2011年度秋季大会のご案内

日時 : 2011.11.12(土)、13-18時
会場 : 神戸女子大学三宮キャンパス特別講義室
      →交通アクセス&キャンパスマップ
内容:
・開会の辞       神戸女子大学文学部教授  安田 孝
・特集「テクストの生成 ─草稿・原稿・本文校訂─ 」
          司会 : 西尾元伸/渡邊ルリ/宮内淳子/木田隆文
・久生十蘭『予言』の一人称形式について
     ―『黒い手帳』『海豹島』の改稿過程の分析から―

                       開 信介(京都大学大学院)

 
・『文づかひ』誕生の現場 ―森鷗外のテクスト生成過程―
                       檀原みすず(大阪樟蔭女子大学)

 
・堀辰雄と『万葉集』           渡部麻実(天理大学)

 
・エクリチュールの解釈学 ―森鷗外「舞姫」の改稿をめぐって―
                       戸松 泉(相模女子大学)

 
・固有名詞と数字 ―山田美妙『竪琴草紙』典拠考―
                       須田千里(京都大学)

 
・閉会の辞       千里金蘭大学  明里千章 支部長      
・臨時総会
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※総会終了後、神戸女子大学三宮キャンパス教育センター
 1階ラウンジにて懇親会を開催します。
 会費は5000円(学生・院生4000円)の予定です。
 
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2011年度秋季大会企画 発表要旨

久生十蘭『予言』の一人称形式について
    ――『黒い手帳』『海豹島』の改稿過程の分析から――

  開 信介 (京都大学大学院)

 
 本発表の目的は、久生十蘭『予言』(初出・一九四七年八月号『苦楽』)において特徴的に用いられている「人称代名詞なしの一人称」がどのような効果を意図して用いられているのかについて詳細に考察することである。『予言』の特徴的な一人称の形式については、これまでしばしば言及されることがあったものの、単に臨場感を高めるための工夫としか理解されてこなかった。

 
 本発表では、『予言』が発表された時期とほぼ同時期に改稿を経て再掲された『黒い手帳』(初出・一九三七年一月号『新青年』、再掲・一九四八年五月号『サロン』)および『海豹島』(初出・一九三九年二月号『大陸』、再掲・『江戸川乱歩愛頌探偵小説集』中巻・岩谷書店・一九四七年八月刊)の改稿過程の分析を補助線として用い、『予言』の一人称形式が同作の構成上不可欠なものとして機能していることを示したいと考えている。

 
 発表の順序としては、『黒い手帳』および『海豹島』の改稿過程を『予言』の語りを分析するうえで用いることの妥当性に触れたのち、『黒い手帳』および『海豹島』の改稿過程を分析し、そこで得られた結果を用いながら『予言』の語りの機能について分析する。

 
 語りの形式を含めた文体の選択には、ときとして作家の思想が現れている。久生十蘭は自らについて語ることの少なかった作家であるが、本発表の試みは、昭和十年代から二十年代という多難な時代を生き抜いた久生十蘭という作家の「思想」を探るうえでの一助にもなりうるであろう。

『文づかひ』誕生の現場  ――森鷗外のテクスト生成過程――                 
  檀原みすず (大阪樟蔭女子大学)

  
 森鷗外の自筆原稿『文づかひ』(大阪樟蔭女子大学図書館蔵)は、作者自身による加筆・修正が比較的少なく、整っているためであろうか、浄書稿ではないかとの憶測も出ている。この自筆原稿は複製刊行され容易に目にすることが可能だが、直接オリジナルに触れなければ発見できないような様々な情報も確認される。例えば、貼紙の下に書かれた最初の案なども読み取れ、推敲のあとを辿ることができる。加筆・修正を重ねた草稿がそのまま入稿原稿となっていることを、作家に関する情報と編集者に関する情報との相互関連から明確にした上で、原稿から浮かび上がってくる問題点について検討したい。

