2024年度の日本近代文学会関西支部春季大会の日程・会場校は、下記の通りです。
日 程: 2024年 6月1日(土)
会場校:帝塚山大学 東生駒キャンパス
皆さまのご参加をお持ちしております。
日本近代文学会関西支部(Association for Modern Japanese Literary Studies: Kansai Branch)に関するさまざまな情報をお届けします
2024年度の日本近代文学会関西支部春季大会の日程・会場校は、下記の通りです。
日 程: 2024年 6月1日(土)
会場校:帝塚山大学 東生駒キャンパス
皆さまのご参加をお持ちしております。
2023年度日本近代文学会関西支部秋季大会では、4年ぶりに飲食ありの懇親会が開催されます。皆様ふるってご参加ください。
懇親会にご参加希望の方は、下のURLより、グーグルフォームにて参加申し込みをお願いします。締め切りは11月5日(日)です。
新型コロナウイルスの感染状況などによって懇親会が開催できないような場合は、関西支部公式ブログに情報をのせます。
[発表要旨]
小杉天外「魔風恋風」論──「女学生」をめぐる言説の変遷と立身出世──
吉井 美稀
小杉天外「魔風恋風」は、女子教育の理念が西欧志向の女性論から富国強兵の思想に基づく良妻賢母主義へと変化していた明治三六年、当時の『読売新聞』による女学生バッシングの中で同紙に連載が開始された。焦点となった「女学生の堕落」について、土佐亨(一九七五)は天外が示唆したモデルを推定・考察し、菅聡子(二〇〇一)は主人公の萩原初野が堕落する過程に読者の興味を転換させたと述べているが、作中で女学生への攻撃として初野に向けられる罵倒は世論の受け売りにしかすぎない。それに対し、初野の抱く立身出世欲は明治維新後の身分制度廃止に伴う明治政府の政策、福沢諭吉『学問のすゝめ』をはじめとするベストセラー、さらに雑誌『成功』などが主に苦学に励む庶民やエリート青年を想定して牽引した社会的上昇欲求と似通っており、女学生よりむしろ青年男子の立身出世観を持つ初野に、作中においても現実問題に裏打ちされた批判が加えられている。
本発表では、初野の立身出世欲に着目し、「女学生の堕落」にまつわる作品評価を超えて本作を読み直す。具体的には、物語の進行を追いながら『読売新聞』の読者投稿欄や特集記事などをもとに論調の変化を検証しつつ、本作が当初の堕落女学生を扱った写実小説の立場を脱却していく過程について論証していきたい。特に、天外が初野を女学生でありながら立身出世という男性の領域に踏み込ませた試みは、現代においても再評価の余地があると考えている。
批評の萌芽──小林秀雄「からくり」論──
佐々木 梓
小林秀雄の小説「からくり」(『文学』一九三〇年)を収録した単行本『文芸評論』(一九三一)には、目次における小説や評論等の区分はない。「様々なる意匠」(一九二九)や「志賀直哉」(一九二九)よりも前の冒頭部分に本作は位置し、以降は評論が並ぶ。一方で、一九三〇年前後の小説も収めた『一つの脳髄』(一九三三)に本作は見えない。小説作品中、本作のみが評論集『文芸評論』での初収録であり、小説・評論の区別のない構成において、本作は評論作品ときわめて近い位置付けがされているといえる。
本作について先行研究では、構成や評論との関連こそ指摘があるものの、読書行為を通じた主人公の視座の変化に関する十分な分析は未だなされていない。その分析を行うことで、本作における対象を〈見る〉行為が、批評行為において対象を受容するといういわば初発期の段階の表現であることを明らかにする。
