのは、作家が「先生」すなわち教育者として見做されたことだろう。小説の創作法を矯正し、折々には地方に生活する彼ら彼女らの生を肯定する、そのような言説にこそ、「文章世界」の誘引力はあったと思われる。
 誌上の言説は、編集者前田晁をして「主義の宣伝と使徒の養成」と言わしめた。その意義と弊害を具体化するとともに、埋もれていった「投書家」たちの存在を明らかにもしていきたい。
(『二十二篇』は現在、国立国会図書館ウェブサイト「近代デジタルライブラリー」から閲覧が可能である。)
太宰治「きりぎりす」の一考察
     ―「背骨にしま」われた「私」の葛藤―

山田 佳奈

 太宰治「きりぎりす」は、昭和十五(一九四〇)年十一月一日発行の「新潮」に発表された。「おわかれ致します。」の一文で始まるこの小説は、画家で夫の「あなた」との結婚生活を振り返る「私」の、女性一人称語りで描かれている。中でも「私」が、「小さいきりぎりす」を「背骨にしまって生きて行こう」とする最後の場面は印象深い。
 「きりぎりす」は、同時代から現在まで、〈俗〉と〈反俗〉をめぐって議論がなされ、「私」は常に〈反俗〉の役割を担ってきた。本発表ではこの構図を打ち破るべく、〈読者〉を問題視する。具体的には、①太宰らしき人物を視点人物とする癖、②男性中心主義に基づいて読む癖、読者のこれらの癖が、「あなた」の視点で語りを読解する原因になっていることを述べる。しかし、「きりぎりす」が女性一人称語りである以上、「私」の語りは、本来「私」の視点から捉えるべきである。こうした観点から語りを検討すると、存在意義を認めてほしい思いと、自立が難しい現実との間に生じた「私」の葛藤が明らかになる。「私」はこの葛藤を「背骨にしまっ」た。つまり、語りの目的は「私」の気持ちの整理にあり、決して〈反俗〉にあるのではない。
 本発表では、この読みを丁寧な分析のもとに実証し、「きりぎりす」の新解釈だけでなく、自らの先入観に無自覚な読者を明らかにする。これらの指摘は、太宰の女性語り作品を読む際の陥穽に言及することにもなると考えている。
中島敦《南島譚》考
     ―〈病〉と〈南洋〉―

杉岡 歩美

 中島敦は自身の〈南洋行〉体験(昭和十六年六月~昭和十七年三月)のあと、昭和十七年十二月に〈南洋もの〉として《南島譚》との総題のもとで「幸福」「夫婦」「鶏」の三篇を発表している。
 本発表では、まず、当時の〈南洋〉における〈幸福〉概念が、近代的「教育」と近代的「医学」によって、その「原始的なる」生活を改善すること、つまり「島民教化」に結びついていた点を明らかにする。たとえば、後に中島自身も編纂に関わった「南洋群島国語読本」の第二次編纂根本方針にも「一に国語を学習することによつて、島民の幸福を増進することを第一義と致しました」と明記される。また、矢内原忠雄『南洋群島の研究』には、「日本時代に於ては、医療機関の増加は普通教育機関の増加と相併ぶ二大文化的施設」とある。ここから南洋庁が、「教育」と並ぶ「島民教化」の方法として「医療」を重視した方針が見受けられよう。
 そのうえで、中島の「幸福」「夫婦」「鶏」の三篇に〈病〉というキーワードが共通していると指摘したい。「幸福」には「文化」のもたらした「悪い病」に罹った「男」が、「夫婦」には「悪い病のために鼻が半分落ちかかつてゐたが、大変広い芋田を持つた・村で二番目の物持」である「男」が、「鶏」には「喉頭癌とか喉頭結核とか」に罹った「マルクープ老人」が描かれる。これらの〈病〉の描かれ方を通して、中島が〈南洋〉での〈幸福〉をどのように作品に入れ込んだのか、考察を深めていきたい。

2015年度 日本近代文学会関西支部春季大会ご案内

※発表要旨>>こちら

日時: 2015年6月6日(土) 13時00分から18時00分
会場: 武庫川女子大学中央キャンパス 文学部2号館・L2-11教室

内容:     
・開会の辞   

武庫川女子大学 文学部長 玉井 暲

自由発表
・徳富蘆花「灰燼」と<西郷隆盛>

平石 岳(同志社大学大学院生)

・『草枕』
   ―オフェリヤの「合掌」を中心に―

原田 のぞみ(近畿大学研修員)

・「文章世界」の小説指導
   ―田山花袋編『二十二篇』に見るその傾向―

山本 歩(関西学院大学大学院生)

・太宰治「きりぎりす」の一考察
   ―「背骨にしま」われた「私」の葛藤―

山田 佳奈(武庫川女子大学大学院生)

・中島敦《南島譚》考
   ―<病>と<南洋>―

杉岡 歩美(花園大学非常勤講師)

・閉会の辞   

日本近代文学会関西支部長 花園大学 浅子 逸男

・総会
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※総会終了後、武庫川女子大学公江記念講堂地下食堂「アゼリア」にて懇親会を開催します。
  会費は五〇〇〇円(学生・院生三〇〇〇円)の予定です。