  
 主に『文づかひ』の文体・語法について、鷗外の規範意識を探っていく。『文づかひ』が初めて活字化された『新著百種』第十二号(明治二十四年一月刊)には落合直文の手紙が掲載され、落合が『文づかひ』の文法などを訂正したという伝聞的な話が付随しているが、その実体は知られていない。明治の近代文体として言文一致が唱えられ、日本文法の揺籃期にあって、鷗外の文体観や文章観は早く『言文論』に窺うことができる。これは落合直文の提唱する「新国文」の本旨を生かしたものとされている。

  
 『文づかひ』のテクスト生成過程を通して、鷗外の文体・語法などの上に落合直文の影響を検証し、『舞姫』『うたかたの記』など『水沫集』収録のほかの作品とも比較しながら、『文づかひ』の本文校訂の特徴を明らかにしたい。

堀辰雄と『万葉集』     渡部麻実 (天理大学)

  
 堀辰雄と平安文学との関係性については、これまでも少なからず言及されてきた。しかし、堀と上代文学との関わりについては、従来ほとんどかえりみられたことがない。

  
 ところで、代表作の一つに『大和路』を挙げ得る堀は、一九三七(昭和一二)年以降、四三年にかけて、実に六度にもわたる大和旅行を展開しているが、その背景には、〈万葉小説〉なるものの執筆計画が存在していた。結局計画は挫折し、『万葉集』の影響を如実に感得し得る活字化されたものとしては、のちに『大和路』としてまとめられる小品「古墳」(「婦人公論」一九四三年三月)「死者の書」(同年八月、同誌)を数え得る程度である。そしてこうした事情が、堀と上代文学、『万葉集』との関わりへの積極的な考察を、従来の堀研究が閑却してきた原因であることは疑い得ない。

  
 とはいえ、折口信夫の影響を受けつつ、一九三七年頃より開始された、堀における上代文学、とりわけ『万葉集』の積極的な受容の内実は、膨大な手沢本や筑摩書房版『堀辰雄全集』に収録された数種のノートにより、比較的詳細にたどることが可能である。のみならず、実現しなかった〈万葉小説〉の創作ノートと見られる断片「(出帆)」が遺稿として存在し、同全集に翻刻掲載されてもいる。

  
 本報告では、蔵書への書き入れ、およびノートや草稿を考察の主座に据えることで、堀辰雄と『万葉集』との関わりを可能な限り闡明し、あわせて挫折した〈万葉小説〉についても報告者なりの見解を提示し、マニュスクリを手がかりに、堀研究における新たな可能性を開くことに挑戦したい。

エクリチュールの解釈学 ――森鷗外「舞姫」の改稿をめぐって――
  戸松 泉 (相模女子大学)

  
 明治23年1月3日発行の「國民之友」に「新年附録」として掲載された「舞姫」には、この時書かれた原稿が残されており、かつて「森鷗外自筆舞姫草稾」として複製版が限定出版された。それによると、この原稿は、発表誌の段組みにあわせた字数(24字)で、無罫の半紙に毛筆で丁寧に書かれていることがわかる。おそらく枡目のフォーマットを作成し、それを下敷きにして書いたと思われる。したがって、基本的には清書原稿と考えてよいだろう。しかし、そこには加筆・削除の跡も数多く残されており、作者の「書くこと」の営みを如実に探ることができる、きわめて動的な資料ともなっている。本発表では、この原稿によって、初出「舞姫」本文解釈のための、いくつかの問題点を提起してみたい。また、この二年半後、『美奈和集』(明治25・7、春陽堂)において冒頭のモノローグのなかにあった、時事性を濃厚に映す一つの段落が削除されていくのだが、この「削除」後の本文との差異から、なにが見えてくるのかも、合わせて問題にしてみたい。この改稿については、いまだ明快な解釈を示した論文を、不明にして知らない。

