2020年度関西支部秋季大会の開催形態について

2020年度関西支部秋季大会は、全国大会との合同開催として近畿大学を会場校に予定しておりましたが、現コロナ禍により、日本近代文学会秋季大会の開催形態は、オンライン上での大会へと変更することになりました。大会参加などの詳細につきましては、日本近代文学会本部より送付されております「会報」133号(39頁・会報別紙)、もしくは「日本近代文学会公式ウェブサイト」例会・大会の項をご確認ください。

【重要】2020年度関西支部秋季大会について

2020年度日本近代文学会秋季全国大会は10月24日(土)・25日(日)、近畿大学での開催を予定しております。これに伴い、関西支部秋季大会は全国大会との合同開催となります。秋季大会の発表募集につきましては、日本近代文学会『会報』132号(2020年4月)の62ページに掲載されています。全国大会との合同開催の旨、既に4月27日より関西支部HPブログにて告知させていただいておりましたが、本書におきまして改めて募集の案内詳細を差し上げる次第です。
【個人発表】
①タイトル、②発表内容(800字以内)、③これまでの研究史における本発表の意義(400字以内)を、関西支部事務局宛にお送りください。発表は他学会等で未発表の内容に限ります。また、応募時に関西支部の会員であることが必要です。発表時間は30分以内です(質疑応答を含めて40分)。
【パネル発表】
共通テーマの主旨(全体で2000字以内)を、代表者名や役割分担(ディスカッサントなども含む)が明確になる形でまとめてください。代表者は会員に限り、会員外の報告者は半数以下とします。発表時間は2時間半程度とし、そのなかにフロアとの質疑応答の時間を必ず含めてください。
【締め切り等】
応募の締切りは、6月1日(月)です。日本近代文学会公式ウェブサイト掲載のエントリーシートをご使用の上(ホームページへのアクセスができない場合は任意の書式で結構です)、関西支部事務局宛にメール(kindaikansai@gmail.com)、もしくは普通郵便(当日消印有効)でお送りください。なお、郵送の場合におきましては、事務局より必ず連絡の取れる先もお知らせください。
会員のみなさま、どうぞふるってご応募ください。

日本近代文学会関西支部事務局
〒577-8502 大阪府東大阪市小若江3-4-1
近畿大学教職教育部 中田睦美研究室内
mail to kindaikansai@gmail.com

【重要】秋季大会(全国大会)発表募集

締切 6月1日(月) (郵送の場合は当日消印有効)
宛先 関西支部事務局

2020年度日本近代文学会秋季全国大会は10月24日(土)・25日(日)、近畿大学での開催を予定しております。関西支部秋季大会は全国大会との合同開催となりますが、諸般の事情により締切日のみを予めお知らせいたします。
詳細につきましては、今後お手もとに届きます「2020年度関西支部秋季大会について」をご覧ください。

【重要】2020年度春季大会の中止について

2020年度日本近代文学会関西支部春季大会(於・大阪市立大学)につきまして、新型コロナウイルス感染症の拡大状況等をふまえて運営委員会で検討しました結果、

中止

とすることに決定いたしました。
総会につきましては、追って本サイト等にてお知らせいたします。

【重要】2020年度春季大会開催の判断について

2020年度関西支部春季大会(於・大阪市立大学)につきまして、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、状況が流動的ですので、開催予定日6月13日の1ヵ月前までに、開催か中止かを本サイトにて告知いたします

随時、本サイトをご確認くださいますよう、お願いいたします。

2019年度日本近代文学会関西支部秋季大会 企画趣旨(関西支部創設四十周年 特別企画)

「関西支部の意義と展望」
〔企画趣旨〕

 本年二〇一九年は、関西支部創設四十周年にあたる。文学研究の文化的位置が周縁化されつつある現在、文学研究者は自己の研究の進展を図るだけでなく、研究自体の意義を再検討し発信する必要に迫られている。しかしそれは、どれほど自覚されているだろうか。これは個人で考えるよりも、集団で共有した方がよい問題だ。支部の過去を振り返り、今後の研究と学会のあり方について、現状をリアルに踏まえ問題を掘り起こし議論を深めたい、というのが本企画の趣旨である。
 関西支部のために尽くしてきた四人の研究者に登壇していただき、支部活動の歴史と意義、運営上の問題点、そして創設五十周年を見据えた今後の支部像について対話形式で語っていただく。
 この対話は、文学研究の存在理由をあらためて問うことになり、学会という集団の価値を根源から問い直すことになるだろう。

