日韓共同企画ブックレット刊行

日本近代文学会関西支部編
「いずみブックレット7海を越えた文学 ―日韓を軸として」
和泉書院(定価(税込)1050 円)

2009年度日本近代文学会関西支部秋季大会「支部創設30周年記念・日韓共同開催特別企画」として催された「海を越えた文学―日韓を軸として」をブックレットとして刊行しました。閔妃写真の謎、朝鮮俳壇の形成、金史良の日本留学時代の問題、安部公房の満州体験など、日本と韓国双方の研究者による論考四篇を収録しています。

2010年度春季大会のご案内

《日時》2010年6月12日(土) 午後1時~午後5時30分
《会場》甲南女子大学 管理棟 3階 031教室
                   >>交通アクセス
                   >>キャンパスマップ
《内容》
挨   拶               甲南女子大学文学部長 神野 富一
シンポジウム「村上春樹と小説の現在――記憶・拠点・レスポンシビリティ」 
                         司会 飯田祐子 黒田大河
ポストモダン・ローカリティ――村上春樹の「開かれた焦点」とその主題化
                  京都工芸繊維大学大学院  高木 彬
村上春樹は世界文学か日本文学か――近代化過程と文学の表現をめぐって
                         立命館大学  中川 成美
「正しさ」の村上春樹論的転回       
                         早稲田大学  石原 千秋
ピンポンと弑逆。――小説について考えるときに読者が考えること
                          文筆業    千野 帽子
                                   >>企画趣旨
                                   >>発表要旨
閉会の辞            支部長  千里金蘭大学  明里 千章      
総  会
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※どなたでもご来場いただけます(予約不要)。
※総会終了後、懇親会 甲南女子大学第一学生会館3階「ドンク」にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生4000円)の予定です。

2010年度春季大会企画 発表要旨

ポストモダン・ローカリティ――村上春樹の「開かれた焦点」とその主題化
                 高木 彬(京都工芸繊維大学大学院)
 
 世界的な「村上春樹現象」の根拠が文化的「無臭性」(四方田犬彦)にあるにせよ「固有性」(藤井省三)にあるにせよ、それを作者や小説における空間的問題として内側から捉え直してみるならば、ローカリティの解像度を「日本」から「神戸」へと上げることができる。ここで注意すべきは、村上春樹の故郷の「神戸」が、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』の四部作において「僕」の故郷の「街」として虚構化された際に、固有の地名を失うことである。多くの論者は「街」を「神戸」と一義的に等号で結んでいるが、しかし「街」は、あくまで記憶の焦点として空間的に限定されながらも、同時に、その限定性を失った無名の空間でもあるのではないか。四部作で繰り返される「東京」からの「記憶探し」の道行きは、核心部分が空虚へと挿げ替えられることで戯画化され、焦点が逆説的に「どこでもない空間」として開かれている。
 村上春樹は、阪神・淡路大震災の1995年以降、状況に対するデタッチメントからコミットメントへと創作スタイルが変化した、と言及し、後者を、個人の井戸を掘り進めた先の地下水脈的な越境、と喩えている。しかしここまでの議論に照らせば、こうした繋がりの形は、実は既に80年代の四部作が物語の空間構造として有していたことが分かる。90年代の『ねじまき鳥クロニクル』以降繰り返されているのはむしろ、その「開かれた焦点」の構造自体の自己言及的な主題化ではないか。歴史群のサンプリングは、そのために要請されたものである。本発表では、この断層を「焦点空間におけるコミットメント形式の変容」として捉え、作者による震災以降の「神戸」の主題化と考え合せながら、ポストモダン以降の現代における小説表現とローカリティについて新たな視座を提示したい。
村上春樹は世界文学か日本文学か―近代化過程と文学の表現をめぐって
                        中川 成美(立命館大学)

 村上春樹の出現は、文学的事象としてだけではなく、社会的・文化的な現象となって現代文学の新たな導線を描いた。いわゆる「ハルキ現象」は80年代のサブ・カルチャーの諸場面と連動して、バブル経済と呼ばれた未曾有の大量消費社会に穿たれた空虚な喪失感を代弁する、もっとも代表的な言説となった。現在に至るまで彼の作品はベストセラーを記録し、世界中ですぐに翻訳されて大量の読者を獲得し続けている。彼を日本文学作家とするにはその流布はあまりに広範、かつ大量で世界文学作家という呼称を与えようとする批評家も多い。 
 しかし、日本の外で彼の作品がどのように読まれてきているかということには、いくぶんの留保と注意を払わなくてはならない。第一に翻訳の問題がある。日本語からの直接訳のほかに英語などからの重訳について、村上は「重訳ってわりに好き」(『翻訳夜話』)と語り、彼自身の指示で重訳がされた例もある。つまり、日本語テクストから英語テクスト、そしてその他の言語テクストに至るプロセスで、原典とすべきテクストを決定するのは難しい状況がある。第二にポストモダンの代表的な文学として受容される彼の作品が、各地域の近代化過程の問題と絡みあって、近代が紡いだ歴史の記憶を再現して、新たな後近代の塑型を提示する役割を担ってきたことについて、どのように考えるべきか。
 決して春樹の良き読者と言えない日本人・文学・研究者である私がこのことを語るということ自体が既にある種の矛盾を抱えもっているのだが、錯綜するテクストを生産し続ける春樹文学を相対化し、再布置をはかることによって見えてくるものは何かを考えたい。
「正しさ」の村上春樹論的転回                  
                        石原 千秋(早稲田大学)
 
