〔自由発表要旨〕
○安部公房「赤い繭」――変形する皮膚、変形する身体認識――
岩本知恵
安部公房「赤い繭」(一九五〇年一二月)は、家がないために休むことができず歩き疲れた主人公が繭へと変形する物語である。変形によってできた繭はようやく手に入れた「おれの家」であるのだが、この繭は「おれ」自身の身体が変形したものであるために「今度は帰ってゆくおれがいない」。こうした変形の顛末はこれまで、帰属のなさのメタファーとして、あるいは所有の問題として読解されてきた。しかしここで本発表が着目したいのは、変形が失敗したかのように描写されるという点である。
安部の変形譚について、岡庭昇や小林治は、変形は変質ではなく元来の身体の在り方が顕在化/可視化したものだと述べている。これを受けて田中裕之(二〇〇三)は、変形するものそれぞれの特徴への着目を重要視し、「通常は比喩を形成すべきものがレトリックの次元を超えて実際に形象化されてしまう」ものだと述べる。また、谷川渥は安部の変形譚について皮膚との関わりの重要性を指摘している。皮膚が身体の境界として身体認識や自己認識を確定していくものであると捉えると、この指摘は興味深い。
本発表では、身体の変形を経験する主人公にとって変形は比喩ではなく、身体認識が変容しているのではないかという側面から変形を考える。一体何が主人公の変形(身体認識の変容)を誘発したのか、変形を介して獲得する認識はどのようなものなのか、そして変形が失敗したかのような描写が何を示しているのかについて考えたい。
○武田泰淳とJ‐P・サルトル――『風媒花』における『自由への道』の影響をめぐって――
藤原崇雅
戦前期より紹介されつつあったJ‐P・サルトルの文学や哲学は戦後、人文書院版全集が刊行されたことで人口に膾炙した。大岡昇平といった仏文学者から椎名麟三のような作家まで、多様な人々がサルトルを読み、その思想を受容していく。
武田泰淳も、この全集を読んだ一人である。中国文学研究会をめぐる身辺の状況が記された代表作『風媒花』(『群像』一九五二・一~一一)の自注「私の創作体験」(中野重治ほか編『現代文学⑵』一九五四、新評論社)で彼は、「サルトルの『自由への道』のだいぶ影響を受け」た、と述べる。泰淳は『自由への道』全三部(佐藤朔ほか訳、一九五〇~一九五二、人文書院)を読み、それを踏まえ小説を創作した。この事実は先行論で指摘を受けているものの、詳細な比較検討はなされてはいない。本発表では『風媒花』と『自由への道』の影響関係の考察を通じ、戦後の日本文学におけるサルトル受容の一側面を明らかにしたい。
端的にいえば、泰淳はサルトル小説における、登場人物の現実認識の不可能性を表現する構造に注目し、自らの創作に用いている。泰淳にとってサルトルの文学は、単なる思想というよりも、小説の構成方法を知る契機としてあった。これは『自由への道』に、哲学的な思索を読み込む同時代の他の受容とは、異なったありようを示すものとして独自である。
なお、『風媒花』と『自由への道』との共通点および相違点を論証する過程で、中国文化の研究会に属している人物のモデルや、趙樹理『李家荘の変遷』(島田政雄ほか訳、一九五一、ハト書房)が引用されることの意味にも言及する。
〔連続企画第四回 趣旨〕
視差から立ち上がるもの
この連続企画の主眼は、一九二〇・三〇年代の関西の文芸文化を対象に、これまで見過ごされてきた人・風土・メディアなどを発掘しつつ、従来の「関西」表象や思考枠を問い直すことにあった。締め括りとなる今回は、その総括として、これまでの個別具体的な議論を踏まえつつ、やや広い視点から対象を捉え返してみたい。
両大戦に挟まれた当時の日本は、世界規模の経済的・社会的変動を背景に、急激な都市化を遂げつつあった。それに伴う社会基盤の変化は、そこに住む人々の生存の条件も変えていった。「関西」なる地理的概念も、そこに根ざす文芸文化も、そうした国内外の緊張関係のなかで吟味する必要があるだろう。
