2022年度関西支部秋季大会の開催について

2022年度の支部秋季大会は、10月22日(土)・23日(日)の全国大会(同志社大学)内で開催いたします。

大会プログラム・発表要旨など、詳細情報については、日本近代文学会HPの下記ページをご確認ください。

 

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プログラムは、[コチラ]

オンライン参加/対面参加 事前登録は、[コチラ]

関西支部機関誌の原稿募集

▼2021年6月4日の総会で、関西支部の電子版機関誌の刊行が承認されました。

論文原稿を募集します。

▼機関誌名は『関西近代文学』です。

▼創刊は、2023年(令和5年)3月を予定しています。日本近代文学会関西支部の公式ブログにアップロードします。電子版のみの発行となります。

▼投稿の締め切りは、2022年(令和4年)11月5日(土)。

▼メールで受け付けます。また、CDやUSBメモリーの郵送も受け付けます。

送り先:kikanshi@kinbun-kansai.sakura.ne.jp(『関西近代文学』編集委員会)

〒567-0013 大阪府茨木市太田東芝町1-1

追手門学院大学文学部  西尾 宣明宛

(「関西近代文学原稿在中・重要」と表書きしてください)

▼編集委員は、太田登、檀原みすず、西尾宣明、佐藤秀明、田中励儀、増田周子、木田隆文、木谷真紀子の8名です。

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電子版『関西近代文学』投稿規定

1、日本近代文学会関西支部の会員は、『関西近代文学』に投稿することができる。

2、原稿は日本語で作成されたもので、原則として縦書き表記に限る。

3、同一集に複数の論文等を投稿することはできない。他誌との二重投稿もできない。他誌(外国語誌を含む)に投稿中のもの、掲載予定のものも投稿することはできない。また、本誌掲載後(投稿中も含む)は他誌への投稿を禁じる。

4、論文は未発表のものに限る。リポジトリ等で公開された博士論文の一部をそのまま投稿することはできない。すでにリポジトリ等で公開された博士論文の一部を書き改めたものを投稿する場合は、当該リポジトリのURLを明記するとともに、投稿にあたってどのような変更を行ったかを簡潔に書き添える。

5、図版等を使用する場合は、著者が許諾の責任を負うこととする。

6、『関西近代文学』には2号続けて論文を投稿することはできない。

7、掲載された論文は、科学技術情報発信・流通総合システム(J-STAGE)に登載される。著者はJ-STAGE登載を許可したものとする。

8、論文を再投稿する際は、必ずその旨を明記する。

9、書式は以下のとおりとする。

(1)「論文」は総文字数15,000字以上20,000字以内(タイトル・図版・注を含む)を原則とし、30字1行で705行(組版で20頁)を上限とする(タイトル・図版・注を含む)。また、注も本文と同じ行数・字数とする。

(2)原文の引用では、漢字は新字のあるものはなるべく新字を用い、注の記号・配列なども本誌のスタイルに合わせる。

(3)投稿は、電子データで送る。

(4)論文とは別のファイルで、300字程度の要約(日本語)をつける。その際、キーワードを5つとタイトル、投稿者名を明記する。

(5)『関西近代文学』投稿エントリーシート(公式ブログ掲載)に必要事項を記入し、論文と一緒に提出する。

10、投稿の締め切りは、11月5日と5月5日とする。

※以上の規定に違反した投稿論文は査読対象としない。

査読方法及び審査基準

【査読方法】

原則として二名以上の委員が査読し、編集委員会での審議を経て、当該論文の採否を決定する。査読は、投稿者に対して客観的な立場をとり得る委員が担当し、編集委員が委嘱した査読委員が担当することもある。掲載に際しては、投稿者に加筆・訂正を依頼する場合がある。

【審査基準】

審査においては、以下のいずれかに該当する論文が重視される。

(1) 当該領域の研究史をふまえ、その領域で新しい知見を切り開く論文。

(2) 新しい研究領域・新しい研究方法を提起する論文。

(3) 研究上有益な資料を発掘し、意味づけた論文。

(4) その他、研究の発展に大きく貢献する論文。

【採否及びその通知について】

採否とその通知にあたっては、以下の通り対応する。

A:採用(ただし字句・表現などの修正を求める場合がある)。

B:改稿を求めるコメントをつけ、当該集への再投稿を促す(再審査を行う)。

C:不採用。不採用の理由をつける。

参考

著作権について

『関西近代文学』掲載論文の著作権は著者に帰属しますが、著者は日本近代文学会関西支部に対し包括的に当該論文の利用を許諾するものとします。著者の意思に基づき自由に論文の二次利用は可能ですが、初出の掲載URLを含む書誌事項を表示していただくようお願いいたします。