 村上春樹文学でときおり見られる「正しさ」という表現は不思議な使われ方をしていた。それはたとえば「その日、僕は彼女を抱いた。それが正しかったことなのか、僕にはわからなかった」という具合に書き込まれているのである。これは恋愛を書く文学としては非常に特異な表現である。ふつうなら、恋愛で問題になるのは愛情の度合いであって、「正しさ」ではないからである。しかし、こうした例を典型として、村上春樹文学はある種の「正しさ」に向けて書かれていると考えられる。
 そこで考えられることは、村上春樹文学が実は初期から恋愛を個人の問題ではなく、社会の問題として捉えていたということである。その「正しさ」の基準をどこに求めているのかを明らかにすることが、村上春樹文学を解く鍵の一つである。また、村上春樹文学は恋愛と社会的な事象とを絡めて書くことが多く、「正しさ」の基準を社会のどこかに求めていることはまちがいない。繰り返すが、その「正しさ」の基準について考えてみたい。
ピンポンと弑逆。──小説について考えるときに読者が考えること
                           千野 帽子(文筆業)
 
 村上春樹の『1973年のピンボール』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『海辺のカフカ』『1Q84』(BOOK 1と2。要旨執筆時には3は未刊)の四篇は、出会わないふたりの語り手もしくは視点人物のそれぞれの行動を交互に報告するふたつの筋から成り立っています。柄の大きな長篇小説である後三者を、他の作家の同形式の例(レーモン・クノー『青い花』、アラン・ロブ=グリエ『弑逆者』を中心に、ジョルジュ・ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』、フォークナー『野生の棕櫚』、宮部みゆき『レベル7』など)と併置することによって、「物語のピンポン」形式について考えたいと考えています。
 しかしこのように思い立った瞬間に、私たちは「文学について考えるとは、そもそもどういうことなのか」という問いに直面してしまいます。もし私が卒業論文準備中の学生なら、指導教員は私に「なぜこれらの作品をいっしょに読むの?」と尋ねることでしょう。
 この話は個々の作家について考えるものではなく、「小説について考えるときに読者が考えること」について考えようという、ややメタなものです。話は学術的なものとならず、「学問」の外から「学問」の外延を撫でさすることになりますが、専門の日本文学研究者ならぬ一読者がこの場にお招きいただいたことの、それが意味だと考えています。どうぞご理解ください。