具体的には、第一次世界大戦や関東大震災がもたらしたもの、二〇年代から三〇年代にかけての時代相の推移、「中央」・「地方」・「関西」の関係性、世界的同時性における都市モダニズムの影響、それらすべてが輻輳する関西文芸文化の傾向性など、問うべきことは少なくない。
また、それを担った当事者たちも一様ではなかっただろう。たとえば、関西出身でありながら、中央文壇とのかかわりで、戦略的に「関西」と向き合おうとしたもの。別の場所から関西に流着し、そこでの生活や労働を通して、表現の可能性を見出そうとしたもの。あるいは関西のメディアに関与し、みずから情報を発信しつつ、独自のネットワークを形成しようとしたもの、等々。それらが交差する地点を見定めるのも今回の課題となるだろう。
「《異》なる関西」とは、さまざまな当事者の視差を通してしか立ち上がらないのではないか。連続企画の最終回に、発表者のみならず多くの参加者のなかから、「《異》なる関西」の片影が立ち上がることを期待したい。
○大阪朝日新聞神戸支局員と鯉川筋神戸画廊の活動から見えてくる神戸の文化空間
大橋毅彦
前回の大会では、一九二〇年代の「大阪朝日新聞」神戸附録を通して見えてくる問題系が考察の俎上に上ったが、本報告の前半では、それを受け継ごうと思う。ただし、素材と考察角度はやや違えて、同附録の「雑草園」を主宰する岡成志・坪田耕吉・藤木九三といった神戸支局員らが、その後彼らの辿った経路が分かたれていったのとはある意味では対照的に、この時期、それぞれの才幹を生かして、どのように協働しながら、神戸の文化的土壌を耕す動きをとっていったのかを、「雑草園」の外にまで目を向けて考察する。具体的には、「神戸芸術文化聯盟」の機関誌「おほぞら」(一九二四・三)の存在を注視する。
発表後半は、元大阪毎日新聞神戸支局員大塚銀次郎によって一九三〇年に鯉川筋に開かれた「神戸画廊」に集った詩人と画家との交流が、太平洋戦争の激化に伴って閉廊するまでの間において、いかなるムーヴメントを作り出していったかを、画廊機関誌「ユーモラス・ガロー」を基に考える。他紙(誌)からの転載も含めて、竹中郁・川西英といったお馴染みの書き手も登場するが、記事全体の傾向を見ていくと、そこにはハイカラな神戸と同居する異なった神戸のイメージも浮上してくる。また、「上海に馴染の深い連中」との関わりが気になってくる記事もある。北園克衛が主催する「VOU」同人の浅原清隆がこの画廊に関係している。どういう結論を導き出せるか分からないが、少なくとも「雑草園」の園丁たちの活動を通じて見られた時とは異なる種々の力線が神戸の文化空間を走り始めているのを感じる。時間が許せば、「神戸版画の家」の存在や、同人の多くは西宮在住、しかるに寄稿家連の中には北園克衛、井伏鱒二、崎山猶逸・正毅兄弟がいる同人誌「薔薇派」、さらにまた小田実の小説「河」なども補助線として、この点を明らめたい。
○二人の五代友厚――直木三十五の「大阪回帰」をめぐって――
尾崎名津子
直木三十五は大阪―東京を往還しながら生きた。その途上で、プラトン社の社員時代に本格的な創作活動を開始し、また、菊池寛との関係を礎として『文藝春秋』の常連寄稿者となることを通じ、作家としての地位を確立したといえよう。そうした在り方は、永井龍男に「たいていの人には其生国らしい雰囲気なり、習慣なりがあるものだが、直木さんにはそれがない」(『故郷の無い人』)と言わしめ、「放浪者」としての直木像を造形させもした。
いわゆる東京〈文壇〉の中心人物となった直木は、最晩年に幾度か大阪を題材として執筆した。それは山﨑國紀が述べたように、「大阪回帰」(『知られざる文豪 直木三十五』)のようにも見える。具体的な著作に『大阪落城』や『大塩平八郎』(ともに1933年)などを挙げることができるが、本発表では『五代友厚』(1932年)を取り上げる。この作品は『直木三十五全集月報』第3号(1934年)の広告で「長篇小説」と紹介されているが、「私」=直木による〈大阪人〉への説教、会話劇、史料の引用など、質の異なる記述が混在する構成を具えている。こうした方法や記述の分析から、直木が五代、あるいは大阪を要請するモチベーションの在り処を可視化してみたい。その際は「ファシズム宣言」との脈絡も問うことになるだろう。
