2009年度春季大会シンポジウム発表要旨

 2009年度日本近代文学会関西支部春季大会におけるシンポジウム「文学研究における継承と断絶――関西支部草創期から見返す――」の「企画のことば」と発表要旨は以下の通りです。
(春季大会のご案内は→こちらをご覧下さい
日本近代文学研究の転回点から(企画のことば)               
                            浅野 洋(近畿大学)
 唄は世につれ……ではないが、文学研究の方法にも〈時流〉があって何の不思議もない。とはいえ、最近の研究状況は、知ってか知らずか、現下の立脚点になった「近過去」の積み重ねにあまりにも冷淡すぎるように思える。最新の〈時流〉に乗り遅れまいとして前掛かりとなり、それ以前の方法や成果――たとえば昭和四十年代や五十年代の近過去――を無視あるいは没却しすぎる弊に陥っているのではなかろうか。換言すれば、今日の研究シーンの原点となった〈出発点〉、いうなればみずからの〈足元〉に対する注視を、あまりになおざりにしてはこなかっただろうか。
 ひとくちにいえば、研究方法の更新とは常に〈継承と断絶〉の争闘の歴史である。文学研究の重要な柱のひとつがテクスト(作品)を包摂する広義での〈歴史性〉の発掘や意味づけにあるとしたら、我々の研究自体にもまた〈歴史性〉が刻印されているはずである。歴史を忘れた研究や方法は必ずや歴史に復讐される。
 その意味で、今回のシンポジウムは、研究や方法の〈歴史〉の一端を見直そうという趣旨である。題して「文学研究における継承と断絶――関西支部草創期から見返す――」。我々の活動の足場である関西支部の〈歴史〉を想い起こし、そこから現在の研究状況に至る〈歴史性〉を見返そうというのである。
 たとえば、三十年前の関西支部発足の創設メンバーである谷沢永一氏。谷沢氏は、近代文学研究が大衆化する呼び水ともなった〈作品論〉隆盛の時期、そのリード役であった三好行雄氏や越智治雄氏らに対して関西の地から鋭い「牙」を剥き、厳しい「紙の飛礫」を投じて「方法論論争」(昭51~53)なる大きな波紋を呼んだ。関西支部は、この論争の余燼がくすぶる中で創設されている。一方、北村透谷研究で出発し、芥川や独歩や漱石に関しても精力的な成果をあげつつ、明治の〈戦後〉を軸とする「文学史」を構築し、「〈夕暮れ〉の文学史」を紡いだ平岡敏夫氏。みずからを「文学史家」と位置づける平岡氏は、かつての「方法論論争」において谷沢氏と応酬を交わしつつも、関西支部創設二十周年の際にはその記念講演を快諾されたように、関西支部とは浅からぬ縁がある。ついでに言えば、前田愛氏がやがて『都市空間の中の文学』(昭57)にまとめる一連の仕事も、この「方法論論争」を横目に見てのことだった。関西支部の出発は、そうした近代文学研究の一つの転回点とともにあったのである。
 このように「生きた歴史」の渦中にあった御二人の先達から、当時の思い出とともに研究や方法に関する話をジックリ聞きたいと思う。管理意識の色濃い〈東京方式〉とは異なり、講演ののちは、フランクな座談形式をもって対話を楽しみたい。進行役・質問役を兼ねる壇上の三名(太田登・田中励儀・浅野洋)に限らず、会場からの自由・活発な質問・意見を望みたい。制限のゆるやかな〈関西風ダラダラ学会〉を企画したゆえんである。
文学研究の発想
                        谷沢 永一(関西大学名誉教授)
 文学研究は作品に内在する要素を組み立てて、作品が何を基礎として成立しているかの構成方法を、明確に浮かび上がらせるのを本来の目的とする。作品から研究者が読み取れるとする隠喩には、確実な証拠が必要であろう。金融に対する規制が求められているように、想像力には実証という限度が自覚されるべきである。
 テクストという便利な用語が氾濫して以来、そのテクストなるものから何を読み取るかの作業を競うのは自由であろうが、それによって作品の構造が透視されるのでなければ、議論は糸の切れた凧みたいに中空を舞うのみであろう。
 作品を分析するには論理的構築が必須であり、その進行に資する他の分野から得た暗示は有効であろうが、文学研究の分野から発生したのではない理論体系を直接に持ち込む安易な態度は自粛されるべきである。
 独創は貴重であるが、現在までに蓄積されてきた研究史の成果を継承するのが本筋であろう。発表される研究論文によって当該作品の価値と位相がさだめられるべきなのが当然である。作品そのものが如何なる水準に位置するかが明瞭に示唆されるに至って、始めてその論文に客観的意義が生じる。但し、価値評価の偏りや歪みを是正して、新しくて確固とした評価の基準を生み出すところに、研究の醍醐味が存するのではあるまいか。
文学史研究における継承と断絶
  ――関西支部30周年のテーマに寄せて――

                         平岡敏夫(筑波大学名誉教授)
 今回の発表は次のような構成で行う予定である。
1 関西支部20周年――『〈夕暮れ〉の文学史』より
 一九九九年(平成11)十一月六日、関西支部20周年の会が関西大学で開催された折、「〈夕暮れ〉と日本近代文学――谷崎潤一郎『蘆刈』を中心として――」と題して講演を行ったが、その際、田辺聖子の作品における〈夕暮れ〉東西比較論、『枕草子』、後鳥羽院、荷風『すみだ川』等の〈夕暮れ〉の継承と挑戦があった旨を指摘、『〈夕暮れ〉の文学史』刊行後のことにも及ぶ。
2 研究と研究史――『昭和文学史の残像Ⅱ』より
 今回の支部30周年のテーマを受けとめて、現在の一例に及ぶ。
3 作品論と文学研究――『昭和文学史の残像Ⅱ』より
 昭和40年代からの〈作品論〉の流行とされる現象に対し、併行して〈文学史〉があったことを指摘する。
4 『日露戦後文学の研究』について
 ヤウス『挑発としての文学史』にも関わる共時態的な文学史研究と〈戦後〉の問題。
5 『ある文学史家の戦中と戦後』
 勝本清一郎・三好行雄・前田愛氏を中心に。
6 佐幕派の文学史
 〈佐幕派〉の視点で明治文学史を見直す。
7 『明治文学史』研究
 既出の「明治文学史」の継承・検討の課題。