  
 「舞姫」の改稿問題を考えるとは、個々の本文の差異を考えることであり、それはまた価値を判断することでもある。そしてその作業は、一つ一つの「舞姫」をテクストとして読むことによってなされるべきだろう。細部のみの比較では差異は決して見えてこない。なぜなら、テクストを読むとは、一つのテクストの細部と全体との、「解釈学的循環」の中の相互作用によって成り立っていくものだから。多くの「舞姫」論は、流通している最晩年の小説集『塵泥』掲載本文に拠っている。「確定稿」として評価の定まったかのような歴史が横たわっているためなのだろうか。私自身も、先の「改稿」は必然であったと読む者であるが、その価値判断に自分なりに至った経緯について語ってみたいと思っている。

固有名詞と数字  ――山田美妙『竪琴草紙』典拠考――
  須田千里 (京都大学)

   
 芥川龍之介『るしへる』(大正七年十一月『雄弁』)のエピグラフは、〈元版全集〉から〈前回全集〉まで、『聖朝破邪集』所収の許大受「聖朝佐闢」本文に遡って校訂されてきたため、初出や『傀儡師』所収本文と相違する個所があった。すなわち、「随造三十六神」(全集)←「随従三十六神」(初出)、「一半魂神作魔鬼」(全集)←「一半魂神作魔」(初出)等である。ただし「輅(る)斉(し)布(へ)児(る)」は、固有名詞であるためか、「聖朝佐闢」に「輅斉弗児」とあるのに校訂していない。確かに、文意としては原典である「聖朝佐闢」に遡った方が通りがよい。しかし、芥川が依拠したのは神崎一作編『破邪叢書』第一集(明治二十六年九月哲学書院)所収『杞憂小言』所引の「佐闢」であった。ここでは「るしへる」の表記も「輅斉布児」で本作と一致する。引用の誤り、固有名詞の表記は、典拠を確定する手掛かりとなる。

  
 本発表では、歴史に取材した作品中の固有名詞・数字など細部の枠組に注目することで、草稿として残された山田美妙初期の作品『竪琴草紙』(明治十八年)の典拠を考察する。精力的に出典調査を行った山田俊治氏によれば、依拠文献は「年代記的記述を持った歴史的叙述」のなされた「英文原書の可能性」があるという(『山田美妙『竪琴草紙』本文の研究』二〇〇〇年)。確かに、アルフレッド大王が九〇一年十月二十六日に五十二歳で死去したとの末尾の一節を取ってみても、それと合致する記述を持つ文献は限られる。本発表では、J. A.GilesのThe life and times of Alfred the Great(1848)などの関係文献を検討しつつ、『竪琴草紙』の典拠について検討する。

 

日本近代文学会関西支部・韓国日本近代文学会共同開催特別企画のご案内

2011年11月5日(土)、韓國外國語大學校において、日本近代文学会関西支部・韓国日本近代文学会共催による大会「海を越えた文学(2)──太宰治をめぐって──」を開催します。近代文学の国際的な研究交流を深める機会として、多くの支部会員の皆様にもご参加頂きたくご案内申し上げます。
 関西支部からは、支部長、運営委員長とともに、[基調講演]越前谷宏氏、[研究発表]木村小夜氏、岡村知子氏、[コメンテーター]木村一信氏、斎藤理生氏が参加いたします。各発表題目および大会の詳細は下記の通りです。

日時 : 2011.11.5(土)、12:30~18:30
会場 : 韓國外國語大學校 ソウルキャンパス 教授会館2階講演室
       ソウル特別市東大門里門洞270
       ソウルメトロ1号線 外大前駅下車 徒歩10分
言語 : 日本語
内容:
・開会の辞      金容安 (漢陽サーチ(調べる)大)
 ・特集「海を越えた文学(2)――太宰治をめぐって――」
【基調講演】
・ 太宰治研究の五十年      越前谷宏 (龍谷大)/
                      司会:崔在喆 (韓國外大)
【研究発表1】     司会 : 矢印左右錦宰 (南ソウル大)
・ 『人間失格』の「はしがき」と「あとがき」考       許昊 (水原大)
      コメンテーター : 木村一信 (プール学院大学)/
                崔錫才 (江陵原州大)
・「清貧譚」における〈ロマンチシズム〉      木村小夜 (福井県立大)
      コメンテーター : 洪明嬉 (蔚山大)/奥村裕次 (長安大)
・太宰治研究―キリスト教観の理解をめぐって―  全秀美 (韓國外大)
      コメンテーター : 申鉉泰 (祥明大)/矢印左右顯周 (仁荷大)
【研究発表2】     司会 : 任苔均 (聖潔大)
・『人間失格』から読み取れる反語       金容安 (漢陽サーチ(調べる)大)
      コメンテーター : 斎藤理生 (群馬大)/朴相度 (ソウル女子大)
・敗戦後の太宰治―家父長制とジェンダー―
                             岡村知子 (大阪府立大)
      コメンテーター : 矢印左右淑延 (仁荷大)/阿武正英 (祥明大)
・太宰治の『皮膚と心』論      金京淑 (德成大)
      コメンテーター : 尹相鉉 (景園大)/矢印左右恩姬 (啓明大)
【総合討論】      司会 : 申智淑 (啓明大)
・閉会の辞      明里千章 (千里金蘭大)