また、検討の際にはもう一人の五代にも登場してもらう。それは、織田作之助『五代友厚』(1942年)である。東京〈文壇〉の当事者である直木と、〈文壇〉との距離において自らの位置取りを試みた織田、それぞれの視座を突き合わせたところに浮上する視差から、幻視された〈関西〉の姿が見えてくるのではないだろうか。
○宣言としての言葉をどう再読するか――関西沖縄県人会機関紙『同胞』を読む――
冨山一郎
一九二〇年代以降の沖縄では、「蘇鉄地獄」と呼ばれるすさまじい経済的不況により、沖縄の外で生き延びることが常態化していった。この「蘇鉄地獄」は、グローバルな資本の再編過程に起因するものであり、アジア太平洋戦争末期に宇野弘蔵が大東亜共栄圏における「広域経済」として議論していく事態でもあるが、いずれにしても当時東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪は、こうした沖縄から流れ出した人々の生きていく場となったのである。こうした人々は、その場を自らが生きる場として、どのように描き出していったのか。あえて大袈裟にいえばそこには、グローバルな資本の展開を自らの歴史としていかに獲得するのかという問いがある。
沖縄を出た人々は、『同胞』、『大阪球陽新報』、『関西沖縄興信名鑑』、『沖縄県人住所案内』などの多くのメディアを生み出した。これまでこうしたメディアに所収されている文章は、社会運動や歴史研究の実証資料として用いられてきた。しかし報告では、こうした資料を、自らの生きる場を描き出し、なぜその場にいるのか、またその先にどのような未来をつかもうとしたのかということを考える言葉として、受け止めてみたい。その際、これまであまり検討されなかった、こうしたメディアに所収されている詩、歌、エッセイ、コラム、肖像写真、挿絵なども取り上げる予定である。先取りしていえば、こうしたジャンル横断的な表現は、現実の表象というより、「自分たち」と「生きていく場」を先取りしようとするある種の宣言ではないだろうか。それは沖縄からの流民たちが未決の未来に向けて歴史を確保しようとする言葉たちであり、報告ではそこに浮かび上がる大阪を、考えたい。
その際重要なのは、宣言において「自分たち」すなわち「我々=同胞」が先取りされようとするとき、刻印されていく傷があるということだ。それは神島二郎が「過去を語らない人々」と述べたこととも深くかかわる。周知のように神島は出郷した者たちが都市で作り上げる「自分たち」を「第二のムラ」と呼んだが、同時にこの「ムラ」に収まらない人々とその人々において抱え込まれた歴史があることを指摘しているのである(神島二郎『政治をみる眼』NHKブックス、一九七五年)。ここに宣言の宣言たるゆえんがある。宣言はやはり、無理に「我々」を創出し、歴史を獲得しようとする言葉なのだ。注視したいのはこの無理にかかわる強い思いであり、そして傷である。そこに別の言葉が始まらないか。再読において担いたいのは、この問いだ。
2017年 日本近代文学会関西支部春季大会 ご案内
・日時 2017年6月3日(土)午後1時~
・場所 同志社大学 今出川キャンパス・良心館 3階303教室
→交通アクセス・キャンパスマップ
【プログラム】
■開会の辞
同志社大学文学部教授 田中励儀
■自由発表
○安部公房「赤い繭」――変形する皮膚、変形する身体認識―― 岩本知恵
○武田泰淳とJ‐P・サルトル――『風媒花』における『自由への道』の影響をめぐって―― 藤原崇雅
■連続企画「《異》なる関西――1920・30年代を中心として――」
第四回「視差から立ち上がるもの」
○趣旨説明・司会 田口律男・木谷真紀子
○発表
・大阪朝日新聞神戸支局員と鯉川筋神戸画廊の活動から見えてくる神戸の文化空間 大橋毅彦