2022年6月5日 日本近代文学会関西支部編集委員会

投稿用フォーマット(なるべくこのフォーマットをご利用下さい。)

エントリーシート

追記:書式(1)について、郵送の書類からの修正がございます。

2022年度日本近代文学会関西支部春季大会 ポスター

2022年度関西支部春季大会は、オンライン上(zoomウェビナー)で大会を実施します。 → 終了しました。

 

・春季大会発表資料

自由発表

河内美帆「第三次『新思潮』創刊号と出発期の豊島与志雄」

西田正慶「戦中派世代の殺人」

松山哲士「筒井康隆「東海道戦争」論」

特集

八原瑠里「森鷗外と横光利一」

坂崎恭平「〈あそび〉としての文学」

林正子「〈Resignation〉の創作力」

 

総会資料

 

2022年度日本近代文学会関西支部春季大会 特集企画 

特集 鷗外をひらく 森鷗外没後一○○年

[企画要旨]

二〇二二年、森鷗外は没後一○○年(生誕一六○年)を迎える。これを機として、本年度の春季大会では、「鷗外をひらく」と題した特集を組み、現代小説から歴史小説、史伝、詩歌、戯曲、評論、日記、翻訳と幅広い創作活動を続けた森鷗外の文学に新しいメスを入れ、アクチュアルな鷗外文学の意義に迫りたい。たとえば、一見すると身勝手な男の述懐とも読める「舞姫」や、大逆事件に批判的な小説を発表する傍らで陸軍軍医総監に上り詰めて権力の側に立つアンビバレントな文学者の姿は、現代において、どのように捉えなおし、評価することができるだろうか。教育現場に目を向ければ、〈森鷗外〉は文豪という権威性の記号であるが、一方では、国語教科書からは鷗外の作品そのものは消えつつある。そのような教科書の鷗外の現状は、どのように考えられるだろうか。後続の文学に影響の大きい鷗外と他の重要な文学者との関係を今日あらためて問いなおすことで、鷗外文学のまだ見ぬ相を照らし出せはしまいか。没後一○○年(生誕一六○年)を好機として、現在もなおさまざまな可能性をはらむ鷗外文学を新しい視点から繙読したい。

そこで、本特集では、まず弓削商船高等専門学校の八原瑠里氏に「森鷗外と横光利一―「国語教育」を視座として」と題し、国語教育の観点から鷗外と横光を比較することで、言葉に対する両者の問題意識についてご発表いただく。次に同志社大学の坂崎恭平氏に「〈あそび〉としての文学―二葉亭四迷から考える中期の諸作品―」と題し、鷗外の短篇「あそび」を取り上げ、二葉亭と鷗外のモティーフの共有から鷗外文学を今日にひらく可能性についてご発表いただく。最後に岐阜大学の林正子氏に森鷗外「〈Resignation〉の創作力―「鷗外文話」から史伝まで―」と題し、〈Resignation〉を鍵語として初期から後年まで通底する鷗外の思想的な基盤についてご発表いただく。会場からの質疑を受けて、鷗外文学を現代にひらく活発な議論を行いたい。

 

[発表要旨]

森鷗外と横光利一―「国語教育」を視座として

八原 瑠里

森鷗外は、日本文学を代表する作家であり、長きにわたり国語の教科書に作品が掲載されている。

本発表では、この「国語」あるいは「国語教育」を新たな視座として、横光利一という世代の異なる作家を補助線に、「森鷗外をひらく」試みをしてみたい。

横光は、親子ほど年齢が離れた鷗外の作品をどのように受容・評価しているのか。「河北新聞」(一九三三・六・九)では「日本の国語の美しさを充分に表現してゐるとお考へになるやうな作品は?」という問いに鷗外の「雁」を挙げている。先行研究では、座談会「新しい横光像を求めて」(『解釈と鑑賞』、一九八三・一〇)で、井上謙が横光の「笑はれた子」に鷗外訳のフレデリック・ミストラル「蛙」からの影響を示唆した。そして、宮口典之は「森鷗外と横光利一」(『森鷗外論集 出会いの衝撃』、新典社、一九九一・一二)で、横光の「純粋小説論」以降の作品と「雁」における表現の共通性を指摘した。このように横光は鷗外の文学を高く評価し、その文学性にも共通点が多くみられる。

その一方で、二人が受けてきた「国語」の教育には相違点がある。藩校で学んだ最後の世代であり、「国語」の立ち上げを見守った鷗外と、最初に国定教科書を用いて「国語」を学んだ世代の横光。ここでは、言葉に対する二人の問題意識に焦点化し、その共通性を探っていきたい。世代の離れた作家の共通性を探ることは、それぞれの特徴だけでなく、日本文学に通底する意識を再考するきっかけになるのではないかと考えている。