問い合わせ先 : 関西支部事務局 → こちらをご参照ください

※韓國外國語大學校日本語HP → こちらをご参照下さい
 

会報第15号

日本近代文学会関西支部会報第15号が発行されました。

こちらからご覧になれます。   >>会報第15号

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■「会報」15号に以下の誤りがございました。お詫びして訂正いたします。

4頁3段27行目 「会員の業績」欄、工藤哲夫氏の項目
(誤)②「”貝の火”の正しい手入れ法―中尾淸藏
「蛋白石概論(二)」からの考察―」『女子大國文』一一年一月


(正)②「”貝の火”の正しい手入れ法
―中尾淸藏「蛋白石概論(二)」からの考察―」
(注記:澤井麻妃子との共著。「淸藏」&「概」の字は旧字体。)
『女子大國文』一一年一月

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2011年度秋季大会 特集企画発表者募集

 日本近代文学会関西支部では、2011 年度秋季大会において特集「テクストの生成―草稿・原稿・本文校訂―」を企画しております(下記【企画趣旨】をご覧下さい)。つきましては、下記の要領で発表者を公募することといたしました。支部会員の皆様の積極的なご応募をお待ち申し上げます。
特集企画 : テクストの生成―草稿・原稿・本文校訂―
日時会場 : 2011年11月12日(土) 神戸女子大学 三宮キャンパス
募集人数 : 2名程度(関西支部会員)
応募締切 : 2011年7月末日
応募要領 : 発表題目および 600 字程度の要旨を封書でお
        送りください。必ず連絡先(電話番号・メールアドレ
        ス等)も明記してください。表書きに「秋季特集発
        表希望」と朱書きしてください。
        ※ 採否につきましては2011年9月初旬までに
          ご連絡いたします。
送り先および問い合わせ先 :
         日本近代文学会関西支部事務局
         >>こちらをご参照ください。
【企画趣旨】「〔特集〕テクストの生成―草稿・原稿・本文校訂―」
 
 フランスに生まれた生成論によるアプローチが、’90 年代以降、日本近代文学の研究においても行われるようになった。2003 年10 月刊行『日本近代文学』:「特集「本文」の生成/「注釈」の力学」や、2010 年9 月刊行『文学』(岩波書店):「特集草稿の時代」、その他各種のシンポジウムなど、近年では、強い関心が寄せられるものとなっている。
 作家は、草稿を書き、原稿を仕上げ、朱を入れて推敲を重ねる。さらに初出から単行本、あるいは全集にいたるまで改稿が続けられる場合もある。また、編集者などの第三者が関与することも少なくない。文学作品が、草稿から最終形態にいたるまで一定不変の姿を保持することはむしろ稀であり、多くの場合は、多彩なヴァリアントを持つことになる。あるいは、テクストとは、その生成過程において変形を繰り返す多様な可能性として存在するものであり、活字化されたテクストの誕生は、ひとつの可能性を選択し、別の可能性を断念した結果である、と言い換えることもできよう。
 このようなテクスト生成のありように、あらためて意識的でありたい。同時に、あり得たかもしれない多様な可能性についての視点を以て、たとえば全集本に接するとき、私たちは、その校訂の経緯についてもより意識的にならざるを得ないだろう。近代文学における本文校訂の問題までを問うてみたいと考えるゆえんである。
 現在では、原稿はコンピュータ上のデータの形で扱われ、細かな推敲過程の痕跡は失われる場合が多くなった。草稿・原稿を起点としたテクストの生成過程の考察は、草稿・原稿類が現存するときにのみ可能なことである。その一方で、作家毎の自筆原稿複製版の刊行・データベース化など、資料の整備が進みつつある状況もある。私たちは、どのように草稿・原稿という資料を扱うことができるのか。いま、その可能性について再考しておきたい。