本作の主人公「俺」は、冒頭で活動写真をまやかしのように感じる。その後、ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』に感銘を受けた翌朝、「俺」は従弟からの絵葉書を手に、旅先の従弟の見た渡り鳥を探して空を見る。活動写真を観る冒頭と比べ、結末では、「俺」の視界と、葉書の空間との境界が曖昧になる。その変化には、前夜の、いわば作品への没入体験に近い読書行為が起因している。同じラディゲ作にもかかわらず、作中で評価されない『肉体の悪魔』と比較し、『ドルジェル伯』が「俺」に及ぼした影響を分析する。そのうえで、作中の〈見る〉行為が、自己の認識の中で対象を再生成する営為であることを示す。その営為はまさに、『文藝評論』収録作品に代表される、同時期の批評との連続性を有しているのである。小説の形態でありながら、「からくり」には〈批評〉という営為の萌芽が表れているといえる。
三島由紀夫「火宅」論──占領期の言語空間を背景に──
霍 思静
三島由紀夫自ら処女戯曲と位置づける一幕物「火宅」(『人間』一九四八・一一)は、三島戯曲の初上演として俳優座で上演された。本作をいち早く論じた天野知幸(一九九七)は、戦後の「知識人」論争を踏まえて類型的な「知識人」の造形を貞次郎に見る。また、大橋裕美(二〇〇六)は、郡虎彦「道成寺」からの影響を指摘し、上演の状況を確認しながら幕切れの「紅蓮の焔」について考察した。それらでは、批評の言説あるいは戦後新劇の状況を中心として考察が展開されているが、作品そのものについては解釈の余地が残されている。
三島が「戦後の社会が火宅に象徴される」と自ら解説するように、本作は敗戦後の日本社会の状況を描いている。それを表象する細部に目を向けたい。たとえば作中、新聞を携えて登場する貞次郎は、それを昼過ぎまで読み耽る。彼が語る「夕刊の来ないやうな世」は、閉ざされた占領期の言語空間を寓意していると見ることができる。また、妻の千代子と娘の千賀子がそれぞれ、貞次郎と対峙する場面が用意されている。千代子と千賀子による貞次郎批判の構図は天野論においても指摘されているが、それはあくまでも貞次郎の視点からの解釈であり、母と娘の関係は不透明である。本発表では、作中人物の相互関係を明らかにしつつ、占領期の言語空間を作品と照らし合わせ、「火宅」における新聞や小3 説、映画といったメディアの表現と戦後という時代との関係を考察する。
三島由紀夫「貴顕」論──ペイター受容と「肖像画」をめぐって──
福田 涼
「貴顕」(『中央公論』一九五七・八)の語り手は、自らがものする「肖像画」の「筆致」について、「多分ペイターの短篇小説」のそれに「似るであらう」という。これを承け、先行論では本作におけるペイター受容の内実が探られてきた。十枝内康隆(二〇〇二)は、柿川治英の外見描写を視座として、両者の「筆致」の相似点を浮き彫りにしながらも、「物語作家」としての三島と、「純粋な肖像画」の書き手としてのペイターとの違いを強調する。新井正人(二〇一三)は『ウォオルタア・ペイタア短篇集』(工藤好美訳、岩波書店、一九三〇・一)の「序」を踏まえつつ、ペイターの作品が内包する「描かれたもの」(内容)と「描き方」(形式)との「完全な一致」、あるいは「外面」描写と「内面」の表現の相即といった要素が、本作に齎した影響について考察している。
ただし、語り手が再三にわたり言及する、本作の「肖像画」という位置付けとペイターの諸作との関係については、充分な検討が為されてこなかった。本発表では、ペイターの「イマジナリイ・ポートレート」と「貴顕」の語りの構造を比較し、「肖像画」を自称する本作の語りの起点が「彫刻」の如き治英の「死顔」にあること、すなわち(新井論が着目する、治英の人となり自体とは異なる点において)「描かれたもの」と「描き方」とが共に「芸術」であるという「一致」を示していることを明らかにする。その上でペイター『藝術復興』(一八七三)も参照しつつ、「亡友」を「肖像画」という「平面」に封じつつ、自らを「肖像画家」=「芸術家」として規定する語り手の企てについて論じたい。