・二人の五代友厚――直木三十五の「大阪回帰」をめぐって―― 尾崎名津子
・宣言としての言葉をどう再読するか――関西沖縄県人会機関紙『同胞』を読む―― 冨山一郎
○質疑および全体討議
■閉会の辞
支部長 浅子逸男
■総会
※総会終了後、「アマーク・ド・パラディ」(寒梅館1階)にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生3000円)の予定です。
事務局の移転
2017年4月から事務局が移転しました。
〒560-8532
大阪府豊中市待兼山町1-5 大阪大学大学院文学研究科
斎藤理生研究室内
日本近代文学会
関西支部事務局
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お問い合わせは下記にお願いいたします。
kindaikansai [a] gmail.com
※[a]を@に読みかえてください。
2017年度関西支部春季大会 自由研究発表募集のお知らせ
日本近代文学関西支部では、2017年度春季大会での自由研究発表を募集いたします。支部会委員の皆さまの積極的な応募をお待ち申し上げます。
日時会場 2017年6月3日(土)/於 同志社大学
応募締切 2017年1月31日(火)必着
応募要領
発表題目及び600字程度の要旨を封書でお送りください。
必ず連絡先(電話番号、メール・アドレスなど)も明記してください。
○発表時間は30分程度です。
○採否については、運営委員会で決定次第お知らせいたします。
※発表に関してご不明の点は事務局までおたずねください。
(お問い合わせ先:kinji@mukogawa-u.ac.jp)
送付先
〒663-8558
兵庫県西宮市池開町6-46
武庫川女子大学文学部 山本欣司研究室内
日本近代文学会関西支部事務局
会報24号
2016年10月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。
こちらからPDFデータでご覧いただけます。
*本文データの容量が大きいので、ダウンロードに時間がかかる場合があります。
2016年日本近代文学会関西支部秋季大会ご案内
・日時:一〇月二九日(土)午後12:40より
・場所:甲南女子大学 9号館・912教室
→交通アクセス&キャンパスマップ
〔内容〕
■ 開会の辞:
甲南女子大学文学部日本語日本文化学科長 信時 哲郎
■ 自由発表
・三島由紀夫『潮騒』論――初江に着目して―― 福田 涼
・司馬遼太郎「世に棲む日日」と本当らしさ 森 瑠偉
・目取真俊『面影と連れて』論――美化される被害への抗いについて―― 栗山 雄佑
■ 連続企画「《異(い)》なる関西―1920・30年代を中心として―」(第三回):神戸近代文化研究会「光源としての『大阪朝日新聞神戸附録』――神戸モダニズムを問い直す――」
趣旨説明・司会:三品 理絵・杣谷 英紀
発表
・結節点としての労働学校・関西学院 杣谷 英紀
・一九二〇年代半ばの『神戸附録』映画情報――新聞連載小説の映画化を中心に―― 永井 敦子
・「理想住宅」と「煌ける城」――一九二〇年代・神戸の建築空間をめぐって―― 高木 彬
・前衛芸術と郷土芸術――神戸一九二〇年代文学の後景―― 島村 健司
質疑および全体討議
司会:三品 理絵・島村 健司
■ 閉会の辞:支部長 浅子 逸男
※大会終了後、「第一学生会館」にて懇親会を開催します。会費は五〇〇〇円(学生・院生三〇〇〇円)の予定です。
2016年日本近代文学会関西支部秋季大会 発表要旨
〔自由発表要旨〕
・三島由紀夫『潮騒』論――初江に着目して――
福田 涼
