〔自由発表要旨〕
○古井由吉『神秘の人びと』における「神秘主義」受容
竹永知弘
本発表では、古井由吉の後期作品『神秘の人びと』(一九九六年)を取り上げ、作家の「神秘主義」への接近を記述する。本書は『我と汝 Ich und Du』(一九二三年)で知られるユダヤ宗教思想家のマルティン・ブーバーの編著『神秘体験告白集 Ekstatische Konfessionen』(一九〇九年)に収録された修道士や修道女、信者らによる神秘体験(たとえば、「神秘的合一 unio mystica」)の告白を拾い読むという行為から成立する。
同時代的には『神秘の人びと』はオウム真理教による一連の事件をめぐる社会的困惑への応答と読める。デビュー直後、評論家・小田切秀雄に「内向の世代」と呼称されて以来、アクチュアリティを欠いた作家と位置づけられてきた古井がこの事件に即座に反応したことは興味深い。本作により古井は「宗教とはなにか」を再定義することを試みる。
他方、古井の経歴を鑑みれば、作家がデビュー期に親炙したオーストリアの作家、ロベルト・ムージルへの再接近と読める。古井はデビュー以前、独文学者としてムージル『愛の完成』『静かなヴェロニカの誘惑』の翻訳を行なっており、初期にはその影響が指摘されてきた。この影響関係は、作家の日本古典への接近により一度切断されるが、作家の成熟期に入り再びムージルが持ち出される点は一考に値する。ムージル再訳(岩波文庫、一九八七年)はその一因だろう。ここで作家は自らの原点に回帰することを試みている。
以上、本発表では「同時代の文脈」と「作家の経歴」を関係づけながら『神秘の人びと』を読解していく。その両面的な読解の試みから、古井の「近代」に対する批評的態度を記述したい。
○物語をめぐる抗争ー中上健次『千年の愉楽』における「路地」の表象とその限界ー
松田樹
中上健次の『千年の愉楽』は、一九八〇年から八二年まで断続的に連載された六本の短篇を収める連作短篇集である。作家の故郷の被差別部落を「路地」と呼ばれる神話的な世界へと昇華させた本作は、刊行直後から高い評価を得た。例えば、江藤淳は本作がオリュウノオバという産婆の記憶によって構成されている点に注目し、そこに「口承文学」の強度を読み取っていた。
ところが、各篇の主人公である「中本の一統」の生涯は、江藤の評価とは裏腹にむしろリアリスティックな再現性を失った紋切り型の言葉によって象られている。更に、オバの語りは一統の生死を意味付ける他のナラティヴと抗争関係に置かれている。「城下町」「礼如さん」「路地の者」等の存在によってオバの語りもまた恣意的な解釈の一つに過ぎず、差別の実態はそれによる意味付けには収まらないものであることが示唆されているのだ。
本作において中上が取った方法は、失われてゆく故郷の歴史を紋切り型の言葉によって形象化する一方で、現在の視点からそこに生きた人々の差別の体験を遡及的に物語ることは虚偽にしかなり得ないという限界を作中から内在的に指し示すことであった。実際、本作の連載時期には郷里の被差別部落はもはや解体の危機に瀕していた。本発表では、主人公らの生涯とこれを語る話者との関係性に着目し、『千年の愉楽』における「路地」の表象とその自壊について作家の故郷の被差別部落の歴史を踏まえつつ考察したい。
○保田與重郎の女性表象ーその創作観に着目してー
遠藤太良
昭和期の思想家保田與重郎は戦前の批評においてしばしば、王朝期の女流歌人を中心とする女性について言及している。これらの女性表象はこれまで、戦時下の「母」の言説との類似が指摘され、彼の国粋性の証左の一つと見なされてきた。しかしながら、保田が女性を取り上げることで論じているのは、当時の政治体制についてというよりもむしろ文学をはじめとする芸術の創作についてである。すなわち、保田の女性表象は彼の創作観を色濃く反映しているといえよう。以上を踏まえ、本発表では、保田の女性表象を創作観という点から考察し、文学をはじめとする芸術の創作において彼がどのような見解を有していたのかを明らかにする。
まず、『和泉式部私抄』などの著作における保田の女性表象を考察する。その後、比較対照として同時代の文学についての彼の批評を取り上げる。以上の考察により明らかとなるのは、保田が「男性」である神の声を代弁できるものとして女性を位置づけた上で、女流歌人達の作品における表現の「自然さ」を超越的な価値観を表出する理想的な創作と見なし高く評価していることである。保田のこうした創作観には、文学作品としての表現の有り様よりも作者の個性の発露や国策イデオロギーの称揚を重視する同時代の文学に対する否定的な見解が表れている。そして、こうした同時代への批判を含意している点において、彼の女性表象は体制擁護を目的とする戦時下の「母」の言説とは異なるものといえよう。
○江戸川乱歩『人間椅子』論ー椅子職人「私」における「肉体」と「精神」ー
穆彦姣
雑誌「苦楽」の大正十四年十月号に掲載された『人間椅子』は、発表当初より一般読者から好評を博しており、乱歩作品において数少ない自他ともに認める傑作の中の一つとして数えられてきた。
近年における『人間椅子』研究の皮切りとなったのは、作中の描写における触覚の優位性について検証した松山巖論(『乱歩と東京 1920都市の貌』PARCO、昭和五十九年)であるが、氏は本作の結末部における「書斎から逃げ出して、日本建ての居間の方へ」という佳子の行動を「西欧化される以前から培われた体性感覚」への回帰と解釈している。しかし、西洋から日本への回帰を辿ったのは果たして佳子だけなのだろうか。ホテルから佳子の家へ移される際に、作中作の語り手である椅子職人「私」はそれまで出会った異国人に対し「どんな立派な、好もしい肉体の持主であっても、精神的に妙な物足りなさを感じ」るとし、「本当の恋」の相手を日本人に限定している。この「私」における肉体と精神に対する考え方はどのように理解すべきだろうか。
本発表は、まずゲーテやハン・ゴットフリート・ヘルダーなどが提唱した芸術論に見られる肉体と精神の関係性についての認識と、主に三島由紀夫のエッセイによって指摘された敗戦までの日本と西洋における肉体と精神への認識の相違(「肉体について」「Pocketパンチoh!」平凡出版、昭和四十四年)を確認した上で、作中作の各段階における「私」の言動と肉体に対する描写の特徴について分析し、「私」の肉体と精神の意識及びその変化について考察を行う。そこから作品全体に表象される「日本回帰」の傾向について論証したい。