 

〈あそび〉としての文学―二葉亭四迷から考える中期の諸作品―

坂崎 恭平

「文学は私には何うも詰らない、価値が乏しい。で、筆を採つて紙に臨んでゐる時には、何だか身体に隙があつて不可。遊びがあつて不可。どうも恁う決闘眼になつて、死身になつて、一生懸命に夢中になる事が出来ない。」―晩年の長谷川辰之助・二葉亭四迷はそう述べている(「送別会席上の答辞」一九〇八・七)。「国際問題」―平たく言えば、〈文学〉に対する〈政治〉―を主眼とする彼は、その一年後にベンガル湾上で客死し、多くの文学者がその死を悼んだ。

追悼文集とも言うべき坪内逍遙・内田魯庵編『二葉亭四迷』(易風社、一九〇九・八)には、鷗外もまた一文を寄せている。前年自身のもとを訪れた際、「暫く話してゐたが、此人の口からは存外文学談が出ないで、却て露西亜の国風、露西亜人の性質といふやうな話が出た。」という鷗外の回顧には、二葉亭が文学に「一生懸命に夢中になる事が出来ない」・「遊びがあつて不可」、という彼の自己認識が反映されていると言えるだろう。

同時期に書かれた鷗外の短編小説「あそび」(『三田文学』一九一〇・八)は、コンテクストこそ違えど、〝〈あそび〉としての文学〟というライトモティーフを、二葉亭と共有している。官吏であり文学者でもある主人公・木村は、文学を「遊びの心持」でやっていくと揚言する。「筆と爆裂弾とは一歩の相違があるばかり」と云う二葉亭と比べれば、木村の心持ちは多分に軽い。「国際問題」に対して真剣であるがゆえに文学に夢中になれない二葉亭と、そもそも「真剣も木刀もない」木村―同時期の鷗外の文学を、両者のいわばハイブリッドとして捉えることで、その可能性の一端を切り拓くことを試みたい。

 

〈Resignation〉の創作力―「鷗外文話」から史伝まで―

林 正子

鷗外の随筆「予が立場」(『新潮』第一一巻第六号 一九〇九年一二月)で用いられたドイツ語「Resignation」は、漱石晩年の「則天去私」を連想させる、鷗外の心境を表現する言葉として知られる。「諦念」という日本語では表現しきれないとされ、時にフランス語「résignation」と表記される「Resignation」は、おもに鷗外の陸軍軍医総監時代の作品に見られるが、文学活動の初期から最晩年にいたるまでを貫流する鷗外文学の基調を表現する鍵語であると考えられる。今回の報告では、自明のようでありながらその実質は必ずしも分明ではない鷗外の「Resignation」の内実に迫ることをめざしている。

具体的には、『柵草紙』第二〇号(一八九一年五月)に「鷗外文話」の総題のもと掲載された一一編(うち六編の初出は、「舞姫」「うたかたの記」と同年の一八九〇年『國民新聞』『日本之文華』)など創作活動最初期の作品から、一九一六年四月陸軍省辞職、予備役編入後の「澀江抽斎」(『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』一九一六年一月〜五月)はじめ一連の史伝作品にいたるまでを通底していると考えられる、鷗外文学の思想的基盤について考察する。

「鷗外文話」「其十、小説中人物の模型」の「わが小説を作るときは、いまだ先づある理想を得て業に就きしことなし。われは必ず先づ實在の人物を得るなり。さてこの人物に適ふやうなる性質次第に集まりて、遂にその一身に融合す。われ生れながらにして空に憑りてものを見出す能少し。故に先づ堅き地を得し上ならでは、自在に運動すること能はず。」などの記述を糸口として論を展開したい。

 

〈ゲスト発表者プロフィール〉

林 正子

神戸大学大学院文化学研究科単位修得退学後、岐阜大学教養部講師・助教授を経て、地域科学部教授。ハイデルベルク大学、ライプチヒ大学客員教授。二〇二一年、岐阜大学を定年退職。現在、岐阜大学名誉教授。主著として『博文館「太陽」と近代日本文明論―ドイツ思想・文化の受容と展開』(勉誠出版 二〇一七年)など。

2022年度日本近代文学会関西支部春季大会 自由発表 発表要旨

第三次『新思潮』創刊号と出発期の豊島与志雄―同時代の文学潮流を視座に

河内 美帆

豊島与志雄は、第三次『新思潮』創刊号(一九一四年二月)に「湖水と彼等」を発表し、作家としての一歩を踏み出した。同作を皮切りとした創作がほどなく既成作家の目に留まり、豊島は新思潮派のなかでいち早く文壇に躍り出る。それを後押ししたのは、当時の自然主義文学の牙城である『早稲田文学』の中枢を担う中村星湖や吉江孤雁といった文学者であった。

