2012年度 日本近代文学会関西支部春季大会発表要旨

「想像上の人類学」の受容と変容
 ― 外遊以後の荷風におけるゾラの影響 ―

 林 信蔵(京都大学非常勤講師)
 「科学と想像力」という言葉は、エミール・ゾラ(一八四〇―一九〇二)の文学的営為を評するためのキーワードであり続けていると言ってよい。『実験小説論』(一八八〇)の発表当初から、ゾラによる科学と文学の混同が批判されてきた一方で、近年では、生理学や遺伝学と神話的な想像力との混淆によって生まれた、いわゆる「想像上の人類学」(ジャン・ボリ)の独創性が注目を集めている。ゾラの「想像上の人類学」の中心には、人間のなかには、普段は抑圧されているプリミティヴな側面があり、何かのきっかけで理性の働きが弱まると横溢し、破滅的な暴力の形をとって出現するという発想がある。
 永井荷風(一八七九―一九五九)は、初期の代表作『地獄の花』(一九〇二)において、ゾラ的な人間観にもとづいた作品を書き上げたが、その一方で、アメリカ・フランス外遊(一九〇三―一九〇八)以後、ゾラの影響を相対化したと考えられている。しかしながら、荷風が外遊以後に関心をもったフランスの心理学や社会学などの学術的著作(バザイヤス『音楽と無意識』〔一九〇八〕やギュイヨー『社会学的観点から見た芸術』〔一八八九〕)のなかには、前述の人間観と密接な関係を有するものが少なくない。それゆえに、それらの人間観が初期作品以外にもある程度形を変えつつ生き続けている可能性がある。本発表では、このような視点から荷風の外遊以後の批評および創作活動の再解釈を試みる。
安部公房と大阪万博
 ― 速度・時間・言語

 友田義行 (日本学術振興会特別研究員PD・立命館大学非常勤講師)
 一九七〇年に大阪で開催された日本万国博覧会は、「人類の進歩と調和」を基本テーマとした。今日では、それは人類のもつ科学技術の進歩を言祝ぐ言葉であると同時に、人類を滅ぼすほどの力をもつに至った科学技術との調和の必要性を喚起する警句でもあるように見える。しかし、ベトナム戦争や核の問題といった社会情勢が影を落としていた当時、強調されたのはむしろ「人類の素晴らしさ」であり、「心の進歩」であった。月の石は、宇宙という新しい世界への移動が誰しも可能となるような未来を約束してくれるものであった。
 パビリオンごとにさまざまな展示が為されるなかで、それらを映し出したのもまた、科学の産物であった。すなわち、映写・投影装置である。巨大スクリーンや球体スクリーン、そしてマルチディスプレイといった技術の粋が会場を飾りたてた。映像という、科学と切り離せない表象ジャンルにとって、その「進歩」は形式と切り離して考えることはできない。映像の内容を決めるのは演出側だけでなく、映写側も一体となって創作に携わる時代が到来していたのだ。安部公房と勅使河原宏監督は、こうした映像技術の発展を取りこんだ実作に取り組んでいる。本発表では、「自動車館」に出品された『一日二四〇時間』を取りあげ、SF論、モンタージュ実験、自由の模索といった安部×勅使河原の継続的テーマに加え、速度・時間・言語との相関という視点からこの作品の「科学」表象について考察したい。
敗戦後の科学的想像力のもたらしたもの
 ~ サイエンス・フィクションと小松左京 ~

 澤田由紀子(甲南大学非常勤講師)
 東日本大震災後、小松左京著『日本沈没』は、阪神淡路大震災に続き二度目の再評価を受けることとなった。高度経済成長期の問題意識と先見的な科学知識を内包した小松左京の『日本沈没』は、メディアミックスによる広範なムーブメントも相まって、プレートテクトニクス理論を浸透させ、故に大震災時毎に注目を浴びることになる。しかしこれは実は残念な事象ではなかったか。小松左京など敗戦経験から科学と人間の関係をSF(サイエンス・フィクション)というジャンルで追求し、文明の有り様を批判的に提示してきた世代の作家達の意識と、現実がSFの想像力を凌駕したと錯覚している現代人の、科学を〈神話〉化する意識との差は、今回の甚大な自然災害と、同時に起こるべくして起こった原発事故によって残念ながら明らかにされたと言える。科学技術の〈神話〉化、批判力の貧困は何に起因するのか。近代文学研究において、文明批評をその命題としてきたSF小説はサブカルチャーとして囲い込まれ、その批評性への評価は十分になされてきたとは言えない。科学と人間の関係をその生涯をかけて発信し続けた小松左京作品の真の想像力と文明批評に、今、真摯に耳を傾ける時である。
怪異を再編する
 ―明治後期の文壇における「怪談」ブームをめぐって

 一柳廣孝 (横浜国立大学)
 怪異は、その時代の規範的な解釈コードから逸脱する現象として認知される。解釈主体は、自らに内在する文化規範と照合しつつ、特定の現象の意味づけを図る。ここで既存の説明体系に当てはまらないと判断されたとき、その現象は「怪異」となる。したがって怪異の意味の措定は、自ずからその時代の文化的な規範を照射することとなる。明治後期は『怪談会』(一九〇九・一〇、柏舎書楼)、小川未明「薔薇と巫女」(一九一一・三、「早稲田文学」)、森鷗外「百物語」(一九一一・一〇、「中央公論」)など、文壇において怪異への眼差しが活性化した時期である。同時期には、柳田國男『遠野物語』(一九一〇・六、聚精堂)が刊行されてもいる。そして一九一〇年は、千里眼や念写の実在をめぐって学界とマスコミが紛糾した時期でもあった。これらの錯綜するベクトルは、旧来からの霊魂観がいったん否定された地点から再構成されている点で、興味深い言説を織りなしている。本発表では、「新公論」の妖怪特集号(一九一一・四)、「新小説」における特集「怪談百物語」(一九一一・一二)などの言説を中心に、科学的なフレームを経由した地点でおこなわれる怪異解釈の再編をめぐる問題から、科学と想像力について考えてみたい。