会報23号

2016年5月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。
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2016年 日本近代文学会関西支部春期大会 連続企画第二回趣旨・発表要旨・講演者プロフィール

連続企画
「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」

第二回「根(ルーツ)を問う」
趣旨文

 連続企画第二回では、人々の出自や故郷が持つ記憶=「根」と、関西との関係を、文学から問いたい。
 関西の特定の地域で生まれた、という出自の問題は、時に人々を差別や暴力にさらし、 人々に「根」との対峙を強いてきた。企画の一つの軸は、抗いがたい運命のようにつきまとう、この「根」の問題と葛藤する方法を、文学、あるいは文字表現はいかに用意したのか、あるいはその葛藤をどのように表現してきたのかを考えることにある。
 また、関西には、生まれた場所から離れ流入してきた人々が集い、自分たちの生きる場所を作り上げた、そのような空間が散在している。自らを〈異〉なる者として規定する視線にさらされながら、そこにいる人々は、文学によって、どのように自分たちの場所を確保したのか。この問いが、もう一つの軸となっている。それは言い換えれば、「根」から切り離された空間において共同性を確保する、という営為と、文学がいかに関与したのかを問うことでもある。
以上の問題を、「《異》なる関西」という標題で括る暴力性そのものを再検証しうるような議論の場としつつ、場所と人とに積層する記憶を掘り起こし、そこで生じた文学と、人々の生のあり方を凝視すること。このような狙いから、連続企画第二回を開催したい。
発表要旨
 金達寿における関西
 ―〈神功皇后の三韓征伐〉と「行基の時代」

廣瀬 陽一
 在日朝鮮人作家でのち古代史研究家となった金達寿(一九二〇~九七)は、一九三〇年に渡日して以後、神奈川県や東京都内で暮らし、関西に生活の根を下ろすことはなかった。だが彼の知的活動に目を転じると、関西ほど関係の深い地域はない。彼と関西との出会いは小学五年生の時に授業で教えられた〈神功皇后の三韓征伐〉に遡る。多くの朝鮮人と同様、当時の彼も民族的劣等感を抱いて苦悩したが、やがてこの劣等感が客観的事実ではなく、植民地生活の中で〈三韓征伐〉的発想を内面化した結果と認識するようになった。そこで彼は日本の敗戦=解放後、まず文学活動を通じて自分の内なる〈関西〉と闘争した。そして七〇年頃から徐々に活動の舞台を古代史に移し、そこでも〈三韓征伐〉などで表現された日本と朝鮮、日本人と朝鮮人との関係を、いかにして人間的なものにするかを探究した。彼の最後の小説「行基の時代」(七八~八一)は、その可能性を追究した果てに書かれたものに他ならない。
 このように関西は、金達寿にとって知的活動の原点であると同時に、文学活動の終着点となった場所でもある。むろん両者の間で〈関西〉が意味するものは異なる。原点としての〈関西〉は〈三韓征伐〉的発想の中で表象される権力の中心であり、終着点としての〈関西〉はその中で消されたもう一つの姿である。では彼はいかにしてもう一つの〈関西〉を見出していったのか。本発表ではこの過程に焦点をあてて述べたい。
 織田作之助と川島雄三
酒井 隆史
 作家織田作之助と映画監督川島雄三についてお話をさせていただきたいとおもいます。この二人は、関西と東北という出身地の大きな違いにもかかわらず、みじかいあいだとはいえ、深いまじわりを交わし、たがいの創作、とりわけ川島雄三の映像作品に消しがたい刻印をもたらしました。大谷晃一さんは、この二人についてみごとな評を残しています。「川島は大正七年に、青森県の下北半島にある田名部(たなぶ)町の商家に生まれた。現、むつ市。先祖は近江商人という。幼時に小児麻痺をわずらい、足が不自由だった。深刻なコンプレックスを内に秘めながら、表面はむしろ陽気で軽佻だった。寂しがりやの照れ屋である。人のことを気にして調子を合わせた。昔気質の人情家で、古風な立身出世への憧れがあった。自虐的な汚らしさの中に、人の悲しみを表現しようとした。驚くべきことである。それは、作之助そっくりだった。たちまち、心の通じ合う友人になる」。このような人間的共鳴をきっかけにして、織田作之助の死後、川島雄三は、みずからに織田作之助のもたらした刻印とはなんだったのかを測定するかのように、いくつかのこの作家に由来する大阪を舞台にした作品を撮影しつづけます。それを追っていきながら、ここでは、川島雄三によって折りひらかれた織田作之助の大阪について考えてみたいとおもいます。
講演
 『京都』について