三島由紀夫『潮騒』(昭和二十九年六月)は、戦後を代表する青春恋愛小説の一つとして知られている。「神話的で原初的なもの」(佐藤秀明)として叙述される新治と初江の恋愛譚は、一面「通俗的」でありつつもなお「美的」(同前)なのとして、広く受け容れられてきたと言えよう。しかし、『潮騒』の語り手が「新治と初江とを対称に扱うのではなく、二人の愛をあくまでも主人公新治に即して形作っている」(梶尾文武)ことは無視できない。語りの焦点が初江の内面に置れる場面は限られており、彼女の詳しい生い立ちや学歴、更には年齢さえも明らかにされない。このような語りの姿勢からは、初江の稚さを強調し、彼女の内面をいわばブラックボックス化しようとする語り手の作為が垣間見えるのではないか。このことを踏まえて、本発表では、これまで考察の対象から除外されがちであった初江に着目して分析すること
で、一篇が本来備えている奥行が、語り手によって殊更に演出される「神話的」な結構の下で隠蔽・朧化されていることを明らかにする。具体的には、細部の叙述に改めて目を配ることで、『潮騒』という小説が、父=家の意志に抵抗する「智恵者」の初江が主体的に伴侶を選択した話として読まれ得るだけの空白を残していることを論証する。
本発表での考察を通して、『潮騒』の新たな読解を提示するとともに、所謂「古典主義」時代における三島の小説作法を再検証する為の端緒を開きたい。
・司馬遼太郎「世に棲む日日」と本当らしさ
森 瑠偉
司馬遼太郎の「世に棲む日日」は、一九六九年二月から一九七〇年一二月まで『週刊朝日』に連載され、前半部は吉田松陰を主人公に、後半部は高杉晋作を主人公に書かれた小説である。松本健一は、司馬遼太郎の小説について四期に分類している。一九六〇年代末から一九七〇年代を「歴史小説」と分類しており、本発表で取り扱う「世に棲む日日」は「歴史小説」に分類される。「歴史を舞台にしたヒーロー小説」と「歴史小説」とを区分する理由について「歴史を事実において捉える度合いが大きくなっている」ことを松本は挙げており、作品を書く際に用いた典拠の記述がどのように作品に描かれているかを分類の論拠としているのである。しかし、実際に作品をよむ読者は、どれほど典拠や歴史的史料の記述を意識して読むだろうか。つまり、司馬遼太郎の小説が「歴史小説」として扱われている要素の一つとして、典拠との関係を問うだけでは松本の分類は不十分であり、その叙述自体の持つ本当らしさについて分析を行う必要がある。
そこで本発表では、「世に棲む日日」の前半部の吉田松陰について書かれた部分を取り上げ、作品で行われる歴史の提示方法について分析を行う。「世に棲む日日」においては、典拠の存在は必ずしも明示されない。玖村敏雄による「吉田松陰傳」(『吉田松陰全集第一巻』所収)や斉藤鹿三郎の『吉田松陰正史』の記述を基に作品は書かれているが、その存在は提示されないのである。一方で、吉田松陰自身が残した書簡や日記類については、その記述によっていたことが記されている。さらに、聞き書きの場合は、その情報源とともに作品内で提示され、「筆者」が行った調査の場合は「筆者」の存在も作品内で示される。つまり、歴史研究を直接参照しない、新たな調査であるような歴史像を提示していると言えよう。このような歴史の提示方法を用いて、「世に棲む日日」では歴史研究と立脚点の異なる本当らしさを確保しているのである。
・目取真俊『面影と連れて』論――美化される被害への抗いについて――
栗山 雄佑
本発表では、目取真俊『面影と連れて』(一九九九年)より、登場する主人公の女性が作中の周囲の人物に解釈されることへの女性の疑義と諦念を中心に、作中の人物や先行研究が行う主人公の美化について考察を行う。作品には、集団性暴力を受け殺害された主人公に残された身体の傷跡、死の直前につぶやく「もういいよ」との言葉が描かれる。この主人公について、池澤夏樹等から主人公を「あはれ」と美化し、現在の沖縄の状況と重ね合わせる読解が提起された。しかし、先行論による主人公を沖縄全体の被害に重ね合わせて語ることには疑問が残る。作品は、一九七五年のひめゆりの塔における現天皇夫妻への火炎瓶投擲を背景とする。この場所より、ひめゆりの乙女と主人公の共通点が指摘できる。新川明は、沖縄戦後におけるひめゆりの乙女の可憐さの強調と被害の美化について警鐘を鳴らした。