2011年度春季大会のご案内

《日時》2011年6月11日(土) 午後1時~午後6時
《会場》 龍谷大学大宮学舎 清和館3階ホール
              >>交通アクセス
              >>キャンパスマップ
《内容》
挨   拶                龍谷大学文学部長  越前谷 宏
研究発表
            
戦後占領期の関西雑誌文化について
                      立命館大学大学院  和田 崇
捨象された存在 
──笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』論──

                      立命館大学大学院  泉谷 瞬
横光利一「日輪」の映画化を考える
                      龍谷大学        島村 健司
幸田露伴「平将門」論
                      同志社大学       西川 貴子
  *発表要旨は下記「2011年度春季大会発表要旨」をご覧下さい。                                 
閉会の辞             支部長  千里金蘭大学  明里 千章      
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※どなたでもご来場いただけます(予約不要)。
※総会終了後、龍谷大学大宮学舎 清和館1階生協食堂にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生4000円)の予定です。

2011年度春季大会 発表要旨

戦後占領期の関西雑誌文化について                           
  和田 崇(立命館大学大学院)
敗戦後間もない一九四五年後半から四六年にかけて、日本の知識人の間では、にわかに「文化国家」の建設が言われ始めた。日本の武装解除、平和主義と表裏一体の関係を成すこの文化国家の理念の下、全国各地で様々な雑誌が発行され、未曾有の隆盛を極めた。
 四六年一月、京都では大雅堂が総合雑誌「時論」を創刊した。大雅堂社長の田村敬男は、山本宣治の同志で、敗戦直後に結成された京都文化団体協議会へと加盟し、文化面で京都民主戦線の一翼を担った。同団体には、後に白川書院を立ち上げる臼井喜之介(臼井書房)の詩雑誌「詩風土」も参加した。また、これら二誌と同じ一九四六年一月に、富士田健一(新風社)の文芸雑誌「新風」も創刊され、新村出、室生犀星、吉井勇など豪華な執筆者が顔を揃えた。
 遅れること同年四月、大阪では弘文社の文学雑誌「東西」、真日本社の総合雑誌「真日本」がそれぞれ創刊された。弘文社社長の湯川松次郎は、『上方の出版文化』(一九六〇年)を著すなど、関西に愛着を持っており、戦前のプラトン社以降、関西の雑誌文化が衰退していることを憂えていた。また、真日本社の社長は、後に関西政界の大物となる有田二郎で、「真日本」創刊号には美濃部達吉などの天皇制論が掲載されて政治色が強い一方、後の号では織田作之助や西川満の短編小説も掲載された。
 本発表では、これらの雑誌の特色を捉えながら、「関西雑誌文化」という認識の枠組を敢えて提示することにより、中央偏重の文化に対する地方文化が起こりつつあった敗戦後の関西の状況を考察したい。
捨象された存在──笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』論──
  泉谷 瞬(立命館大学大学院)
笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』(一九九九・一)は、語り手である独身の中年女性と、結婚願望が極端に肥大した「お化け」である女性たちが対峙する長編小説である。語り手はかつて自身の顔貌によって女性的価値を否定された人物だが、そのことを肯定的に捉え直し、「醜女」の私小説を書くことで生活の資を得るようになった。こうした逆転現象を一つの動機として、良妻賢母思想を信奉する「お化け」たちは語り手を様々な手段によって抑圧していく。