2019年度日本近代文学会関西支部秋季大会 発表要旨(小特集企画)

「神戸からブラジルへー過程と着後の記録、文学ー」

〔企画趣旨〕

 一九〇八(明治四一)年にブラジル移民が開始されて、本年で一一一年になる。南米をめざす移民は神戸に集結し、そこから移民船に乗って海を渡った。一九二八年には国立移民収容所が開設され、国策としての移民事業は大規模なものになっていく。本企画は、神戸大学海港都市研究センターと共催するかたちで、ブラジル移民を描いた文学や、ブラジル移民が描いた文学叙述に焦点をあて、海を越えて国を移動する経験の内実を問い直してみたい。
 ブラジルに向け日本を発つ人々は、まず移民収容所に入所し、検疫や身体検査を受け、外国渡航に必要な基礎知識を学ぶ必要があった。船上でも大人向けの語学教育や子ども向けの補習教育が施され、移民たちの連帯感を高めるための各種行事も行われた。さらに到着後も、航海次ごとの同窓会が催されるなど、新しいコミュニティや人間関係の醸成は、船上から始まっていたといえる。無名の一市民たる移民たちの船内生活は、輸送監督による記録や、移民による「船内新聞」などの発行物に刻印されている。それらの生活記録は、彼らが表現した、あるいは彼らを表現した文学にも確実に流れ込んでいるだろう。
 そこで本企画は、まず移民船での生活経験を、記録の面から明らかにすることで、移民における移民船、あるいは海洋体験の内実を検討する。そのうえで、移民自身による文学表現から、移民船あるいは海洋体験との意味を捉え直してみたいと考えている。当然、ブラジル渡航後の生活環境がもたらした言葉や身体の変容との連続性も問われることになるだろう。
 国立移民収容所は神戸移住センターと改称され、一九七一年まで移民送出に用いられた。いうまでもなく神戸港は移民の出航地として多くの歴史と物語を生んだ地であった。一方、現代ではその送出数を越える数の日系ブラジル人が実質的な移民として日本に働き口を求めて来日している。「神戸の先」という問題系を視野に入れつつ、ブラジル移民の文学を現在進行形の問題として捉え直したい。

〔発表要旨〕

○戦後南米移住者の船上体験ー〈個別の集まり〉から〈連帯感の醸成〉へー

飯窪秀樹

 報告では、一九五二年の南米移住再開以降の南米移民が移住船内で発行した船内新聞、および移住者輸送監督による輸送報告書の内容を主な材料にして論じる。
 たとえば伊藤永之介が戦後の移住船に乗船して書いた『南米航路』は、神戸移住斡旋所における盗難事件から物語が始まる。「輸送状況報告書」にも同様の事件は報告されており、現代でも起きるような不愉快な事件が生じた斡旋所や船内で、いかに移住地到着後の過酷な開拓生活を支えあうような、移民の間の連帯意識を形成していったのかを追うことを報告の課題としたい。
 船内新聞の記述を辿ると、入植先での奮闘を喚起する記事や、船の移民に対する待遇の改善要求もあるが、それよりも移民の間の迷惑行為をただす、互いの行動を律する投書も目立つ。移民たちは乗船前のような他人の集まりではなく、同じ夢と希望を持って移住を決意した者たちの集まりであることを確認し、船の中だけでもやがて来る過酷な日々の前段階として有意義に過ごそうとする。そして将来の成功を期するためにも船内の生活を律し、自主的であることが目指され、「常識ある国際人」として互いに意識を涵養しようと提言されている。
 報告ではこのように内発的に前進的な意識が醸成された経過を、輸送監督の報告書、船内新聞、第三者の目である作家の描く移民の姿から、これらがいかに実態を捉え、また逆にフィクションだったのかを踏まえつつ論じたい。