早稲田派から高い評価を得たのは、豊島作品が当時の自然主義文学に通底する象徴主義・生命主義的な傾向を共有していること、それらの理念と密接な関係を持つ神や生命の問題、また自然描写を随所に織り込んでいることに由来すると考えられる。そして、それはひとり豊島のみではなく第三次『新思潮』創刊号に寄稿した他の同人たちに共通する傾向でもあった。新思潮派は、芥川龍之介や菊池寛を典型として、反自然主義的な性格を持つというのが通説とされている。だがそうした通説の内容は、いまや再検討されなければならないだろう。

本発表では、処女作「湖水と彼等」の他に、豊島の出世作となった「恩人」「犠牲」について考察する。出発期を代表するこれら三作には、流行思想としての象徴主義・生命主義を作品に取り入れながらそれらを反転させるという試みを見て取ることができる。第三次『新思潮』創刊号の性格と早稲田派との関係を視野に入れながら、こうした試みの中に潜む豊島の批評性を明らかにすることが、本発表の狙いである。

 

戦中派世代の殺人―坂口安吾「復員殺人事件」と高木彬光「樹のごときもの歩く」

西田 正慶

坂口安吾「復員殺人事件」(『座談』四九・八~五〇・三→『宝石』五七・八~一一)は、作者の死により未完に終った長篇ミステリ小説である。荒正人と江戸川乱歩の推挙により、高木彬光が解決篇を補い、「樹のごときもの歩く」(『宝石』五七・一二~五八・三)として完成させた。

奥野健男は、戦後社会の既成価値や人倫の壊乱についての描写を評価したが、それ以来、本作に関する論考に目立ったものはない。しかし、安吾が遺した作品の結末を高木が改変した点は注目に値する。昭和二二年、小田原に闇稼業で財を成した一家を舞台に作品は展開する。当初、安吾が登場人物の美津子(二二)の単独犯行として構想していた筋書きに、高木は兄・定夫(二五)の関与を加えた。高木は〈戦中派〉の人間による凶行という要素を作品の核に据えたのである。

補筆によって生じたこのズレは、世代論に関する安吾と高木の認識の差異を際立たせる。安吾の批判意識は、アプレ・ゲール青年=戦後派の特質を規定した『近代文学』派の言説に向けられていた。他方高木は、「戦後は終った」という認識の下で台頭した後続世代を、戦中派の立場から批判的に捉えていた。

本発表では、「復員殺人事件」および「樹のごときもの歩く」の合作という成立過程に照準することで、坂口安吾と高木彬光が、いかに自らを取り巻く世代論的言説と対峙したかについて考察する。作品の読解を通して、両者が「実感」にもとづき無意識に受け入れた世代論的なバイアスを相対化していることを明らかにする。

 

筒井康隆「東海道戦争」論―戦争体験の風化と当事者意識の欠落―

松山 哲士

筒井康隆「東海道戦争」(『SFマガジン』一九六五年七月)は、情報の行き違いが原因で、大阪と東京が戦争をする短編小説である。石川喬司(一九六六)は、本作の戦争が、D・J・ブーアスティンの提起する、マスコミが出来事を創造する「疑似イベント」に関連すると指摘した。また、内田友子(二〇〇七)は、「疑似イベント」が野次馬を巻き込み、「戦争のイメージ」と現実とがすり替わる様を論じた。その他に先行論は、戦争の喜劇性やドタバタ性に言及した。しかし、本作の主要な登場人物が、戦争体験のない若者であることに注目した論はない。

本発表は、本作の若者が、戦争映画に影響を受けて戦争に憧れている点に着目する。この作中の若者像は、当時の実際の若者が、架空の戦争映画から戦争に「カッコいい」印象を抱いていたという傾向が関係する。筒井はそのような実在の若者の動向を捉え、「カッコいい面」や「ドタバタ的な面」を無視して戦争像はつかめないと述べ、作中の若者像に反映させた。だが、本作品の主要なテーマは、安全な環境から他人事として戦争を見、戦争を「カッコいい」と感じていた若者が、戦争に関与した途端、悲惨な運命をたどるところにある。戦争は誰の意志も介入できず、自らの命や身近な人の命を脅かすことを、「おれ」を含めた主要人物全員の死をもって描出するのだ。

以上より、本作は、憧れた戦争に翻弄される若者の姿を描くことにより、戦後二〇年当時における戦争体験の風化と、戦争への当事者意識の欠落を風刺したと論じる。