黒川 創
プロフィール
 作家・評論家。一九六一年生まれ。京都市出身。同志社大学文学部卒業。「思想の科学」を舞台に評論活動を展開するとともに、一九九一年「若冲の眼」で小説家としてデビュー。以後『もどろき』(二〇〇一)、『イカロスの森』(二〇〇二)、『明るい夜』(二〇〇五)、『かもめの日』(二〇〇八 読売文学賞受賞)、『いつか、この世界で起こっていたこと』(二〇一二)、『暗殺者たち』(二〇一三)などの小説を次々に発表。芥川賞、三島賞等の候補にも数次にわたり推挙される。
 小説の他、『〈外地〉の日本語文学選』全三巻(一九九六)、『鴎外と漱石のあいだで―日本語の文学が生まれる場所』(二〇一五)など外地文学に関する精力的な評論・創作活動を展開し、東アジア全域を視野に入れた日本語文学史の再検討を試みている。また『きれいな風貌 西村伊作伝』(二〇一一)や、大逆事件を扱った『国境〔完全版〕』(二〇一三 伊藤整文学賞受賞)など、関西の文化風土に対する著作も多数発表している。
今回は京都の被差別部落を舞台とした小説『京都』(二〇一四 毎日出版文化賞受賞)を中心に、「《異》なる関西」の相貌についてご講演いただく予定である。
◆『京都』(二〇一四年一〇月三一日 新潮社 一九四四円+税) ISBN: 978-4-10-444407-6

2016年 日本近代文学会関西支部春期大会ご案内

日時:六月四日(土)午後一時より
場所:花園大学 無聖館ホール五階
    →交通アクセスキャンパスマップ
内容
開会の辞:花園大学文学部長  松田 隆行
             
連続企画
「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」
第二回「根(ルーツ)を問う」(今回の趣旨と発表要旨はこちら)
         
趣旨説明、司会
     天野知幸
     福岡弘彬
発表
金達寿における関西―〈神功皇后の三韓征伐〉と「行基の時代」
                      廣瀬 陽一
織田作之助と川島雄三
                      酒井 隆史
講演
『京都』について
                      黒川 創
質疑応答
閉会の辞:支部長       浅子 逸男
総会
※ 総会終了後、花園大学「ふるーる」にて懇親会を開催します。
会費は五〇〇〇円(学生・院生三〇〇〇円)の予定です。

2016年度秋季大会・連続企画の募集案内

連続企画(第3回) シンポジウム 「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」
すでに総会・「会報」等で予告しておりますように、標記連続企画の第3回は、下記の趣旨に基づいた企画案を会員から募集しています。
2016年4月15日(金)を締切としていますので、企画趣旨、発表者、論題等の概要を添え、事務局宛にメールまたは郵送(締切必着)でお申し込みください。
趣旨
本企画は、関西の文芸文化の中でこれまで必ずしも光が当てられてこなかった対象――人・風土・メディアなど――を新たに考察・評価する試みである。ただ、本企画は、埋もれた対象の発掘作業に終始するものではない。その狙いには、自らの居るこの「関西」という場所自体を批評的に問い直し、既成の史的枠組みや知識で捉えられてきた関西における文芸文化の姿をも再考することを含んでいる。これまでの認識に揺さぶりをかけるような「《異(い)》なる関西」を探求することで、新しい文学観や地勢図が開かれるかもしれない。
 その検討に際し、ひとまず中心とするのは、1920・30年代である。この時期、大規模な経済的、社会的変動を背景としてモダン文化が勃興したことはよく知られているが、関西ではどのような動きがあったのだろうか。たとえば、佐藤春夫や稲垣足穂と関係の深い神戸の詩人、石野重道。彼はどのようなメディアに自身の作品を発表し、また、いかなるネットワークの中で活動していたのか。そして、彼(とその周囲の表現者たち)を創作へと駆り立てたエネルギーとは、いかなる強度と広がりを持つものであったのか。――一つの事象を核として明らかにされていく、まだ知られていない関西文芸文化の側面は、他にも多くあるだろう。
また、この時代の前後に、その検討対象を準備/継承/更新したものがあるのならば、それも議論の範囲に含めてもよいだろう。「関西」を軸に、既成の枠組みを問い直すダイナミズムやドラマを掬い上げることで、「関西」自体が内と外との双方に対して、その《異(い)》なる相貌を現すことを企図している。
支部内外からの様々なアプローチによって、新しい知見が議論を通して得られることを期待している。

