日本近代文学会関西支部では、2011 年度秋季大会において特集「テクストの生成―草稿・原稿・本文校訂―」を企画しております(下記【企画趣旨】をご覧下さい)。つきましては、下記の要領で発表者を公募することといたしました。支部会員の皆様の積極的なご応募をお待ち申し上げます。
特集企画 : テクストの生成―草稿・原稿・本文校訂―
日時会場 : 2011年11月12日(土) 神戸女子大学 三宮キャンパス
募集人数 : 2名程度(関西支部会員)
応募締切 : 2011年7月末日
応募要領 : 発表題目および 600 字程度の要旨を封書でお
送りください。必ず連絡先(電話番号・メールアドレ
ス等)も明記してください。表書きに「秋季特集発
表希望」と朱書きしてください。
※ 採否につきましては2011年9月初旬までに
ご連絡いたします。
送り先および問い合わせ先 :
日本近代文学会関西支部事務局
>>こちらをご参照ください。
【企画趣旨】「〔特集〕テクストの生成―草稿・原稿・本文校訂―」
フランスに生まれた生成論によるアプローチが、’90 年代以降、日本近代文学の研究においても行われるようになった。2003 年10 月刊行『日本近代文学』:「特集「本文」の生成/「注釈」の力学」や、2010 年9 月刊行『文学』(岩波書店):「特集草稿の時代」、その他各種のシンポジウムなど、近年では、強い関心が寄せられるものとなっている。
作家は、草稿を書き、原稿を仕上げ、朱を入れて推敲を重ねる。さらに初出から単行本、あるいは全集にいたるまで改稿が続けられる場合もある。また、編集者などの第三者が関与することも少なくない。文学作品が、草稿から最終形態にいたるまで一定不変の姿を保持することはむしろ稀であり、多くの場合は、多彩なヴァリアントを持つことになる。あるいは、テクストとは、その生成過程において変形を繰り返す多様な可能性として存在するものであり、活字化されたテクストの誕生は、ひとつの可能性を選択し、別の可能性を断念した結果である、と言い換えることもできよう。
このようなテクスト生成のありように、あらためて意識的でありたい。同時に、あり得たかもしれない多様な可能性についての視点を以て、たとえば全集本に接するとき、私たちは、その校訂の経緯についてもより意識的にならざるを得ないだろう。近代文学における本文校訂の問題までを問うてみたいと考えるゆえんである。
現在では、原稿はコンピュータ上のデータの形で扱われ、細かな推敲過程の痕跡は失われる場合が多くなった。草稿・原稿を起点としたテクストの生成過程の考察は、草稿・原稿類が現存するときにのみ可能なことである。その一方で、作家毎の自筆原稿複製版の刊行・データベース化など、資料の整備が進みつつある状況もある。私たちは、どのように草稿・原稿という資料を扱うことができるのか。いま、その可能性について再考しておきたい。
2011年度春季大会のご案内
《日時》2011年6月11日(土) 午後1時~午後6時
《会場》 龍谷大学大宮学舎 清和館3階ホール
>>交通アクセス
>>キャンパスマップ
《内容》
挨 拶 龍谷大学文学部長 越前谷 宏
研究発表
戦後占領期の関西雑誌文化について
立命館大学大学院 和田 崇
捨象された存在
──笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』論──
立命館大学大学院 泉谷 瞬
横光利一「日輪」の映画化を考える
龍谷大学 島村 健司
幸田露伴「平将門」論
同志社大学 西川 貴子
*発表要旨は下記「2011年度春季大会発表要旨」をご覧下さい。
閉会の辞 支部長 千里金蘭大学 明里 千章
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※どなたでもご来場いただけます(予約不要)。
※総会終了後、龍谷大学大宮学舎 清和館1階生協食堂にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生4000円)の予定です。
