2021年度日本近代文学会関西支部秋季大会 パネル発表 趣旨文

雑誌『小天地』の基礎的研究――明治期地方文芸メディアの一ケースとして――

(パネラー)掛野剛史、竹本寛秋、西山康一
(司会進行)庄司達也

 本発表では、明治期に大阪で刊行された文芸誌『小天地』(金尾文淵堂)を取り上げて、その編集戦略についてこれまで調査・検討してきたことを報告する。

 小天地』は明治三三(一九〇〇)年一〇月からおそらく明治三六年一月まで、当時大阪心斎橋筋にあった金尾文淵堂が刊行した文芸誌である。この雑誌は『女性』や『苦楽』とともに「大阪刊行誌の冠たるもの」(藤田福夫)と評価されることもあるが、一方でその『小天地』から「どのような文学運動が生みだされたか、どのような作品が生みだされたかとなると、印象はぼやける」(明石利代)とも言われてきた。

 「大阪刊行誌の冠たるもの」とされる理由は、同時代に大阪で発行された文芸誌と比較してみるとよくわかる。たとえば、『よしあし草』(明治三〇年創刊、三三年に『関西文学』と改題)など当時大阪で刊行されていた雑誌といえば、ほとんどが地元の若手育成のための同人誌的なものであったのと対照的に、『小天地』は高安月郊、菊池幽芳、須藤南翠といった関西圏で活躍していた作家と同時に、巌谷小波、泉鏡花、川上眉山、与謝野鉄幹、坪内逍遥、綱島梁川、内藤湖南、小杉天外、後藤宙外、島村抱月といった東京圏でも活躍中の著名な作家をも賛助会員に据え、さらには小栗風葉、柳川春葉、国木田独歩、島崎藤村、徳田秋声、永井荷風、馬場孤蝶、正宗白鳥といった当代の流行作家たちの投稿を慫慂してもいる。その意味で、関西文壇の流れと東京文壇の流れが合流するかのような独特の誌面構成をもつ雑誌として、まさに画期的だったといえよう。

 だが、その一方で実際に掲載された文学作品を見ると、確かに東京圏の文学動向の後追いの印象が否めず、また独歩の作品を除けば現在まであまり見直されることのなかったものも多い。しかし、『小天地』という雑誌の構成・活動はそうした小説作品に限らず、もう少し多面的に見る必要があり、むしろそれこそがこの雑誌の面白さといえるかもしれない。『小天地』の内容構成としては、おおよそ小説・評論・文苑・雑録・社会・譚園・芸苑・批評・彙報となっている(号によって多少の異同はあるが)。また、これ以外にも投稿募集記事、さらに西洋美術や作家の図版・写真版も多く載せる。そうした多面的な構成・活動の中では、たとえば若き日の松崎天民を中心とした社会欄における探訪記事、あるいは薄田泣菫が中心となって編集することからくる文苑欄・彙報欄における韻文の充実、積極的な投稿募集等々、そこには戦略的とも思える多彩な展開が見て取れるのである。

 こうした編集を通して『小天地』という、明治期に地方、特に関西の地に成立した文芸メディアが、いったい何をしようとしていたのか、その戦略はいったいどのようなものだったのか――そうしたことを明らかにすることで、個々の文学作品研究に止まらない、明治期地方ジャーナリズムの一つのありようを、あるいはそれがその後のジャーナリズム全体へもたらした影響などを検討したいと考えている。

 なお、本発表は科学研究費補助金(課題番号19k00344「雑誌『小天地』(金尾文淵堂発行)の基礎的研究―明治期大阪文芸メディアの戦略分析―」)の助成を受けて行うものである。