この指摘を踏まえると、主人公を「切なくて苦しい語り」、「幻想的」と語ることは、ひめゆりの乙女に対する美化表象と同じ轍を踏むことになるのではないか。主人公の「もういいよ」という応答は、自らの意志に反し「沖縄の女性の被害」と解釈されることへの諦念と捉えることが可能ではないだろうか。このように読み替えたとき、作品が沖縄において主人公を含む女性の被害が作中及び現実にて「あはれ」と美化されることに対する疑念と、抗いが不可能という諦念を主人公に抱かせる暴力性の問題を示す作品であると提示したい。
〔連続企画第三回 趣旨〕
光源としての『大阪朝日新聞神戸附録』――神戸モダニズムを問いなおす――
私たち神戸近代文化研究会は、主にモダニズムという視点からなされてきた海港都市神戸の文化についての考察を、一般市民の生活や芸能や大衆演劇などの存在を踏まえ、より多層的な視点から捉えなおすことを目的として現在活動中である(二〇〇九年活動開始、二〇一五年度から科研費基盤C〔代表者・箕野聡子〕)。具体的には、一九二〇年代の『大阪朝日新聞神戸附録』(『大阪朝日新聞神戸版』)の文化記事のPDF化・データベース化を進めており、文学・美術・映画・演劇・芸能・建築・労働運動などのジャンルを立て、文化の背景にあるコンテクストに対して考察を加えている。このような本研究会の動向は日本近代文学会関西支部の連続企画「《異(い)》なる関西」の趣旨とも相通ずると考え、このたび研究会として応募した結果、採択されるに至った。
以下、本研究会のめざしてきたこととともに、これに併せて今回の発題者の立ち位置を記しておく。①新聞を基礎データとすることで、文化人や芸術家個人に集中するのではなく、読者を含めた、時代と地域に根ざした文化の流動する様を捉えること。学校や劇場、あるいは新聞紙上といった大衆の集う場に焦点をあてることで、様々な人的交流の様を浮き上がらせることができる(→主に杣谷英紀の報告)。②神戸を文化の流動の結節点として捉えることで、全国的な文化の流れに関西を位置づけること。関東大震災によって、関東の文学者・画家・演劇関係者など、さまざまな人材が神戸へ流れ込んだ。彼らの多くは、やがて関東に戻り、神戸の文化が今度は東へ逆流することになる(→主に島村健司・高木彬の報告)。③「阪神間文化=モダニズム」という固定した捉え方の枠を取り払うこと。新開地を中心とした劇場や
映画館、演芸場などの情報を網羅した「演芸たより」をデータとして活用することで、大衆文化から神戸の文化を捉えなおすことができる(→主に永井敦子・高木彬の報告)。④メディアの読者への直接的な影響力を計測すること。『神戸附録』は地方版であるが故に、読者に対する働きかけが多く見られた。このような発信が神戸文化の土壌をつくることになった(→主に永井敦子の報告)。以上の四点を鍵に神戸文化について発題することで、関西支部の野心的な連続企画「《異(い)》なる関西」に新たな視座を提起できればと考えている。
・結節点としての労働学校・関西学院
杣谷 英紀
一九二〇年代の『大阪朝日新聞神戸附録』を読むと、さまざまな労働組合の動きが詳しく読み取れる。一九二一年の川崎三菱造船所争議以降、総同盟の分裂など、二〇年代は神戸の労働組合運動が混迷を極めた時代であった。『神戸附録』一九二三年四月一〇日には、「労働学校 神戸聯合会に於て」という見出しが掲げられ、翌年の三月一二日には、「労働者の夜学校 労働文化協会の新事業」という見出しがみえる。前者は総同盟による労働学校の告知であり、講師として山名義鶴、松澤兼人、新明正道、村島帰之などの名前が挙がっている。後者の労働学校は久留弘三の労働文化協会を経営母体としたもので、河上丈太郎や井上増吉、村島帰之等が講師として名を連ねた。
両労働学校の講師には関西学院と関係の深い人物が多くいることに注目すべきであろう。本発表では、労働学校お
よび関西学院と神戸の文化活動との接点に光を当てたい。