安部公房『砂の女』論──変革する「砂」──
長澤 拓哉
一九五〇年代の安部公房は、作家であると同時に前衛芸術運動と社会運動の担い手でもあった。六〇年代に入ると作家活動に重点を置くようになるが、その出発点となった『砂の女』(新潮社、一九六二)は、国内外での評価を一気に高め作家にとって大きな転換点となった作品である。背景には、共産党から除名され、政治的に転向したかに見える安部の動向があった。
かつて佐々木基一は主人公仁木順平に戦後の政治的文脈における「変革者」の姿を見たが、以来本作の研究は、仁木の「変貌」に疎外状況とそこからの脱出を見るもの、「女」との関係を論じたもの、「砂」の表象における花田清輝との関係を論じたものなど様々な方向に展開してきた。これらはいずれも「砂の部落」を同時代の「現実社会」の寓意とする読みを前提としている。だが、仁木の日常と地続きである都市のシステムの中に内包される空間として表象されていることを鑑みれば、「砂の部落」は寓意としてよりもむしろ現実的状況そのものとして捉え直されるべきである。
本発表では、五〇年代後半における安部の社会認識に注目し、「砂の部落」が表象する階級構造について考察する。そこに見られるのは「労働階級」の生活であり、彼らと仁木の関係には大衆と知識人の乖離という安部の共産党批判を見ることができる。加えて、外部の視点が置かれている作品構造に注目し、安部が模索してきた「記録芸術」の方法の反映を明らかにする。安部の大衆芸術の創造による戦後日本社会の革命の出発点として本作を位置付けることが本発表の狙いである。
筒井康隆と演劇的小説──短篇「家族場面」分析から見えるもの──
太田 帆南
筒井康隆「家族場面」(『SFアドベンチャー』一九九三年四月号)は、主人公の「おれ」が観ている夢の場面が次々に転換され、その都度「おれ」の設定も変わっていくという短篇小説である。本作には登場人物が自らの役割を模索し、即興で「演じている」というある種の演劇性を含んだ描写が見られる。この場合の演劇性とは、作中人物の行動が実際の舞台上での演技行為と重なることを指し、さらに筒井は一九八二年に「筒井康隆大一座」で旗上公演を行い、主役を演じるなど演劇活動に対しても精力的であったこととも関係が深いことだと考えられる。また筒井は、自身を「あきらかに作家でありながら役者である」とした上で、演技行為を通して作品世界を解釈する必要性を述べているが、これまでに筒井の小説作品と演劇性の関係を詳細に論じた研究はなかった。そこで本発表では、短篇「家族場面」内の「おれ」が即興的に役割を演じていく姿に注目し、このような要素が作品世界を支えているということを指摘する。
さらに、谷崎潤一郎賞を受賞した長篇「夢の木坂分岐点」(一九八七年 新潮社)の中でも、主人公の精神的問題に向き合う際に「サイコドラマ」という即興劇が用いられている。このように筒井が繰り返し主題としている、作中人物が自覚的に役割を演じるという設定が象徴するものを「家族場面」分析から探り、そしてそれは筒井康隆本人の演劇観と深く関係しているということを明らかにする。
2023年度の日本近代文学会関西支部秋季大会の日程・会場校は、下記の通りです。
日 程: 2023年 11月12日(日)
会場校: 近畿大学
皆さまのご参加をお持ちしております。
[企画要旨]
二〇二三年の春季大会では、「〈中島敦〉の現在とこれから」と題する特集を組み、〈中島敦〉文学研究の先端を見つめ、その可能性と問題について考えたい。はたして、文学史に確固とした位置を占める〈中島敦〉の文学をあらためて現代にひらくことは可能だろうか。