○一九五〇年代ブラジル邦字紙における日本語文芸ー短歌を軸としてー
杉山欣也

 第二次世界大戦中の迫害と戦後の勝ち負け抗争とによって、ブラジル日本移民社会は深刻な内部対立に見舞われた。しかし一九五一年の国交回復、一九五二年の移民事業再開といったことを契機として、徐々に安定を取り戻していった。一九四六年以降創刊された邦字紙の存在は、その安定に欠かせない存在だった。そして本発表が対象とする一九五〇年代前半には、勝ち組・負け組に分かれていた各紙の淘汰が進むとともに、紙面が充実をみせる時期でもあった。その紙面には事件事故の報道のみならず、移民の生活実態をうかがうことのできるトリビアルな情報など、さまざまな要素が記載されている。同時に、各紙は文芸創作欄を持ち、移民自身による文芸作品の発表の場となっていく。
 文芸創作は移民の精神生活の拠り所といえるものだが、それは神戸出港以来の日常的な生活の労苦の積み重ねが言葉としてそこに結晶しているからである。本発表ではそのような観点から、邦字紙における各種記事や創作欄の調査結果を基礎に、現地日系社会における移民研究の蓄積をも参照して、神戸から始まるブラジル日本移民の生活が文芸創作に結晶する過程を分析する。今回はとくに再移民の始まる一九五二年前後の短歌に注目してその様相を探る。そこに一九五二年の三島由紀夫等、ブラジルを訪問した日本人作家の移民表象との差異を確認することも可能だろう。

2019年度日本近代文学会関西支部秋季大会 発表要旨(自由発表)

〔自由発表要旨〕

○古井由吉『神秘の人びと』における「神秘主義」受容

竹永知弘

 本発表では、古井由吉の後期作品『神秘の人びと』(一九九六年)を取り上げ、作家の「神秘主義」への接近を記述する。本書は『我と汝 Ich und Du』(一九二三年)で知られるユダヤ宗教思想家のマルティン・ブーバーの編著『神秘体験告白集 Ekstatische Konfessionen』(一九〇九年)に収録された修道士や修道女、信者らによる神秘体験(たとえば、「神秘的合一 unio mystica」)の告白を拾い読むという行為から成立する。
 同時代的には『神秘の人びと』はオウム真理教による一連の事件をめぐる社会的困惑への応答と読める。デビュー直後、評論家・小田切秀雄に「内向の世代」と呼称されて以来、アクチュアリティを欠いた作家と位置づけられてきた古井がこの事件に即座に反応したことは興味深い。本作により古井は「宗教とはなにか」を再定義することを試みる。
 他方、古井の経歴を鑑みれば、作家がデビュー期に親炙したオーストリアの作家、ロベルト・ムージルへの再接近と読める。古井はデビュー以前、独文学者としてムージル『愛の完成』『静かなヴェロニカの誘惑』の翻訳を行なっており、初期にはその影響が指摘されてきた。この影響関係は、作家の日本古典への接近により一度切断されるが、作家の成熟期に入り再びムージルが持ち出される点は一考に値する。ムージル再訳(岩波文庫、一九八七年)はその一因だろう。ここで作家は自らの原点に回帰することを試みている。
 以上、本発表では「同時代の文脈」と「作家の経歴」を関係づけながら『神秘の人びと』を読解していく。その両面的な読解の試みから、古井の「近代」に対する批評的態度を記述したい。