2010年度春季大会企画趣旨

■シンポジウム
村上春樹と小説の現在─記憶・拠点・レスポンシビリティ
■企画の趣旨
 国民国家とともに成立した「小説」というジャンルは、20世紀的状況からポスト近代へと到る状況のなかで、その在りようを変化させてきた。ジャンルの固有性やメディアにおける配置、そして小説の可能性と不可能性は、現在どのように捉えることができるだろうか。本シンポジウムの目的は、村上春樹を対象に「小説の現在」を探ることにある。今日、村上春樹ほど「小説家」であること、「小説」を書くということの意味に意識的な作家はいない。最近の例でいえば、エルサレム賞の授賞式でのスピーチは、「小説家」としての立場から自らの政治性を表明したものであったし、発売後瞬く間にミリオンセラーとなった『1Q84』では「小説家」が登場人物となっており、小説を「書く」行為そのものの持つ意味が扱われているといえる。
 具体的な問題の設定については個々のパネリストにゆだねることとしたいが、現在、村上春樹について考えるための切り口として、たとえば次のものが想定できるだろう。
 ひとつは「記憶」をめぐる問題である。村上春樹は、よく知られるように1995年あたりから状況に対するデタッチメント(かかわりのなさ)からコミットメント(かかわり)へと方向性を変え、社会的事象を積極的に作品に採り入れるようになった。転回の具体的契機となった出来事の一つに、阪神・淡路大震災がある。関西出身の村上春樹にとって、「記憶」が集積した空間の崩壊は何をもたらしたのか。『ねじまき鳥クロニクル』以降の作品では、「記憶」と「歴史」の接合が探られている。小説は、それらとどのように重なりまたずれているのか。このような「記憶」と時間性に関わる問題系において、小説の在りようを探ってみることができるのではないだろうか。
 また空間的な問題として、村上春樹の「拠点」について問うてみることもできるだろう。村上春樹は神戸出身であり、その土地の風景は初期の作品などに描き込まれているが、テクストはその土地のローカルな色を表そうとする指向はもっていない。脱色化された風景のもつ意味や効果は小説表現の問題としてどのように考えうるだろうか。より今日的な問題としては、日本出身の作家のなかで最も越境的に活躍している村上春樹が、グローバリズムに対してどのようなポジションをとっているのかという問いも浮かぶ。語られる「記憶」は、どこを「拠点」として繋ぎ合わされているのか。
 そしてまた、村上春樹が応答責任を果たそうとしている対象はどのようにテクストに書き込まれているのかという問いについて考えてみることもできるのではないか。世界中に翻訳されている村上春樹の作品の読者は、「誰」なのか。それらの問いを、多様で複雑な情報の氾濫とつねに発生し続ける力学をどのように捉え、「小説」そのものの配置と政治性をどのように考えるかという問いへと広げることもできるはずだ。
 以上のような視点をパネリストからの問題提起と考え合わせることで、一種の社会現象ともいいうるほどの広がりを持つと同時に「小説家」であることに特化された村上春樹の仕事について、会場全体で討議・再検討する。本シンポジウムを「小説の現在」を見つめる機会としたい。現在における文学の、あるいは文学研究の果たすべき役割が、その先に見えてくるのではないだろうか。
企画委員:飯田祐子、黒田大河、日高佳紀

2010年度秋季大会 発表者募集のお知らせ

 2010年度の秋季大会は、11月6日(土)13時30分より、奈良教育大学にて開催される予定です。
 研究発表では3名の自由発表を予定しております。発表を希望される会員の方は、2010年7月末日必着にて、封書でお申し出下さい(宛先は事務局ではありませんのでご注意ください)。
 詳細につきましては、2010年度春季大会案内に同封の要項をご参照ください。

2009年度秋季大会のご案内

2009年度 日本近代文学会関西支部秋季大会 ご案内
《日時》 2009年11月7日(土) 午前11時~午後6時
         11月8日(日) 午前10時~午後1時
         ※今回は二日間の開催です。
《会場》関西大学 千里山キャンパス 以文館4階 セミナースペース
               〒 564‐8680 大阪府吹田市山手町3-3-35
                   電話 06(6368)1121(大代表)
         ※交通アクセスは→こちらをご覧ください。
         ※キャンパスマップは→こちらをご覧ください。
《内容》
【第1日目(11月7日)】
会場校挨拶          関西大学文学部長    山本 幾生
開会・歓迎の挨拶       関西支部長        浅野  洋
支部創設30周年記念・日韓共同開催特別企画
海を越えた文学(1)――日韓を軸として――

特集趣旨説明         立命館大学       木村 一信
明成皇后・表象試論――三好徹「閔妃殺害」を中心として――     
                  佛教大学        三谷 憲正
                  (コメンテイター     金 容安)
安部公房の〈満州〉体験    威徳大学校     李  貞熙
朝鮮詠の俳域――朴魯植と村上杏史――       
                  愛媛大学        中根 隆行
                  (コメンテイター     崔 在喆)
日本留学時代の金史良に関する小考
                  水原大学校       許   昊
講 演  どこにも根を張れない種がつけた蕾               
                  小説家           玄   月
臨時総会
第二日目(11月8日)――自由発表】
寺山修司「書を捨てよ町へ出よう」における「若者」
――「上京若年労働者」をめぐって――     
                  立命館大学大学院   秋吉 大輔
井上靖「敦煌」論――方法と歴史認識について―― 
                  同志社大学大学院   山田 哲久
内野健児と植民地期朝鮮の日本詩壇
――一九二〇年代の文学様相の解明に向けて―― 
                  立命館大学       楠井 清文
謝辞               関西支部長       浅野 洋
閉会の辞            韓国日本近代文学会会長 許  昊
※懇親会 第1日目(7日)総会終了後、関西大学以文館1階・法文坂レストランにて開催します。会費は5000円(学生・院生4000円)の予定です。
※同封のはがきで、大会・懇親会のご出欠を10月20日(火)必着で(ご欠席の場合も)必ずお知らせください。
※運営委員は、7日午前10時までに関西大学尚文館4階405教室にご参集ください。