〈中島敦〉の文学は、これまでに多くの論者による検討がなされ、研究の厚い蓄積を誇っている。〈南洋行〉や〈朝鮮〉での動向について丹念な調査がなされ、〈中島敦〉と〈植民地〉の関係が盛んに議論されてきた。〈中国古代〉や〈漢詩〉、〈西洋〉の文学や思想に着目した比較文学研究や典拠研究も盛況である。国語教科書においては、「山月記」が定番教材として不動の地位を占めており、次々に研究論文、教育論文が発表されている。このように活況の〈中島敦〉研究の先端では、どのような可能性と問題が生じているのだろうか。
たとえば、〈中島敦〉のオリエンタリズムや他者へのまなざしは、今日どのように評価され、あるいは批判されるべきなのか。比較文学研究や典拠研究は、〈中島敦〉文学の全体像や作品の読みをどのように更新させるのか。作品論が集中する「山月記」では、李徴の「人間性」を道徳的に批判する読み方が依然として教育現場を中心に根強く広まっている一方で、作品の〈語り〉に注目が集まるようにもなっている。〈語り〉の権力性を批判的に検討する視点は、作中人物の人間性の分析に重点を置く読みをどのように相対化しているのか。これまでの研究の成果は、これから私たちが生きていく現代の社会や教育の現場にどのような光をもたらすだろうか。
本特集では、まずボヴァ・エリオ氏に「中島敦の文学における言語と死」と題して、「山月記」をはじめとする「古譚」の作品を中心に、死に抗する言語の位相についてご発表いただき、次に渡邊ルリ氏に「中島敦における典拠受容と創作」と題して、自筆草稿の推敲過程などを手掛かりに、典拠から独自の人間像を彫り上げる中島の創作手法についてご発表いただき、最後に高芝麻子氏に「中島敦文庫の漢籍から考える唐人李徴」と題して、漢籍の考察によって李徴の造形の背景をさぐるご発表をいただく。お三方のご登壇と質疑応答によって、本大会が、〈中島敦〉研究の先端からさらに前進する絶好の機会となることを期待している。
[発表要旨]
ボヴァ・エリオ「中島敦の文学における言語と死」
中島敦の文学は、なぜこんにちもなお面白いのか。その文章と内容に魅力が認められるのは当然として、特定の時代性を表現しながら、そこに(日本に限らず世界の)二〇世紀につながる問題性が内在しており、後の時代に通じるものを残しているのも理由のひとつである。すなわち、中島後の文学や文芸批評あるいは哲学を経験し受容した現代においても、中島敦の文学が(なおも)通じるということである。
〝通じる〟ものの一つに言語(languelangue)の理解がある。この度、「文学史に確固とした位置を占める〈中島敦〉 の文学をあらためて現代にひらくことは可能だろうか」という、本大会の趣旨文中にあがるこの問いに接近しながら中島敦の文学における〈言語と死〉の考察を試みたい。
本発表では短編集『古譚』の作品を念頭に置きつつ、〈死〉の脅威に抗して、永遠を語る言説(ディスクール)、というよりも、永遠の語りではもはや自らを支えられない永遠的な言説になる――自らを無限に追い求める運命にある――言語の位相を捉える。「狐憑」、「木乃伊」、「文字禍」、「山月記」から浮かび上がる言葉と文字、ナレーションの理解、最終的にその古の譚の相を現代につないで考えていきたい。
渡邊ルリ「中島敦における典拠受容と創作」
中島敦作品の主要な漢籍典拠(原話)は、ほぼ特定されているが、構想や表現を採り入れたものや、主題や挿話の本質に関わる〈隠された典拠〉が、平成以後も見いだされている。
漢籍典拠をもとに人間の生を創作するとき、中島敦は、①典拠の記述を活かし、②類似する表現を違う文脈に移して意味を転じ、③典拠を大胆に改変して新たな挿話を加える。たとえば『山月記』で虎になることを〈酔ふ〉と語るのは、典拠の一つ『人虎傳』(『唐人説薈』)にあるが、『人虎傳』の李徴が虎の記憶を語るのに対して、『山月記』の李徴の〈虎の時間の記憶がなく、人間の時間を失いつつある〉改変は、己の残虐な所業を直視し難く、人間の心を失うことを何より懼れる語りに結びついている。「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」(性情)を内なる虎とし、袁傪に「何処か(非常に微妙な点に於て)欠ける所」を感知させたのは創作だが、中島はこの二つを直接関連させず、同時に、李徴に詩の理想や意味を語らせず、彼の「詩人」像を外面的表現にとどめている。