2011年度春季大会 発表要旨
戦後占領期の関西雑誌文化について
和田 崇(立命館大学大学院)
敗戦後間もない一九四五年後半から四六年にかけて、日本の知識人の間では、にわかに「文化国家」の建設が言われ始めた。日本の武装解除、平和主義と表裏一体の関係を成すこの文化国家の理念の下、全国各地で様々な雑誌が発行され、未曾有の隆盛を極めた。
四六年一月、京都では大雅堂が総合雑誌「時論」を創刊した。大雅堂社長の田村敬男は、山本宣治の同志で、敗戦直後に結成された京都文化団体協議会へと加盟し、文化面で京都民主戦線の一翼を担った。同団体には、後に白川書院を立ち上げる臼井喜之介(臼井書房)の詩雑誌「詩風土」も参加した。また、これら二誌と同じ一九四六年一月に、富士田健一(新風社)の文芸雑誌「新風」も創刊され、新村出、室生犀星、吉井勇など豪華な執筆者が顔を揃えた。
遅れること同年四月、大阪では弘文社の文学雑誌「東西」、真日本社の総合雑誌「真日本」がそれぞれ創刊された。弘文社社長の湯川松次郎は、『上方の出版文化』(一九六〇年)を著すなど、関西に愛着を持っており、戦前のプラトン社以降、関西の雑誌文化が衰退していることを憂えていた。また、真日本社の社長は、後に関西政界の大物となる有田二郎で、「真日本」創刊号には美濃部達吉などの天皇制論が掲載されて政治色が強い一方、後の号では織田作之助や西川満の短編小説も掲載された。
本発表では、これらの雑誌の特色を捉えながら、「関西雑誌文化」という認識の枠組を敢えて提示することにより、中央偏重の文化に対する地方文化が起こりつつあった敗戦後の関西の状況を考察したい。
捨象された存在──笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』論──
泉谷 瞬(立命館大学大学院)
笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』(一九九九・一)は、語り手である独身の中年女性と、結婚願望が極端に肥大した「お化け」である女性たちが対峙する長編小説である。語り手はかつて自身の顔貌によって女性的価値を否定された人物だが、そのことを肯定的に捉え直し、「醜女」の私小説を書くことで生活の資を得るようになった。こうした逆転現象を一つの動機として、良妻賢母思想を信奉する「お化け」たちは語り手を様々な手段によって抑圧していく。
だが、この相克は語り手と「お化け」、どちらかの勝利に収束するような構成に陥らない。圧倒的な物量攻撃を仕掛けてくる「お化け」たちに語り手はむしろ共感を示し、自身の立場を相対化していくのである。小説発表当時においては時代錯誤とも理解される女性蔑視的な言説が、何故こうした展開を通じて物語に挿入されるのか。
それは保守反動的な主張を意味するものではなく、言説の相対化による文学的実践、すなわち「声」を奪われてしまった存在の表象に他ならない。かつてマルクス主義フェミニズムが焦点化した「家事労働」の概念は主婦の被る二重搾取を明確にしたが、ここに笙野のテクストを突き合わせることで、そうした理論によって社会的に捨象された存在を見出すことが可能となる。それはまた、単一の層として把握することが困難な女性たちの実情を抽出する作業でもあった。
『説教師カニバットと百人の危ない美女』は笙野の文学活動における文体の変化と併せて注目されることが多いが、本発表では以上のような観点から、物語の内部へ詳しく切り込んでいきたい。
横光利一「日輪」の映画化を考える
島村 健司(龍谷大学)