だが、この相克は語り手と「お化け」、どちらかの勝利に収束するような構成に陥らない。圧倒的な物量攻撃を仕掛けてくる「お化け」たちに語り手はむしろ共感を示し、自身の立場を相対化していくのである。小説発表当時においては時代錯誤とも理解される女性蔑視的な言説が、何故こうした展開を通じて物語に挿入されるのか。
それは保守反動的な主張を意味するものではなく、言説の相対化による文学的実践、すなわち「声」を奪われてしまった存在の表象に他ならない。かつてマルクス主義フェミニズムが焦点化した「家事労働」の概念は主婦の被る二重搾取を明確にしたが、ここに笙野のテクストを突き合わせることで、そうした理論によって社会的に捨象された存在を見出すことが可能となる。それはまた、単一の層として把握することが困難な女性たちの実情を抽出する作業でもあった。
『説教師カニバットと百人の危ない美女』は笙野の文学活動における文体の変化と併せて注目されることが多いが、本発表では以上のような観点から、物語の内部へ詳しく切り込んでいきたい。
横光利一「日輪」の映画化を考える
  島村 健司(龍谷大学)
本発表の目的は、「日輪」の映画化(一九二五、衣笠貞之助監督)を横光利一の文学的営為にとって重要なエポックとして位置づけることにある。横光と映画とのかかわりを考えるこれまでの論調は、新感覚派映画連盟による第一作目「狂つた一頁」(一九二六、衣笠監督)に重点がおかれ、「日輪」の映画化は衣笠と横光をつなぐ端緒として触れられる程度にとどまっている。一九二三年五月、「蠅」(『文芸春秋』)と同時期に発表された「日輪」(『新小説』)は、横光の文壇デビュー作ともいわれる。このような点からしても「日輪」映画化の重要性は高い。また、衣笠の回想によると(「「十字路」以前 衣笠貞之助むかし話」『キネマ旬報』一九五五・一)、映画「日輪」の脚本者「一文字京輔」は特定のだれか一人ではなく、映画製作にかかわる数名を総称したペンネームとも思われる。そうだとすれば、横光もここに組み込まれていた可能性がある。
発表の手順として、まず、このような「日輪」映画化に際して横光自身がかかわった事跡を明らかにする。そのうえで、フィルム自体が残っていないものの、「日輪」の映画化にかかわる言説を参照しつつ、小説・映画という表現形式の差異を検討する。このような試みは一九二〇年代の日本の芸術交流におけるダイナミズムを探る一助にもなると考える。
幸田露伴「平将門」論
  西川 貴子(同志社大学)
 幸田露伴「平将門」(『改造』大正九・四)は、典拠を示しながら将門に纏わる話を自由に語るという形式の作品である。従来より『将門記』研究において、史実調査の充実という点で評価されているものの、具体的な分析はまだ充分にはなされていない。
しかし、本作品で重要なのは、資料引用の方法であり、また「下らない文字といふものに交渉をもつて、書いたり読んだり読ませたり、挙句の果には読まれたりして、それが人文進歩の道程の、何のとは、はて有難いことではあるが、どうも大抵の書は読まぬがよい、大抵の文は書かぬがよい。」と冒頭で明言し、言葉によって創られていく「歴史」の〈危うさ〉を自覚的に語っていく、その語り方であろう。
 明治以前より将門は、『神皇正統記』や『大日本史』で「叛臣」として取り上げられる一方で、狂言や謡曲、草双紙などで妖術を使う者とされたり、神田明神として祀られたりするなど様々な伝承を有していた。しかし、明治以降、『将門記』の資料的な価値が実証史学の立場で見直され、特に真福寺本『将門記』が国宝とされる中で、将門の人物像が活発に検討されるようになっていく。こうした同時期の将門解釈のあり方を視野に入れつつ、本発表では、大正九年という時期に、なぜこのようなスタイルであえて平将門を取りあげ語ったのかを、資料引用の方法と作品内の語り方に注目することで明らかにし、露伴の歴史認識を探る手がかりとしたい。