歴史的文献を以て語る中島作品の語り手は、時には人物の心情に成り代わり、時にはその意識を超えて人物を形容し評価する。李徴・蒯聵・叔孫豹・紀昌・子路・李陵は、情況も性情も異なるが、人ならばありうる錯誤を重ねる人間であり、それを照らす別の視座をどこ(誰)に置き、彼らがどのような認識に導かれるかにも違いがある。中島は人物に認識の限定性を与え、その悔恨と自己発見においても至りえない限界を描出する。
本発表では、自筆草稿の推敲過程も手掛かりにして、典拠から独自の人間像を彫り上げる中島の創作手法を読み解きたい。
高芝麻子「中島敦文庫の漢籍から考える唐人李徴」
中島敦は「山月記」において、李徴が虎となった理由を李徴自らに「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ」と語らせている。虎になってなお「己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがある」と述べるほどの詩への強烈な執着は、『太平広記』や『唐人説薈』の李徴の物語からは読み取れない、敦の独創である。本発表では敦が李徴をこのように造形した背景について、出典考証とは異なる角度から漢籍に基づき考えてみたい。例えば、中島敦文庫(神奈川近代文学館蔵)の四部叢刊本『唐詩紀事』巻三十八には、「則僕宿昔之縁在文字中矣(つまり私は前世から文字との因縁があったというわけだ)」「役声気連朝接夕、不自知其苦非魔而何(声をからして朝から晩まで、つらいとも思わず(詩を作り続ける私は)魔でないとすれば何だというのだ)」など白居易自身の詩への執着が表明された部分に、朱で傍点が附されている。傍点を打ったのが敦であるか、父田人らであるかは不明であるが、漢学の家系中島家で共有されている唐詩人イメージがあると仮定すれば、上記のような句読・傍点箇所の検証は、「山月記」研究にいくらかでも資するものとなりうるのではないか。そのような視点に立ち、中島敦文庫の集部の漢籍の句読・傍点箇所を中心に検討し、漢籍から李徴の苦悩に光を当ててみたい。
2023年度 日本近代文学会関西支部秋季大会
自由発表・パネル発表
募集のお知らせ
日本近代文学会関西支部では、2023年度日本近代文学会秋季大会における
自由発表を募集いたします。支部会員のみなさまの積極的なご応募を
お待ちしております。
開 催 日 :2023年11月12日(日)
会 場 :近畿大学
開催形態 :会場校開催(対面形式)
応募締切 :2023年7月10日
(会場、開催形態については予定です。)
自由発表
●募集人数 若干名
●発表時間 30分程度
●応募情報 発表題目
発表要旨(600字程度)
※(応募段階における)結論までを書いてください。
氏名・所属・メールアドレス・電話番号
パネル発表
●募集数 若干数
※グループ内の発表者数は企画者に一任いたしますが、
必ず関西支部会員を1名以上入れてください。
●時間枠 2時間程度
※質疑応答を含めた時間配分は、企画者に一任いたします。
●応募情報 発表題目
趣旨文(1,000~1,500字)
登壇者全員の氏名・所属、発表における役割分担
責任者のメールアドレス・電話番号
下記の住所もしくはメールアドレスまでお送りください。
【送付先】
〒630-8506 奈良市北魚屋西町
奈良女子大学文学部 吉川仁子研究室内
日本近代文学会関西支部事務局
kindaikansai@gmail.com
※ ご不明な点がございましたら、事務局までお問い合わせください。