本発表の目的は、「日輪」の映画化(一九二五、衣笠貞之助監督)を横光利一の文学的営為にとって重要なエポックとして位置づけることにある。横光と映画とのかかわりを考えるこれまでの論調は、新感覚派映画連盟による第一作目「狂つた一頁」(一九二六、衣笠監督)に重点がおかれ、「日輪」の映画化は衣笠と横光をつなぐ端緒として触れられる程度にとどまっている。一九二三年五月、「蠅」(『文芸春秋』)と同時期に発表された「日輪」(『新小説』)は、横光の文壇デビュー作ともいわれる。このような点からしても「日輪」映画化の重要性は高い。また、衣笠の回想によると(「「十字路」以前 衣笠貞之助むかし話」『キネマ旬報』一九五五・一)、映画「日輪」の脚本者「一文字京輔」は特定のだれか一人ではなく、映画製作にかかわる数名を総称したペンネームとも思われる。そうだとすれば、横光もここに組み込まれていた可能性がある。
発表の手順として、まず、このような「日輪」映画化に際して横光自身がかかわった事跡を明らかにする。そのうえで、フィルム自体が残っていないものの、「日輪」の映画化にかかわる言説を参照しつつ、小説・映画という表現形式の差異を検討する。このような試みは一九二〇年代の日本の芸術交流におけるダイナミズムを探る一助にもなると考える。
幸田露伴「平将門」論
西川 貴子(同志社大学)
幸田露伴「平将門」(『改造』大正九・四)は、典拠を示しながら将門に纏わる話を自由に語るという形式の作品である。従来より『将門記』研究において、史実調査の充実という点で評価されているものの、具体的な分析はまだ充分にはなされていない。
しかし、本作品で重要なのは、資料引用の方法であり、また「下らない文字といふものに交渉をもつて、書いたり読んだり読ませたり、挙句の果には読まれたりして、それが人文進歩の道程の、何のとは、はて有難いことではあるが、どうも大抵の書は読まぬがよい、大抵の文は書かぬがよい。」と冒頭で明言し、言葉によって創られていく「歴史」の〈危うさ〉を自覚的に語っていく、その語り方であろう。
明治以前より将門は、『神皇正統記』や『大日本史』で「叛臣」として取り上げられる一方で、狂言や謡曲、草双紙などで妖術を使う者とされたり、神田明神として祀られたりするなど様々な伝承を有していた。しかし、明治以降、『将門記』の資料的な価値が実証史学の立場で見直され、特に真福寺本『将門記』が国宝とされる中で、将門の人物像が活発に検討されるようになっていく。こうした同時期の将門解釈のあり方を視野に入れつつ、本発表では、大正九年という時期に、なぜこのようなスタイルであえて平将門を取りあげ語ったのかを、資料引用の方法と作品内の語り方に注目することで明らかにし、露伴の歴史認識を探る手がかりとしたい。
日韓共催大会(於 ソウル)発表者募集
このたび関西支部では、2011年11月に韓国ソウルで開催を予定しております韓国日本近代文学会との共催大会につきまして、下記の要領で発表者を公募することといたしました。
今回は、海外での発表ということに就き、支部予算から渡航に関わる費用の一部を補助します。この機会に、支部会員の皆様の積極的なご応募をお待ち申し上げます。
記
日 程 : 2011年11月5日(土)
会 場 : 韓國外國語大學校(予定)
使用言語 : 日本語
募集人数 : 1名(支部会員)
テ ー マ : 大会テーマは「太宰治」に決定しています。
太宰治に関わる内容の研究発表を募集します。
応募要領 : 発表題目および 600 字程度の要旨を封書でお
送りください。必ず連絡先(電話番号・メールアドレ
ス等)も明記してください。表書きに「日韓大会発
表希望」と朱書きしてください。
応募締切 : 2011年2月28日(月)
送り先および問い合わせ先 :
日本近代文学会関西支部事務局
>>こちらをご参照ください。
※韓国大会には、他に支部依頼の発表者1名、講演者1名、コメンテーター2名、支部長・委員長、その他会員が参加します。
採否につきましては2011年4月までにご連絡いたします。採用された方には後日、予稿集に掲載する原稿のご執筆をお願いすることとなります。また、大会内容を収録したブックレットが韓国で出版される予定です。予めご了承ください。
2010年度秋季大会のご案内
《日時》2010年11月6日(土) 午後1時~午後6時
《会場》奈良教育大学 講義1号棟1階102講義室
>>交通アクセス
>>キャンパスマップ
《内容》
挨 拶 奈良教育大学国語教育講座 前田 広幸