会報22号発行

2015年10月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。
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2015年 日本近代文学会関西支部秋季大会 シンポジウム趣旨・発表要旨

連続企画(第一回) シンポジウム 「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」
趣旨
 本企画は、関西の文芸文化の中でこれまで必ずしも光が当てられてこなかった対象――人・風土・メディアなど――を新たに考察・評価する試みである。ただ、本企画は、埋もれた対象の発掘作業に終始するものではない。その狙いには、自らの居るこの「関西」という場所自体を批評的に問い直し、既成の史的枠組みや知識で捉えられてきた関西における文芸文化の姿をも再考することを含んでいる。これまでの認識に揺さぶりをかけるような「《異(い)》なる関西」を探求することで、新しい文学観や地勢図が開かれるかもしれない。
 その検討に際し、ひとまず中心とするのは、1920・30年代である。この時期、大規模な経済的、社会的変動を背景としてモダン文化が勃興したことはよく知られているが、関西ではどのような動きがあったのだろうか。たとえば、佐藤春夫や稲垣足穂と関係の深い神戸の詩人、石野重道。彼はどのようなメディアに自身の作品を発表し、また、いかなるネットワークの中で活動していたのか。そして、彼(とその周囲の表現者たち)を創作へと駆り立てたエネルギーとは、いかなる強度と広がりを持つものであったのか。――一つの事象を核として明らかにされていく、まだ知られていない関西文芸文化の側面は、他にも多くあるだろう。
また、この時代の前後に、その検討対象を準備/継承/更新したものがあるのならば、それも議論の範囲に含めてもよいだろう。「関西」を軸に、既成の枠組みを問い直すダイナミズムやドラマを掬い上げることで、「関西」自体が内と外との双方に対して、その《異(い)》なる相貌を現すことを企図している。
支部内外からの様々なアプローチによって、新しい知見が議論を通して得られることを期待している。
発表要旨
一九二〇年代~三〇年代の大阪文化・文学研究―『大阪時事新報〈文芸欄〉』を視座として―
増田 周子
大阪市は、大正一四(一九二五)年四月一日、東西南北の四区に周辺地域を合併し、東京市を抜き、世界第六、日本第一の巨大都市となった。「大大阪」時代の到来である。大正一二(一九二三)年の関東大震災で東京が大打撃を受け、谷崎潤一郎ら有力作家が関西に移住し、関西にとっては文化発展の絶好のチャンスであった。「大大阪」時代前後は、カフェサロンに集まった人々が担った文化活動も発展し、活気づいた大阪の様子が見られ華やかである。一方、昭和金融恐慌の時期とも重なり、失業者も増え、厳しい面も見られる。すなわち、モダニズム文学の隆盛の一方で、社会主義文学も発展していく状況下なのである。これら、「大大阪」時代周辺の大阪文化や文学―人・風土・メディア─とはどのようなものであり、作家達を創作へと駆り立てたエネルギーとは、いかなる文化強度に支えられていたのであろうか。本発表では、これまでほとんど取り上げられてこなかった『大阪時事新報〈文芸欄〉』をもとに、その他のメディアでの文化活動も視野に入れ、広く大阪文化やメディア作家を見渡し、興味深い点を拾い上げて考察していきたい。当時の大阪文化を見直すことで「《異》なる関西」の諸相を探求することを目的とする。
昭和初期・神戸の文学青年、及川英雄――文学における中央と地方
大東 和重