○物語をめぐる抗争ー中上健次『千年の愉楽』における「路地」の表象とその限界ー
松田樹

 中上健次の『千年の愉楽』は、一九八〇年から八二年まで断続的に連載された六本の短篇を収める連作短篇集である。作家の故郷の被差別部落を「路地」と呼ばれる神話的な世界へと昇華させた本作は、刊行直後から高い評価を得た。例えば、江藤淳は本作がオリュウノオバという産婆の記憶によって構成されている点に注目し、そこに「口承文学」の強度を読み取っていた。
 ところが、各篇の主人公である「中本の一統」の生涯は、江藤の評価とは裏腹にむしろリアリスティックな再現性を失った紋切り型の言葉によって象られている。更に、オバの語りは一統の生死を意味付ける他のナラティヴと抗争関係に置かれている。「城下町」「礼如さん」「路地の者」等の存在によってオバの語りもまた恣意的な解釈の一つに過ぎず、差別の実態はそれによる意味付けには収まらないものであることが示唆されているのだ。
 本作において中上が取った方法は、失われてゆく故郷の歴史を紋切り型の言葉によって形象化する一方で、現在の視点からそこに生きた人々の差別の体験を遡及的に物語ることは虚偽にしかなり得ないという限界を作中から内在的に指し示すことであった。実際、本作の連載時期には郷里の被差別部落はもはや解体の危機に瀕していた。本発表では、主人公らの生涯とこれを語る話者との関係性に着目し、『千年の愉楽』における「路地」の表象とその自壊について作家の故郷の被差別部落の歴史を踏まえつつ考察したい。

○保田與重郎の女性表象ーその創作観に着目してー
遠藤太良

 昭和期の思想家保田與重郎は戦前の批評においてしばしば、王朝期の女流歌人を中心とする女性について言及している。これらの女性表象はこれまで、戦時下の「母」の言説との類似が指摘され、彼の国粋性の証左の一つと見なされてきた。しかしながら、保田が女性を取り上げることで論じているのは、当時の政治体制についてというよりもむしろ文学をはじめとする芸術の創作についてである。すなわち、保田の女性表象は彼の創作観を色濃く反映しているといえよう。以上を踏まえ、本発表では、保田の女性表象を創作観という点から考察し、文学をはじめとする芸術の創作において彼がどのような見解を有していたのかを明らかにする。
 まず、『和泉式部私抄』などの著作における保田の女性表象を考察する。その後、比較対照として同時代の文学についての彼の批評を取り上げる。以上の考察により明らかとなるのは、保田が「男性」である神の声を代弁できるものとして女性を位置づけた上で、女流歌人達の作品における表現の「自然さ」を超越的な価値観を表出する理想的な創作と見なし高く評価していることである。保田のこうした創作観には、文学作品としての表現の有り様よりも作者の個性の発露や国策イデオロギーの称揚を重視する同時代の文学に対する否定的な見解が表れている。そして、こうした同時代への批判を含意している点において、彼の女性表象は体制擁護を目的とする戦時下の「母」の言説とは異なるものといえよう。

○江戸川乱歩『人間椅子』論ー椅子職人「私」における「肉体」と「精神」ー
穆彦姣

 雑誌「苦楽」の大正十四年十月号に掲載された『人間椅子』は、発表当初より一般読者から好評を博しており、乱歩作品において数少ない自他ともに認める傑作の中の一つとして数えられてきた。
 近年における『人間椅子』研究の皮切りとなったのは、作中の描写における触覚の優位性について検証した松山巖論(『乱歩と東京 1920都市の貌』PARCO、昭和五十九年)であるが、氏は本作の結末部における「書斎から逃げ出して、日本建ての居間の方へ」という佳子の行動を「西欧化される以前から培われた体性感覚」への回帰と解釈している。しかし、西洋から日本への回帰を辿ったのは果たして佳子だけなのだろうか。ホテルから佳子の家へ移される際に、作中作の語り手である椅子職人「私」はそれまで出会った異国人に対し「どんな立派な、好もしい肉体の持主であっても、精神的に妙な物足りなさを感じ」るとし、「本当の恋」の相手を日本人に限定している。この「私」における肉体と精神に対する考え方はどのように理解すべきだろうか。
 本発表は、まずゲーテやハン・ゴットフリート・ヘルダーなどが提唱した芸術論に見られる肉体と精神の関係性についての認識と、主に三島由紀夫のエッセイによって指摘された敗戦までの日本と西洋における肉体と精神への認識の相違(「肉体について」「Pocketパンチoh!」平凡出版、昭和四十四年)を確認した上で、作中作の各段階における「私」の言動と肉体に対する描写の特徴について分析し、「私」の肉体と精神の意識及びその変化について考察を行う。そこから作品全体に表象される「日本回帰」の傾向について論証したい。