研究発表
プロキノ映画『山宣渡政労農葬』における映像編集に関する考察
――京都花やしき所蔵フィルムをてがかりに──
立命館大学大学院 雨宮 幸明
岡本かの子『東海道五十三次』──〈見ること〉の物語──
大阪府立大学大学院 久保 明恵
中島敦『夾竹桃の家の女』論
──ピエル・ロティ『ロティの結婚』との交錯──
同志社大学大学院 杉岡 歩美
〈殺人〉か〈侵略〉か──安部公房「変形の記録」論──
京都大学大学院 坂 堅太
高祖保の未刊詩集「独楽」定稿(新資料)をめぐって
呉工業高等専門学校 外村 彰
>>各発表要旨
閉会の辞 支部長 千里金蘭大学 明里 千章
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※どなたでもご来場いただけます(予約不要)。
※総会終了後、懇親会 奈良教育大学学生協食堂にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生4000円)の予定です。
2010年度春季大会のご案内
《日時》2010年6月12日(土) 午後1時~午後5時30分
《会場》甲南女子大学 管理棟 3階 031教室
>>交通アクセス
>>キャンパスマップ
《内容》
挨 拶 甲南女子大学文学部長 神野 富一
シンポジウム「村上春樹と小説の現在――記憶・拠点・レスポンシビリティ」
司会 飯田祐子 黒田大河
ポストモダン・ローカリティ――村上春樹の「開かれた焦点」とその主題化
京都工芸繊維大学大学院 高木 彬
村上春樹は世界文学か日本文学か――近代化過程と文学の表現をめぐって
立命館大学 中川 成美
「正しさ」の村上春樹論的転回
早稲田大学 石原 千秋
ピンポンと弑逆。――小説について考えるときに読者が考えること
文筆業 千野 帽子
>>企画趣旨
>>発表要旨
閉会の辞 支部長 千里金蘭大学 明里 千章
総 会
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※どなたでもご来場いただけます(予約不要)。
※総会終了後、懇親会 甲南女子大学第一学生会館3階「ドンク」にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生4000円)の予定です。
2010年度春季大会企画 発表要旨
ポストモダン・ローカリティ――村上春樹の「開かれた焦点」とその主題化
高木 彬(京都工芸繊維大学大学院)
世界的な「村上春樹現象」の根拠が文化的「無臭性」(四方田犬彦)にあるにせよ「固有性」(藤井省三)にあるにせよ、それを作者や小説における空間的問題として内側から捉え直してみるならば、ローカリティの解像度を「日本」から「神戸」へと上げることができる。ここで注意すべきは、村上春樹の故郷の「神戸」が、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』の四部作において「僕」の故郷の「街」として虚構化された際に、固有の地名を失うことである。多くの論者は「街」を「神戸」と一義的に等号で結んでいるが、しかし「街」は、あくまで記憶の焦点として空間的に限定されながらも、同時に、その限定性を失った無名の空間でもあるのではないか。四部作で繰り返される「東京」からの「記憶探し」の道行きは、核心部分が空虚へと挿げ替えられることで戯画化され、焦点が逆説的に「どこでもない空間」として開かれている。
村上春樹は、阪神・淡路大震災の1995年以降、状況に対するデタッチメントからコミットメントへと創作スタイルが変化した、と言及し、後者を、個人の井戸を掘り進めた先の地下水脈的な越境、と喩えている。しかしここまでの議論に照らせば、こうした繋がりの形は、実は既に80年代の四部作が物語の空間構造として有していたことが分かる。90年代の『ねじまき鳥クロニクル』以降繰り返されているのはむしろ、その「開かれた焦点」の構造自体の自己言及的な主題化ではないか。歴史群のサンプリングは、そのために要請されたものである。本発表では、この断層を「焦点空間におけるコミットメント形式の変容」として捉え、作者による震災以降の「神戸」の主題化と考え合せながら、ポストモダン以降の現代における小説表現とローカリティについて新たな視座を提示したい。