・一九二〇年代半ばの『神戸附録』映画情報――新聞連載小説の映画化を中心に――
永井 敦子
一九二〇年代の神戸の映画館は新開地が中心となり、洋画専門の朝日館とキネマ倶楽部、錦座、菊水館など様々な映画館で賑わいを見せていた。各映画館の情報は、『神戸附録』の「演芸たより」欄で確認することが出来、他に「映画界」「映画雑録」欄などもあり、映画鑑賞へと読者を誘う紙面になっている。その中でも特に、大阪朝日新聞と映画の関わりを強調しているのが、本紙連載小説の映画化に関する記事である。上映館の広告を見ると、本紙連載であることが明記され、さらに紹介記事では、新聞購読者に優待券を出すサービスが強調されている。中でも、一九二五年上映の「大地は微笑む」(日活・松竹・東亜キネマ競作)や「人間」(日活)は、一九二三年の大阪朝日新聞懸賞に当選、推薦となり連載されたことから、繰り返し紙面に取り上げられ、広告や宣伝にも更なる工夫が施された。『神戸附録』と映画館が一体となって、読者に映画鑑賞を呼び掛ける様相を跡付けたい。
・「理想住宅」と「煌ける城」――一九二〇年代・神戸の建築空間をめぐって――
高木 彬
一九二〇年代に内務省が主導したプラグマティックな都市政策(耐火・衛生)は、神戸という土地へ馴化する過程で、ある「理想」を胚胎していく。その様相を『大阪朝日新聞神戸附録』紙上で追いたい。たとえば、御影に設計事務所を構えた西村伊作や、阪神急行電鉄の沿線を宅地開発した小林一三は、阪神間の富裕層をクライアントとすることで「理想住宅」を実現した。郊外で培養されたプライベートな「理想」。それはやがて神戸の都心部において縮小再生産され、全国の住宅改良運動や田園都市開発のモデルとして散布される。このように、都市の工学的基盤はイメージ形成のプラットフォームとなる一方で、そのイメージによってモディフィケートされる。とすれば、神戸近郊(「再度山」「六甲村」「緑ケ岳」)への住まい(「西洋館」)探しの顛末を語った稲垣足穂の「煌ける城」(一九二五・一)は、その内部に穿たれた間の質感を露にしたテクストとして読めるだろう。
・前衛芸術と郷土芸術――神戸一九二〇年代文学の後景――
島村 健司
本報告における領分の大枠は、文学と美術のかかわりを検討することである。具体的には、たとえば、稲垣足穂「星を売る店」(一九二三)の冒頭部で描かれるような前衛芸術を踏まえた小説表現の背後に考えられる当時の神戸の状況について、『大阪朝日新聞神戸附録』を手がかりに検討する。一九二〇年代はじめの神戸では、とくに絵画の分野において前衛芸術の息吹が感じられはじめる。それが明らかな広がりをみせたのは、一九二三年に第八回を迎え、「神戸の帝展」ともされた「神戸美術展覧会」であった。「未来派」や「表現派」といった術語で批評された作品の数々を掲示したこの展覧会は開期が延長され、人気を博したようすがうかがえる。このような当時の神戸の動向を前提にしつつ、しかし、前衛芸術を単に前衛芸術として受容することとは別に、郷土芸術として包摂しようとする一面も確認できる。このような側面を明らかにしてみることが本報告の中心になる。
2016年度関西支部秋季大会 自由研究発表募集のお知らせ
日本近代文学関西支部では、2016年度秋季大会での自由研究発表を募集いたします。支部会委員の皆さまの積極的な応募をお待ち申し上げます。
日時会場 2016年10月29日(土)/於 甲南女子大学
応募締切 2016年7月15日(金)必着
応募要領
発表題目及び600字程度の要旨を封書でお送りください。
必ず連絡先(電話番号、メール・アドレスなど)も明記してください。
○発表時間は30分程度です。
○採否については、運営委員会で決定次第お知らせいたします。
※発表に関してご不明の点は事務局までおたずねください。
(お問い合わせ先:kinji@mukogawa-u.ac.jp)
送付先
〒663-8558
兵庫県西宮市池開町6-46
武庫川女子大学文学部 山本欣司研究室内
日本近代文学会関西支部事務局