近代日本において「文壇」と呼ばれるものは東京にあった。しかし地方都市にも、規模は異なるが文学愛好者たちのつながりがあり、文学活動が行われていた。ことに高等教育機関の整備が進み、同人雑誌が盛んに刊行される一九二〇年代以降、中央からの刺激を受けつつ、各地で無数の文学青年たちが活動した。
本報告では、昭和初期の神戸で、公務員として働く傍ら文学への情熱を燃やし、東京の雑誌や同人雑誌にも関わった、及川英雄(一九〇七─七五年)の活動の輪郭を描きつつ、関西の港町にあって創作することの意味を考えてみたい。及川英雄は関西学院大学神学部を中退後、同人雑誌などで文筆活動に励むも、一貫して神戸に住み、衛生・福祉行政を中心に県庁勤務を四十年間続けた。戦後は神戸の文化人サークル「半どんの会」の世話役として兵庫文化界の中心人物の一人となった。
昭和初期の神戸の文学については、林喜芳『神戸文芸雑兵物語』や足立巻一『親友記』など当事者の回想以外に、宮崎修二朗の労作『神戸文学史夜話』、高橋輝次の『関西古本探検』など一連の古本エッセイ、さらに詩人の季村敏夫による、無名であることにこだわった渾身の考証、『山上の蜘蛛』『窓の微風』がある。これら、神戸の詩人や作家たちへの深い愛情と哀悼に満ちた書物に導かれつつ、昭和初期・神戸の文学の一端を、及川を通して眺めてみたい。
熊野新宮─「大逆事件」─春夫から健次へ
辻本 雄一
 紀伊半島の先端近く、ひとつの町・熊野新宮の近代の歩みが、「日本近代」の縮図として映らないか─そんな「大風呂敷」。
 開明的、進取の精神が、反骨の精神と相まって、人々を捉える、そこに「大逆事件」の衝撃。外から訪れてくる人たちによって談論風発した町が、「恐懼せる町」に変貌、ふるさとから上京した人たちは、モダニズムと出合う、「大逆事件」の翳りをどこかで引き摺りながら。佐藤春夫から中上健次へ、「近代の文学」といわれた時代を駆け抜けたこの町出身の文学者たち。
「中上文学」の登場は、あらためて「熊野」と言う場を、普遍的な場として意識させ、内在的に「熊野」の磁場を問いかけることになった。「中上文学」の課題「路地解体」は、わが国の国土解体の象徴では。
 一九二〇―三〇年代というかたちで、絞りきれないかもしれないが、断片的、大まかすぎると自覚しつつ、幾つかのエポックを辿ってみたい。「大風呂敷」に似合わない些末なことに終始するのではないかとの危惧を抱きながら。

2015年 日本近代文学会関西支部秋季大会ご案内

日時:11月7日(土) 午後1時より
場所:大阪大学豊中キャンパス 文法経講義棟 文41
         → 交通アクセス&キャンパスマップ
内容
開会の辞
   大阪大学大学院文学研究科教授    出原 隆俊
シンポジウム
「《異(い)》なる関西─1920・30年代を中心として─」 
(連続企画第一回;本企画の趣旨と発表要旨はこちら
趣旨説明、司会 
    高木 彬
    山田 哲久
報告
 一九二〇年代~三〇年代の大阪文化・文学研究―『大阪時事新報〈文芸欄〉』を視座として―
                       増田 周子
 昭和初期・神戸の文学青年、及川英雄―文学における中央と地方
                       大東 和重
 熊野新宮─「大逆事件」─春夫から健次へ
                       辻本 雄一
ディスカッサント  山口 直孝
閉会の辞    
   日本近代文学会関西支部長    浅子 逸男
総会
総会終了後、大阪大学カフェ&レストラン「宙 (sora)」にて懇親会を開催します。
会費は五〇〇〇円(学生・院生三〇〇〇円)の予定です。

会報21号発行

2015年5月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。
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