村上春樹は世界文学か日本文学か―近代化過程と文学の表現をめぐって
中川 成美(立命館大学)
村上春樹の出現は、文学的事象としてだけではなく、社会的・文化的な現象となって現代文学の新たな導線を描いた。いわゆる「ハルキ現象」は80年代のサブ・カルチャーの諸場面と連動して、バブル経済と呼ばれた未曾有の大量消費社会に穿たれた空虚な喪失感を代弁する、もっとも代表的な言説となった。現在に至るまで彼の作品はベストセラーを記録し、世界中ですぐに翻訳されて大量の読者を獲得し続けている。彼を日本文学作家とするにはその流布はあまりに広範、かつ大量で世界文学作家という呼称を与えようとする批評家も多い。
しかし、日本の外で彼の作品がどのように読まれてきているかということには、いくぶんの留保と注意を払わなくてはならない。第一に翻訳の問題がある。日本語からの直接訳のほかに英語などからの重訳について、村上は「重訳ってわりに好き」(『翻訳夜話』)と語り、彼自身の指示で重訳がされた例もある。つまり、日本語テクストから英語テクスト、そしてその他の言語テクストに至るプロセスで、原典とすべきテクストを決定するのは難しい状況がある。第二にポストモダンの代表的な文学として受容される彼の作品が、各地域の近代化過程の問題と絡みあって、近代が紡いだ歴史の記憶を再現して、新たな後近代の塑型を提示する役割を担ってきたことについて、どのように考えるべきか。
決して春樹の良き読者と言えない日本人・文学・研究者である私がこのことを語るということ自体が既にある種の矛盾を抱えもっているのだが、錯綜するテクストを生産し続ける春樹文学を相対化し、再布置をはかることによって見えてくるものは何かを考えたい。
「正しさ」の村上春樹論的転回
石原 千秋(早稲田大学)
村上春樹文学でときおり見られる「正しさ」という表現は不思議な使われ方をしていた。それはたとえば「その日、僕は彼女を抱いた。それが正しかったことなのか、僕にはわからなかった」という具合に書き込まれているのである。これは恋愛を書く文学としては非常に特異な表現である。ふつうなら、恋愛で問題になるのは愛情の度合いであって、「正しさ」ではないからである。しかし、こうした例を典型として、村上春樹文学はある種の「正しさ」に向けて書かれていると考えられる。
そこで考えられることは、村上春樹文学が実は初期から恋愛を個人の問題ではなく、社会の問題として捉えていたということである。その「正しさ」の基準をどこに求めているのかを明らかにすることが、村上春樹文学を解く鍵の一つである。また、村上春樹文学は恋愛と社会的な事象とを絡めて書くことが多く、「正しさ」の基準を社会のどこかに求めていることはまちがいない。繰り返すが、その「正しさ」の基準について考えてみたい。
ピンポンと弑逆。──小説について考えるときに読者が考えること
千野 帽子(文筆業)
村上春樹の『1973年のピンボール』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『海辺のカフカ』『1Q84』(BOOK 1と2。要旨執筆時には3は未刊)の四篇は、出会わないふたりの語り手もしくは視点人物のそれぞれの行動を交互に報告するふたつの筋から成り立っています。柄の大きな長篇小説である後三者を、他の作家の同形式の例(レーモン・クノー『青い花』、アラン・ロブ=グリエ『弑逆者』を中心に、ジョルジュ・ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』、フォークナー『野生の棕櫚』、宮部みゆき『レベル7』など)と併置することによって、「物語のピンポン」形式について考えたいと考えています。
しかしこのように思い立った瞬間に、私たちは「文学について考えるとは、そもそもどういうことなのか」という問いに直面してしまいます。もし私が卒業論文準備中の学生なら、指導教員は私に「なぜこれらの作品をいっしょに読むの?」と尋ねることでしょう。
この話は個々の作家について考えるものではなく、「小説について考えるときに読者が考えること」について考えようという、ややメタなものです。話は学術的なものとならず、「学問」の外から「学問」の外延を撫でさすることになりますが、専門の日本文学研究者ならぬ一読者がこの場にお招きいただいたことの、それが意味だと考えています。どうぞご理解ください。
2010年度春季大会企画趣旨
■シンポジウム
村上春樹と小説の現在─記憶・拠点・レスポンシビリティ
■企画の趣旨
国民国家とともに成立した「小説」というジャンルは、20世紀的状況からポスト近代へと到る状況のなかで、その在りようを変化させてきた。ジャンルの固有性やメディアにおける配置、そして小説の可能性と不可能性は、現在どのように捉えることができるだろうか。本シンポジウムの目的は、村上春樹を対象に「小説の現在」を探ることにある。今日、村上春樹ほど「小説家」であること、「小説」を書くということの意味に意識的な作家はいない。最近の例でいえば、エルサレム賞の授賞式でのスピーチは、「小説家」としての立場から自らの政治性を表明したものであったし、発売後瞬く間にミリオンセラーとなった『1Q84』では「小説家」が登場人物となっており、小説を「書く」行為そのものの持つ意味が扱われているといえる。
具体的な問題の設定については個々のパネリストにゆだねることとしたいが、現在、村上春樹について考えるための切り口として、たとえば次のものが想定できるだろう。
ひとつは「記憶」をめぐる問題である。村上春樹は、よく知られるように1995年あたりから状況に対するデタッチメント(かかわりのなさ)からコミットメント(かかわり)へと方向性を変え、社会的事象を積極的に作品に採り入れるようになった。転回の具体的契機となった出来事の一つに、阪神・淡路大震災がある。関西出身の村上春樹にとって、「記憶」が集積した空間の崩壊は何をもたらしたのか。『ねじまき鳥クロニクル』以降の作品では、「記憶」と「歴史」の接合が探られている。小説は、それらとどのように重なりまたずれているのか。このような「記憶」と時間性に関わる問題系において、小説の在りようを探ってみることができるのではないだろうか。
また空間的な問題として、村上春樹の「拠点」について問うてみることもできるだろう。村上春樹は神戸出身であり、その土地の風景は初期の作品などに描き込まれているが、テクストはその土地のローカルな色を表そうとする指向はもっていない。脱色化された風景のもつ意味や効果は小説表現の問題としてどのように考えうるだろうか。より今日的な問題としては、日本出身の作家のなかで最も越境的に活躍している村上春樹が、グローバリズムに対してどのようなポジションをとっているのかという問いも浮かぶ。語られる「記憶」は、どこを「拠点」として繋ぎ合わされているのか。
そしてまた、村上春樹が応答責任を果たそうとしている対象はどのようにテクストに書き込まれているのかという問いについて考えてみることもできるのではないか。世界中に翻訳されている村上春樹の作品の読者は、「誰」なのか。それらの問いを、多様で複雑な情報の氾濫とつねに発生し続ける力学をどのように捉え、「小説」そのものの配置と政治性をどのように考えるかという問いへと広げることもできるはずだ。
以上のような視点をパネリストからの問題提起と考え合わせることで、一種の社会現象ともいいうるほどの広がりを持つと同時に「小説家」であることに特化された村上春樹の仕事について、会場全体で討議・再検討する。本シンポジウムを「小説の現在」を見つめる機会としたい。現在における文学の、あるいは文学研究の果たすべき役割が、その先に見えてくるのではないだろうか。
企画委員:飯田祐子、黒田大河、日高佳紀